笠間のお気に入りスポットといえば、笠間日動美術館。
傾斜地を使った建物の配置と野外彫刻。常設展の質の高さ。時々開催される館内のミニコンサート。どれをとっても地方の美術館とは思えない質の高さを感じるものだ。
年間数回は行くが、最近行ったのは5月。その前から気になってはいたが、美術館の敷地に隣接して、大石内蔵助の像がある。
その周辺が、行くたびに整備され、徐々にその姿を現してきた。
立ち止まって説明文を読むと、大石内蔵助のおじいちゃんやひいおじいちゃんがここに住んでいたらしい。
笠間市の公式HPには次のように書いてあった。
「大石邸址は、忠臣蔵で知られる大石内蔵助の祖父で、笠間藩家老だった大石良欽の邸宅。仕えていた浅野氏は、赤穂転封の前は笠間藩主で、その後、赤穂へ移って57年後に浪士の討ち入り事件が起こった。」
そもそも私は、忠臣蔵を見たことも読んだこともないが、大石内蔵助率いる赤穂浪士47士が、吉良上野介邸への討ち入りするということだけは知っている。
そういえば、以前ブログにも書いたが、両国に散策していた時、吉良邸の屋敷跡に立てられた石碑があったことをこと思い出した。
久しぶりに自転車に乗った。毎年、春はもう少し早い時期から乗るのだが、今年は鼻の具合が悪く出遅れてしまった。
行った先は、深谷市血洗島の渋沢栄一翁の生地。
利根川のサイクリングロードを上武大橋から南に向かうと「青淵公園」が現れる。ここは子供を遊ばせるにはちょうどいい公園だが、そこに新一万円札の横断幕があった。
公園内を西に向かうと「渋沢栄一記念館」がある。外観は欧米風で、中央に栄一翁の像が立ち、青淵公園を見渡している。
更に道路案内に従い西に進むと、旧渋沢邸「中の家」がある。ここには多くに人が集まっていた。ただし行列ができるほどではなかった。
門も素晴らしいが、内部は更に立派。門の前にはロードレーサーのスタンドも用意されていた。
門をくぐると庭に出る。そこには池があり鯉が優雅に泳いでいた。
その池の端には若かりし頃の栄一翁の像が立っていた。
特に、立派なのは母屋と蔵。母屋は養蚕農家の造りで、近くにある富岡製糸世界遺産群の1つ「田島弥平旧宅」と同じ造りである。
今回は、栄一翁の関連施設である「誠之堂・清風亭」へは行かず帰ってきた。
ところで、久しぶりに自転車に乗ったが、帰りが向かい風となったこともあり、片道35キロ往復70キロにしては疲れた。鼻の具合が良くなったら、もう少し距離を延ばしたい。
このブログを書き始めたのは、平成18(2006)年12月、48歳で3回目の福岡国際マラソンに参加したころだった。ちなみに、その時のタイムは2時間40分00秒。
大会の翌日は太宰府の街なか散策をしてきたが、今となっては新元号「令和」のゆかりの地として、注目度ナンバーワンになってしまった。
あの時、まず行ったのは太宰府天満宮。そこへは、電車で太宰府駅まで行き、そこから徒歩で5分弱。
天満宮では子供の受験のためにお札を購入し、次の目的である観世音寺に向かった。
再び降りた駅の方に向かい、さらに御笠川を渡り、筑紫台高等学校の下を通り、観世音寺に向かった。今となっては記憶が曖昧だが、当時も地図と標識を頼りに歩いたに違いない。
標識通りに進むと、観世音寺に着いた。
記憶が曖昧なところもあるが、当時の写真とネット上の画像を比較すると、この写真は観世音寺で間違いがないようだ。境内には日本最古の梵鐘があったらしいが、全く記憶にない。
さらに進むと、戒壇院に出る。
太宰府の戒壇院は西戒壇といい、中央戒壇(奈良の東大寺)、東戒壇(栃木の下野薬師寺)と合わせて、「天下三戒壇」といったらしい。ということは、我が館林に近い栃木の下野薬師寺も由緒ある所ということになる。行ってみる価値はあるが、現在、建物は存在しないようだ。
次に向かったのは、大宰府政庁跡。
ここは、長方形の広大な土地に礎石があるのみで建造物は無い。しかし、周辺には万葉歌碑が数多く存在する。
私が見たのは、小野老(をののおゆ)が詠んだ「あをによし寧楽(なら)の京師(みやこ)は咲く花の薫(にほ)ふがごとく今盛りなり」という歌碑。今、元号で話題となっている大伴旅人ゆかりの坂本八幡宮には寄らなかった。というより当時はあまり知られていなかった。
その後は、帰路につくため都府楼前駅に向かった。途中に太宰府市立学業院中学校があったが、公立とはいえ、太宰府らしい校名と校門だった。
ところで、ダザイフには「太宰府」と「大宰府」の2つの書き方があることを知った。この件については太宰府市公式HPに記載してある。
清須や清洲のキヨスと似ているね。こちらも清須市公式HPに記載してある。
2月9日、10日は大学の部活のOB会があり、伊東に行って来た。
今年は午前11時に熱海集合の予定だったが、大雪の予報のため、私は午後4時に直接伊東に向かった。集まったのは11名。1期生から8期生までで、私は4期。既に還暦を迎えた人が多い。
翌日は、5年ぶりに小田原に立ち寄りお城を見学してきた。
ルートは、馬出門、銅門、常盤木門、本丸の正規登城ルート。こんなルートがあることを初めて知った。前回は、北入口から正面入口へとたどってしまった。
今年は、銅門で特別公開を実施しており、普段は入ることのできない内部を無料で見学することが出来た。
そこには小田原評定の再現がされていた。
その時に一緒に行ったOBと話題になったのが、次の項目。
2番の清洲会議は、清須市公式ホームページには次のように書いてあった。
「きよす」の表記は、文献その他歴史的にも「清須」「清洲」の両方の記載が見られます。古くは「清須」の表記が多く後に「清洲」の表記が多くなっています。そこで、今回の展示リニューアルに際しては、慶長15年(1610年)の『清須越』を境目に清須越以前を「清須」、「清須城」と表記し、それ以降の宿名、町名を「清洲」と表記しています。また、現在の施設固有の名称としては「清洲城」として表記しております。
なるほど。
今年の家族旅行は草津温泉。数年前は夫婦で来たことがあるが今回は家族4人。
旅行の1日目は「八ッ場ダムぷっらと見学会」への参加。2020年3月の完成らしいので工事現場は今でないと見ることができない。集合場所で受け付けを済ませヘルメットを被りいざ出発。間近に見るダム工事は迫力がある。
たまたま、重機をワイヤで宙づりにして移動させるシーンに出くわした。まるでミニカーのように運ばれていた。
八ッ場ダムの後は浅間酒造に立ち寄り草津温泉へ。
草津と言えば湯畑。湯畑は草津温泉のシンボルで、周辺はとても賑わっていた。また夜はライトアップされ幻想的。特に今年の年末はクリスマスツリーが登場し、演奏会も行われていた。
宿泊したのは湯畑のお隣の「ホテル一井」。家族4人で予約したせいか、予定の10畳の部屋でなく、15畳+10畳の特別室に案内され、すごくラッキーだった。
2日目は「熱乃湯」で湯もみショーを見学し、軽井沢のアウトレットに向かった。ここもすごい人だったが、私はブラックフライデーのセール品、ナイキのジャージを購入し帰路についた。