昨年は還暦で、今年は61歳。
1年に1歳を重ねるのは当然のことだが、残りの人生も年々減っていく。我が家の家系は男性が短命で、父は63歳、祖父は64歳で亡くなった。
ところで、誕生日には家族でシャンパンを頂いた。スパークリングワインは飲むことはあっても、高価なシャンパンを自ら買って飲むことはほとんどない。今回のモエ アンペリアルは退職祝いで戴いたもの。
たまには、シャンパングラスを傾けるのもいいね。
昨年は還暦で、今年は61歳。
1年に1歳を重ねるのは当然のことだが、残りの人生も年々減っていく。我が家の家系は男性が短命で、父は63歳、祖父は64歳で亡くなった。
ところで、誕生日には家族でシャンパンを頂いた。スパークリングワインは飲むことはあっても、高価なシャンパンを自ら買って飲むことはほとんどない。今回のモエ アンペリアルは退職祝いで戴いたもの。
たまには、シャンパングラスを傾けるのもいいね。
Windows 10 version 1809 の累積アップデートKB4494441が2回インストールされる不具合が発生している。
更新の履歴を確認すると、2019/05/15と2019/05/16でKB4494441が2回インストールに成功し、2回目は(2)が付されていた。
ネット上にも不具合が報告されているが、問題はないようだ。
久しぶりに自転車に乗った。毎年、春はもう少し早い時期から乗るのだが、今年は鼻の具合が悪く出遅れてしまった。
行った先は、深谷市血洗島の渋沢栄一翁の生地。
利根川のサイクリングロードを上武大橋から南に向かうと「青淵公園」が現れる。ここは子供を遊ばせるにはちょうどいい公園だが、そこに新一万円札の横断幕があった。
公園内を西に向かうと「渋沢栄一記念館」がある。外観は欧米風で、中央に栄一翁の像が立ち、青淵公園を見渡している。
更に道路案内に従い西に進むと、旧渋沢邸「中の家」がある。ここには多くに人が集まっていた。ただし行列ができるほどではなかった。
門も素晴らしいが、内部は更に立派。門の前にはロードレーサーのスタンドも用意されていた。
門をくぐると庭に出る。そこには池があり鯉が優雅に泳いでいた。
その池の端には若かりし頃の栄一翁の像が立っていた。
特に、立派なのは母屋と蔵。母屋は養蚕農家の造りで、近くにある富岡製糸世界遺産群の1つ「田島弥平旧宅」と同じ造りである。
今回は、栄一翁の関連施設である「誠之堂・清風亭」へは行かず帰ってきた。
ところで、久しぶりに自転車に乗ったが、帰りが向かい風となったこともあり、片道35キロ往復70キロにしては疲れた。鼻の具合が良くなったら、もう少し距離を延ばしたい。
10連休は、農作業など当初計画どおり消化することが出来た。
結果は次のとおり。
10項目のうち7項目は完璧に実施することが出来たが、残りの3項目がやや不十分だった。
8の美術館巡りは館林美術館には行ったが、もう1か所行きたかった。日帰り旅行は別の日に日光方面(中禅寺湖畔の英国・イタリア大使館別荘と古峯神社等)に行った。
9の自転車は走行距離が114キロに留まったが、200キロ程度は走りたかった。
10のランは10日間のうち6日しか走れず、走行距離は58キロ。できれば10日毎日走り、合計100キロは走りたかった。
鼻の具合の悪さを考えると、自己評価は100点満点をつけたいところだ。
このブログを書き始めたのは、平成18(2006)年12月、48歳で3回目の福岡国際マラソンに参加したころだった。ちなみに、その時のタイムは2時間40分00秒。
大会の翌日は太宰府の街なか散策をしてきたが、今となっては新元号「令和」のゆかりの地として、注目度ナンバーワンになってしまった。
あの時、まず行ったのは太宰府天満宮。そこへは、電車で太宰府駅まで行き、そこから徒歩で5分弱。
天満宮では子供の受験のためにお札を購入し、次の目的である観世音寺に向かった。
再び降りた駅の方に向かい、さらに御笠川を渡り、筑紫台高等学校の下を通り、観世音寺に向かった。今となっては記憶が曖昧だが、当時も地図と標識を頼りに歩いたに違いない。
標識通りに進むと、観世音寺に着いた。
記憶が曖昧なところもあるが、当時の写真とネット上の画像を比較すると、この写真は観世音寺で間違いがないようだ。境内には日本最古の梵鐘があったらしいが、全く記憶にない。
さらに進むと、戒壇院に出る。
太宰府の戒壇院は西戒壇といい、中央戒壇(奈良の東大寺)、東戒壇(栃木の下野薬師寺)と合わせて、「天下三戒壇」といったらしい。ということは、我が館林に近い栃木の下野薬師寺も由緒ある所ということになる。行ってみる価値はあるが、現在、建物は存在しないようだ。
次に向かったのは、大宰府政庁跡。
ここは、長方形の広大な土地に礎石があるのみで建造物は無い。しかし、周辺には万葉歌碑が数多く存在する。
私が見たのは、小野老(をののおゆ)が詠んだ「あをによし寧楽(なら)の京師(みやこ)は咲く花の薫(にほ)ふがごとく今盛りなり」という歌碑。今、元号で話題となっている大伴旅人ゆかりの坂本八幡宮には寄らなかった。というより当時はあまり知られていなかった。
その後は、帰路につくため都府楼前駅に向かった。途中に太宰府市立学業院中学校があったが、公立とはいえ、太宰府らしい校名と校門だった。
ところで、ダザイフには「太宰府」と「大宰府」の2つの書き方があることを知った。この件については太宰府市公式HPに記載してある。
清須や清洲のキヨスと似ているね。こちらも清須市公式HPに記載してある。