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古典の季節表現 冬 野行幸

2020年11月19日 | 日本古典文学-冬

大原や野辺のみゆきに所得て空取る今日の真白斑の鷹
嵯峨の原はしるきゞすのかた跡は今日のみゆきに隠れなきかな
はし鷹の古きためしに引き据ゑて跡ある野辺のみゆきなりけり
狩衣のおどろの道も立ち帰りうち散るみゆき野風寒けし
もろ人の狩場の小野に降る霰今日のみゆきに玉ぞ散りける
芹川の波も昔にたちかへりみゆき絶えせぬ嵯峨の山風
(六百番歌合~岩波文庫「六百番歌合 六百番陳情」)

ふゆふかき-のへのみゆきの-けふしもあれ-しらふのたかを-すゑてけるかな
あかねさす-みかりのをのに-たつききす-そらとるたかに-あはせつるかな
むらさきの-みかりはゆゆし-ましろなる-くちのはかひに-ゆきちろほひて
はしたかも-けふのみゆきに-こころありて-ふるまふすすの-おとそことなる
(永久百首~日文研HPより)

 野行幸
から衣御こしとどめてぬぎかふる狩のよそひも花を折りけり
(雪玉集~新編国歌大観8)

延暦十二年十一月 庚辰(五日)
天皇が葛野で狩猟した。
乙酉(十日)
天皇が交野で狩猟した。右大臣従二位藤原朝臣継縄が摺衣を献上して、五位以上の者と命婦・采女らに下賜した。
辛丑(二十六日)
天皇が栗倉野で狩猟した。
十二月 甲寅(十日)
天皇が瑞野で狩猟した。
癸亥(十九日)
天皇が岡屋野で狩猟した。(略)
(日本後紀〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

延暦二十三年十月 丙午(五日)
天皇は和泉国へ到達し、大鳥郡の恵美原で狩猟した。散位従五位下坂本朝臣佐太気麻呂が献物を行い、綿百斤の下賜が行われた。
丁未(六日)
天皇が城野で狩猟した。日暮に日根の行宮に入った。
戊申(七日)
天皇が垣田野で狩猟した。(略)
己酉(八日)
天皇が藺生野で狩猟した。(略)
庚戌(九日)
天皇が日根野で狩猟した。(略)
(日本後紀〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

(延長六年)十二月五日。天皇幸大原野。有狩猟之御遊。
(日本紀略~「新訂増補 国史大系11」)

〔新儀式 四臨時上〕
野行幸事 當日未明、天皇御南殿、左右大將、幷親王公卿列立如常、但王卿著麴塵袍、帶劒者著後鞘、又可供奉鷂鷹王卿、著狩衣深履而把笏也、 
(国文学研究資料館HPの古事類苑DBより)

〔錦所談 二〕
狐尾袍 西宮記ニ、狐尾摺衣、野行幸時、小野篁、橘廣相等著之トアリ、按ズルニ、○中略 狐尾袍ハ闕腋ナルコト知ベシ、又文官闕腋ヲ著スルコト、旣ニ内宴ニハ、文武ヲ論ゼズ闕腋ナリ、如行幸群臣悉ク腹卷行縢ヲ著セシニ、廣相朝臣ハ儒官タルヲ以テ、闕腋ノミニテ腹卷行縢ヲ略セシヲ、其時狐尾袍ト稱セシニテ、全ク別制アルベカラズ、只一時ノ稱ナルベシ、
(国文学研究資料館HPの古事類苑DBより)

〔柱史抄  下〕
〔續世繼 二紅葉の御狩〕
承保三年十月二十四日、大井川にみゆきせさせ給て、嵯峨野にあそばせ給、みかりなどせさせ給、そのたびの御歌、 大井川ふるきながれを尋きてあらしの山の紅葉をぞみる、などよませ給へる、むかしの心ちして、いとやさしくおはしましき、
〔十訓抄 十〕
白河院御位の時、野行幸といふ事有て、嵯峨野におはし付て、放鷹樂をすべきを、笛かならず二人有べきに、大神惟季が外に此樂を習ひ傳ふるものなかりけり、これに依て、井戸の次官あきむねと云管絃者を召て、惟季と共に仕るべきよし仰有ければ、かさねの裝束して、樂人にくははりければ、ともにいみじき面目なりけり、今日の宴いみじきことなりければ、舞人も物の上手をえらばれけるに、五人、光季、高季、則季、成兼、經遠、今一人たらざりければ高季が子の末童にて、年十四なるを召して、藏人所にて、俄に男になしてくはへられけり、時の人面目なりとぞ申ける、
かくめでたき事に、あきむねさせる道のものにもあらぬを、笛によりて召出されたるいみじき事といひけるほどに、大井川に舟樂の時、笛を川の淵におとし入て、えとらざりければ、龍頭に惟季笛をふく、鷁首には笛吹なくてえ樂をせず、人これを笑ひけり、いみじき失禮にてぞありける、始の面目後の不覺たとへなかりけり、今度の御會には、土御門右大臣◯源師房 序題を奉られけり、其詞云、 境近都城、故無車馬之煩、路經山野、故有雉兎之遊、とぞかかれたる、歌もおほくきこえける中に、御製ぞ勝れたりける、 大井川古き流を尋來てあらしの山の紅葉をぞ見る、通俊中納言、後拾遺をえらばれける時入奉りけり、
◯按ズルニ、柱史抄野行幸ノ條ニ、承保以後無此儀歟トアルニ據レバ、白河天皇以降永ク廢絶セシモノナルベシ、 
(国文学研究資料館HPの古事類苑DBより)


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