毎日新聞「余録」への批判

2013-12-10 17:12:04 | Weblog

 「特定秘密保護法案に対して映画監督や俳優や作家が反対運動に参加しているのに、どうしてスポーツ選手は動かないのか。今こそスポーツの力が必要なのに」。だが・・・・・・。

 具体的にどうしろというのか。たとえば、Jリーグの試合で選手有志が、ユニホームに「法案反対」のスローガンを掲げてプレーする、とか? そのような政治的メッセージを掲げることは、厳重に禁止されている。「スポーツの力」を認めるからこそ、そうなっている。

 そもそも「スポーツの力」の根源は、何か。それは、「ひとつの、ルールに則った型を守る」ということに尽きる。それは、「日常生活の多彩さ、混沌」と対照的な、「統一された秩序」をわれわれに呈示する。そこに、われわれは魅きつけられる。だれも、「サッカー選手はどうして手を使わないのか」などという疑問を持たないだろう。それは、神職にある人々が、何百年も前から伝わる神聖な舞いを忠実に再現するのと同じだ。「日常に左右されない」ことが、「力」になる。

 だから、北朝鮮や中国のスポーツ選手が、ルールに則った立派な振る舞いで賞賛されることも、当然ありうる。

 スポーツの伝統にただ乗りする形で政治的メッセージをアピールすることはアンフェアだが、他方で、スポーツ選手がスタジアムを出て法案反対のデモ行進に参加したとして、果たして「スポーツの力」は感じられるだろうか。「卑俗な、色褪せた感じ」しかしないのではないか。
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