先日セミナー準備で最近の新聞記事に改めて目を通したのだが、その中で日経が11月18日に報じていた「(デリバティブ相対取引)世界で370兆ドル」というものがあった。相対取引デリバティブとは、取引所を通さない(いわゆる)「店頭デリバティブ」と呼ばれるもので、それが国際決済銀行(BIS)の調査では2006年6月の時点で370兆ドルにもなるという記事だった。1年で31%伸びたという。370兆ドルというと日本円にすると、なんと単位が兆の上、「京(ケイ)」を使うことになる。総額約4京4千兆円という気の遠くなるというか、まったく現実味の無い、宇宙の果てまで届いてしまうような数字になるのですねぇ、これが。金融市場の肥大化で金市場がどうのこうのと書いたり話したりしている身ではあるけれど、それにしても、こんな規模にまで膨らんでいるとは。それで少し調べたのだが、過去3年で倍の規模に膨らんでいるらしい。取引の過半を占めるのが固定金利と変動金利を交換する金利スワップなどの金利関連で取引残高が262兆ドル(前年比28%増)という。
金の世界からこれを論じると、「信用リスク」ということが前面に出るのが一般的。「信用の連鎖」という言葉も使うが、何か当事者の間で問題が起こり大き目の“焦げ付き”が起きた場合、連鎖的にその影響が広がり世界的な金融市場の混乱に発展する可能性もあり・・・・という話の展開になる。もちろんこれは当のBISも危惧しているところで記事でも「投資家の破綻にどう対処するかなどの問題が浮上して」となっている。こうした場合、誰が発行したものでもない、つまり誰の負債でもない金は、「信用の連鎖」の枠外にあるためひとたび問題が起きたり、また懸念が高まるだけでも値を飛ばすという性質があるということ・・・・・だが、話はここで終わらない。
先週末の舞鶴のセミナーで話したのは(金市場ではなく金融全般がテーマだった)、こういうことに加えて、これだけの規模に膨らんだ金融市場という産業規模についてだった。考えてほしいのは4京円などという規模の商品(取引)から落とされる手数料は莫大といっていいだろう。いまや金融界は巨大な産業に育っているということ。これもグローバル化のもたらしたものということ。カネがカネを生む世界。問題も水面下で育っているだろうし、所得格差も広がるし、また人の幸せなどという哲学的な問題にも行き当たるし・・というオハナシ。
FRBが引締め策をとっても効き目は薄いわけだよね。金余りも終息しない。
金の世界からこれを論じると、「信用リスク」ということが前面に出るのが一般的。「信用の連鎖」という言葉も使うが、何か当事者の間で問題が起こり大き目の“焦げ付き”が起きた場合、連鎖的にその影響が広がり世界的な金融市場の混乱に発展する可能性もあり・・・・という話の展開になる。もちろんこれは当のBISも危惧しているところで記事でも「投資家の破綻にどう対処するかなどの問題が浮上して」となっている。こうした場合、誰が発行したものでもない、つまり誰の負債でもない金は、「信用の連鎖」の枠外にあるためひとたび問題が起きたり、また懸念が高まるだけでも値を飛ばすという性質があるということ・・・・・だが、話はここで終わらない。
先週末の舞鶴のセミナーで話したのは(金市場ではなく金融全般がテーマだった)、こういうことに加えて、これだけの規模に膨らんだ金融市場という産業規模についてだった。考えてほしいのは4京円などという規模の商品(取引)から落とされる手数料は莫大といっていいだろう。いまや金融界は巨大な産業に育っているということ。これもグローバル化のもたらしたものということ。カネがカネを生む世界。問題も水面下で育っているだろうし、所得格差も広がるし、また人の幸せなどという哲学的な問題にも行き当たるし・・というオハナシ。
FRBが引締め策をとっても効き目は薄いわけだよね。金余りも終息しない。
ひょっとすると、ちょっとやそっとじゃこの流れは止まらないのかもしれないという感じが徐々にわいています。
去年の株高・金高で祭りは終わったと思ったのですが、まだ何かありそうな雰囲気・・・わかりませんけど・・・
ただ、残念なことにどう転んでも「格差」は開かざるを得ないのかもしれません。人の幸せですか・・・「労働」の意味とその対価を考えてしまいます。
「労働の意味」と「対価」、謂わんとするところは、よく、わかります。このテーマは酒を酌み交わしながらやりたいですね。もちろんウーロン茶でもいいですよ、私は酒を飲んでますが・・・。
年金だけで暮らすような貧しい老人の群れが各区市町村役場に群れていたことは遠い昔のことになってしまったでしょうか?一時期、社会保障整備によって預金は無用と言われた時代は短期間に急激に変わりました。もはや取り返しようのない日々を現在の生活に強制するやり方が正しいのかを問うのはさておき、格差は若年よりも老年の方が極めて大きいことは常識です。しかし、そのような負け組に触れる人はいません。人々の賃金は日々もって切り下がり、今ではワーキングプアなる存在も出てきています。
事業に失敗しても、土方で再び事業家に返り咲く話も今は昔です。
実感無き景気拡大という動きはモメンタム化してゆくのか?その時、人や社会に与える打撃はどれほどなのでしょう。デリバティブという名のブラックホールへの合理的投資。その利益に対し正当な犠牲(費用)たり得るのか?仕方ないなら、再び敗戦後を甘受せねばならないのかもしれません。
全国飛び回っている先生相手に、せっかくのお誘いもったいなく思うのですが、年末年始に向け一仕事あるので極めて難しく現状でもコマネズミよろしくヒィヒィしてます。願わくは春までお待ち頂ければ幸いです。(そのころには少しゆとりが出来れば・・・)
先のことなんてわかりません。病気になるかも知れんし、事故にあうかもしれない。
あせらず、資産形成すればいいし、パートナーや友人を作ることもひとつの財産です。
話では、財政改革に失敗したら、合法的徳政令を政府はやるだろうとおしゃってました。
05年の一月二十日の経済財政諮問会議で政府は「構造改革が進まなければ」日本は五年後に財政破綻すると発表。借換え債を含めた国債の発行は引き続き高水準が続き、2011年度には150兆円を突破。
借換え債については、マスコミはあまり取り上げてくれませんね。