何を以て進化というか?
勿論、地球学の進化定義解釈は卒業し
「本源照覧の進化」という大クライン定義である。
定義という多分に地球学的発想ではなく
「大クラインの意志に適うかどうか?」
という観察姿勢と言えるだろう。
大クラインのフラクタル振動波層のそれぞれが
生命種(微細粒子に至るまで)であることが
観察完了していれば
あとは個々それぞれの本源意義に邁進するのみである。
宇宙の優良なる類人種は
その進化境地を加速度的に深め維持しているゆえに
惑星生命環境を宇宙艇に凝縮し
大クラインとの共振に拠りそれぞれの宇宙を
所狭しと飛翔している。
地球学平面に囚われた地球人にその原理を教えたくとも
地球人個々意識層が「本源進化」の意味さえ知らず
リアルコンタクトは鎖されたままとなっている訳である。
我欲物欲で本源共振を貶めながら分不相応を求めても
地球人類に近似か更にガラの悪い不良宇宙人(波長)が
接近して操られるくらいが関の山であろう。
地球の本質振動波層が「本源進化」の意義を取り戻そうと
奮闘しているこの『今』
一蓮托生の地球人たる心ある類人種は
先ずは「本源進化意義」に目醒める必要があるだろう。