洗心 senshin

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生きた妖精。

2022-09-26 11:47:25 | つぶやき

きょうは30分ほどの道中でキチョウ、モンシロチョウたちが続々と横切った。

その数15匹は超えたのではないか。

1匹はフロントにダイブ。急ブレーキでも間に合わなかった。

もちろん車を停めて検めるが出ては来ないし道路に死骸の形跡もない。

ミラクルかもしれないがエキサイティングすぎる。

後続車がいたら急ブレーキはかけられないよ。

でも彼らは実害が出ないそのタイミングも計算してるんだよな。

 

というわけで 今まで嘗て無い濃厚なサプライズだった。

何か大きなことが人類社会的にも起きる予兆として心に置いておこう。

明日は国葬らしいが蝶たちはそんなことには関心が無いはずだから

その裏で進行している自然量子次元の改革に関することだろう。

 

彼ら彼女らは自然神の派遣する生きた妖精なのだ。


オオムラサキのメス。

2022-09-25 11:29:07 | つぶやき

今日も草刈りに精を出している。

先祖が残した僅かばかりの荒れ地があるが 

さらに荒れて雑木林にしてしまうわけにはいかないので

最低限の管理をしているのだ。

 

荒れた畑に出るや 蝶が待ってましたと飛んでくる。

黄色や白や代わる代わる目の前で舞い踊りそれを見ているだけで自然量子波に

満たされるのだ。

 

今日は秋の風も吹くせいか珍しいお客さんもあった。

大型のその蝶は多分「オオムラサキ」のメスではないだろうか。

オスのようにあでやかな紫色はなく地味ではあるが存在感がある。

 

彼女は警戒心が強いのか他の蝶のように舞うようなことはしない。

近くにフワッと止まり気高い姿を存分に見せてくれるだけでも

うれしいものだ。

 

メスがこうして現れるということは当然オスもいるだろう。

もしかしたらいつの日かオスの個体が忽然と現れて

その美しい姿(日本の国蝶である)を拝することが出来るかもしれない。


蝶から教えられたこと。

2022-09-25 10:03:21 | つぶやき

自然創造の『人』という生命存在は

自然量子の海(またはエーテルなどの表現もいいかもしれない)から産まれ

そして生かされている物質波構成の実体である。

 

当然自然量子の海から切り離されることはなく 

物質生体が使い物にならなくなるまで生命の本質である霊魂を

その身に留まらせてくれるだろう。

 

そのような数次元に亘る波長層の透過構造を自らの意識のスクリーンに

真実に沿って写し出せたなら 

その『人』の価値観は物質平面の置物から量子跳躍の創造光の深い輝きへと

正転させるだろう。

 

表層五感のセンサーに繋がれた人間は 相互五感を介してお互いの

姿を知るのであるが

肉体次元はそれでこと足りても 本質生命体である霊魂は量子波の海に

明確に存在しているのであるから

眞の『人』の本質を識ろうとするならば 

お互いにそれぞれが自然量子共振を通じてお互いの霊質の鏡に

自然クライン環(この世とあの世の融合体)の真実を写し合うことである。

 

これが永い間 時間を超えて蝶たちから教えられたことである。

 


共生の財宝。

2022-09-24 08:05:35 | つぶやき

私はいわゆる昆虫マニアではない。

もちろん昆虫学的な観察眼はあるのだが それ以前に幼きころ蝶たちと

無心に戯れた原体験がある。

その生命体としての源意識次元で まこと自然環境の中で

波長交流を育んで来た真実が何よりも輝きを放つのである。

 

だから教科で指導されるがまま昆虫を採集し標本製作を行いながらも

心の片隅で蝶の亡骸を磔(はりつけ)することの哀しみに

次第に耐えられなくなった。

 

寧ろ 蝶は進んで捕らわれてくれたような気がしてならず 

その想いをダイレクトに感受したとき

泣けて泣けてホルマリンや注射器は捨てたのだ。

 

時は過ぎ 今はこうして蝶との自然量子交流に無上のよろこびを感じている。

それは各種生命種間にもともと原初からある共生の財宝なのである。


拓く。

2022-09-23 11:54:19 | つぶやき

地球人はここまで見せられても まだ自然量子領域から観た透過構造が判らない。

だが確実に形勢は逆転し(正しくは正転)自然量子意志は地上を覆い尽くす。

 

それらの波動予兆が判る『人』は頼もしい。

是非とも本来地上に降りた魂の使命をそれぞれが現実化していくことである。

 

それには今般の表層常識レベルを飾り立てることで人間が完成するなどという

迷信を奉じていてはクライン環を見渡すことはできない。

 

やがて判るとはいうものの肉体を喪ってからでは遅きに過ぎる。

 

肉体の機能が開花しているこの『今』こそ 五感を超えて自然量子の

波長観座を自らに拓くことである。