ほっぷ すてっぷ

精神保健福祉士、元新聞記者。福祉仕事と育児で「兼業」中。名古屋在住の転勤族。

岐阜県神岡町と三井金属とイタイイタイ病

2011-07-04 00:33:05 | Private・雑感
岐阜県の飛騨市神岡町。高山市から富山県に抜ける通称ブリ街道の
途中にある山間の町だ。
家々を見渡せる高台に、「神岡城」がある。眼下には水量も
多く、涼しげに流れる高原川。この城は、数百年前から残るものでもなければ、
町などが復元したものでもない。
三井金属鉱業株式会社が、犬山城などを模して建てた。
中は郷土資料館で、甲冑や城跡から出現した土器などが展示してある。
隣には鉱山資料館。明治元年に建てられたと言う立派な民家が移築され、
中に農機具などを置いた民芸資料館もある。
この二つも、三井金属鉱業が創業100周年の記念事業として
作ったり移築したりしたものだ。
昭和45年、1970年。イタイイタイ病の訴訟提起が1968年だから、
裁判真っ最中のころである。

神岡町は、「東洋一」と言われた亜鉛、鉛などを産出する神岡鉱山があり、
それを明治時代から事業化した三井金属鉱山が築いた城下町だ。
そして、高原川にカドミウムを流し続け、この川が合流する
神通川の下流域で、イタイイタイ病を発生させた原因企業で、
この神岡町がまさしく発生場所だ。

■神岡鉱山
江戸時代初期に、才覚のある飛騨の国の家臣(茂住氏)がいたそうで、
彼が鉱物の産出に力を入れたらしい。
そのおかげもあり、高山は栄え、財政が苦しかった江戸幕府が
直轄地にしたほど。
高山、飛騨の現在の市街地からは、車でそれぞれ1時間、20分ほど
は離れており、
おそらく鉱山がなければ集落は出来なかっただろう、と思われる場所。
前近代的な手法で続いていた地場産業を、1874年に三井組が入ってきて、
株式会社化もして、事業を近代化させた。

■三井金属鉱業の時代
資料館の人の話によると、神岡の人はみな、三井金属の従業員か、その家族だった。
全国的な炭鉱の閉山に伴い、九州から三井グループの配置転換で
来た人も多いという。
最盛期には、人口2万7000人。現在の3倍にあたるという。
福利厚生も素晴らしく、「社宅には他の地域にはない水洗トイレがあって、
東京に進学した子供たちも鼻が高かった」。
そうして社宅でお金をため、神岡に家を建てた人たちが大勢いた。

■イタイイタイ病?
亜鉛、鉛の精製の課程でカドミウムが出てくる。それは鉱山資料館にも
あった。
しかし、説明図中のカドミウムから矢印は出ていない。
資料館で、カドミウムの話もイタイイタイ病の話も一切出てこない。
資料館の人の話では、「50年も前の話だしね・・・」とのこと。
(といってもこの人たちが企画内容を決めているのではなく、
 一切を三井鉱山が作り、維持や入場料の徴収を町だかどこかが
 やっているということだと思うが。)
今は分社化して「神岡鉱業株式会社」という三井金属の100%
子会社になっている。
2001年(意外と最近!)に鉱山を閉山してから、
貴金属や機械に使われている鉛のリサイクルをメインの事業に
しているようだ。
http://www.mitsui-kinzoku.co.jp/project/kankyo/kamioka/index.html

■公害の原因地と被害地
街道を富山方面に抜けて帰った。
途中の富山県旧細入村の道の駅で、鮎の塩焼きを焼いてるおっちゃんと話した。
神岡町とは車で20分ほどしか離れていないところだ。
当たり前といえば当たり前だが、イ病の認識が全く違う。

神岡の人>
「公害は昔のこと」「最近、富山で(イ病)の資料館を作るというが、
まああんまり面白くないよね。歴史の教訓を、ということみたいだけど」
「(三井鉱山の)あのころはよかった。煤塵で肺をやられた人もいたけど、
 いい時代だったなと思うよ」

富山・細入の人>
「ここらへんは、川の水を田んぼに引かないしイ病はなかった。だけど
神岡と仲はよくない。働きに行った人もたくさんいるけど、みんな
早く死んだよね」「今も年に一度は、行政かなんかが変なことしてないか
あの工場に立ち入るんだよ」
「すぐ近くにダムがあるけど、その底には有害なものを
いっぱい含んだヘドロがあって、未だに放出できない。あふれたら
大変なことになる」
「イ病の資料館が出来るのは、いいことだと思う」

原因地と被害地が同じだった四日市と比べてしまう。
原因地と被害地が県をまたぐイ病の場合、被害者側は声も上げやすく、
行政も保護しやすい。
もし被害地が岐阜だったら、大いに税金を納め、城まで建ててくれる三井金属に
厳しい態度で臨めただろうか。
同じ県民である神岡の人たちがこれだけ恩恵を受けていて、
被害者たちは大きな声で責められただろうか。
富山の被害者団体がしっかりと組織されており、資料館を何億も掛けて新設する
に向け、動いていることは、声を出して議論しやすい被害構図だったことが
大きく関係していると思う。
(ほかにも、病気の性質とか、被害地が農地だったこととか、いくつかあるのだがまた今度の機会に)。

神岡には今、東大の小柴さんがノーベル賞を受賞した研究「ニュートリノ」の
実験施設「カミオカンデ」が鉱山の坑道跡にあり、ほかにも東北大の
実験施設などがあるらしく「宇宙科学の町」としてPRしているようだ。
年に一度、廃止した坑道の見学とそれらの研究説明をあわせたツアーを
企画していて、今年は来週に行われるとのこと。

これだけのどかで美しい自然が間近にあるのに、
それらへの言及は見なかった。
企業が手のひらを返したように企業イメージや戦略を変えるように、
その土地のアピール内容が変わってしまうのは少し寂しいように思った。

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