マラソンなかちゃん

マラソンのことを中心に、農業、環境、健康、パソコン、小旅行などを気ままに書いています。

ボジョレー・ヌーヴォー

2013-11-26 08:05:19 | お酒

娘がボジョレー・ヌーヴォーを買ってきた。
「ボジョレー・ヴィラージュ・ヌーヴォー・ゴールド(赤)」というものだ。
ゴールドラベルで、3,000円以上したというが、フルマラソン棄権後では味もイマイチに感じてしまう。
美酒とはその人の気分で決まるね。
次回の東京では先ずは完走。
そして・・・
日本酒なら純米吟醸 
ビールなら無濾過の地ビール 
ワインなら防腐剤無添加の赤 
でも個人的には、旨い純米吟醸の日本酒がいいね。
こんな気分でレース後を迎えたい。

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大田原(その2)

2013-11-24 18:11:39 | スポーツ

大田原では、懐かしい人にあった。

受付会場で、子ども科学館の元館長に会った。前回の大田原でサブフォーを果たしたのでまた参加したとのこと。久しぶりだったが元気そうで良かった。

帰ってから酒屋に寄ると東武の知り合いに会った。大田原の帰りだとのこと。私より年上だがまだフルを完走している。

またレース中、職場の同僚にあった。スタートの時、何度も周りを見渡したが見つからなかったが、リタイヤし逆走しているときに会うとは。恥ずかしいの一言。

 

ところで、レースはあっさり終わってしまったので、今回も昨年同様に温泉と那須のアウトレットに寄って来た。しかし途中棄権では温泉もいまいち。次回は完走して温泉に入りたい。

 

アウトレットでは、タイムセールで半額だったのでシューズを2足、色違いでまとめ買い。しかしランニング用でなくマルチタイプのシューズかも・・・。カテゴリーがトレーニングと書いてある。トレーニング用でもジョッグをするなら問題なさそうだ。

 

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大田原(その1)

2013-11-24 17:01:49 | スポーツ
大田原マラソンに行ってきた。結果はDNF(Did Not Finish)途中棄権。
DNS(Did Not Start)欠場は結構あったが、途中リタイアはこれで5回目。欠場より心と体のダメージが大きい。
スタートは良かった。3キロ地点で時計を見ると11分台。速すぎると思ったが、無理して飛ばしている感じではなかった。しかし5キロ地点前、右ふくらはぎが痙攣を起こし突然のリタイヤ。
55歳初のマラソンは5キロ手前で終わった。
歩いてゴール地点に向かい、会場でマッサージサービスをしてもらった。攣った時は針治療が効くというので針まで打ってもらった。その時に言われたのは、右ふくらはぎの外側の筋肉が固まっている。ストレッチとマッサージは常に行うようにとの忠告された。そういえば自宅周辺で走るようになってからストレッチをまったく行っていなかった。
反省点は、①ストレッチ、②マッサージ、③スピード練習を取り入れること。たまにはビルドアップでも取り入れないと体がレースに対応できない。加えてレースシューズにも問題があるかもしれない。ターサーマジックを履いているがショックがきつい。
いづれにしても現在歩くのが精一杯。東京に間に合えばいいが。
ところで、過去5回のDNFを振り返ってみると。
 

No.

年月日

大会名

棄権地点

棄権時刻

理由

1

1992/11/29

つくば

34

21キロ

1:14:00

マメがつぶれる

2

1996/2/4

別府大分

37

30キロ

1:48:01

ガス欠

3

2000/2/13

東京国際

41

20キロ

1:10:18

関門タイムオーバー

4

2007/2/18

東京

48

21キロ

1:18:00

寒さ

5

2013/11/23

大田原

55

4キロ

0:15:20

ふくらはぎ痙攣

 
気分を切り替えて、東京を目指すことにしよう。 
 
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55歳初マラソン

2013-11-18 23:19:44 | スポーツ
55歳初マラソンまで5日。
今日は完全休養となった。しかし好んで休んだわけではない。家族でやや問題があり走れなくなってしまったのだ。
そんなこんなで、かりんとうを食べ過ぎてしまった。無論、これもカーボローディングではない。
ところで、今までの5歳刻みのフルマラソンの結果をまとめてみた。ベストを記録した40歳までは5歳刻みの後半でベストを記録し、40歳以降は前半、というより区切りの年にベストを出している。
したがって今回は55歳の区切りの年。なんとか好成績を記録したい。
 

区分

年月日

大会名

時間

備考

25~29歳

1987/11/29

秩父

2:43:06

29

 

30~34歳

1991/2/3

別府大分

2:33:13

32

 

35~39歳

1996/11/24

つくば

2:29:43

38

 

40~44歳

1998/11/29

つくば

2:28:55

40

自己ベスト

45~49歳

2003/11/16

東京国際女子

2:37:49

45

 

50~54歳

2008/12/7

福岡国際

2:40:15

50

 

55~59歳

2013/11/23

大田原

55

 

 
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あれから10年

2013-11-17 09:17:01 | スポーツ

今日は横浜国際女子マラソンの日である。この大会は以前は東京国際女子マラソンといって東京で行われていた。
ちょうど10年前の2003年は25回記念大会ということで、エリートの他に一般の女子や男子も特別に走ることができた。
私はその大会で何と男子の部で3位に入賞し、あの国立競技場で賞状を頂いてしまったのだ。
今でも思い出すが、2003年は2000年シドニーオリンピックで優勝した高橋(Qちゃん)が2004年のアテネを目指し参加。しかし暑さのため失速しオリンピックを逃した大会だ。
あれから10年。場所は横浜に変わり、今日はどんな大会となるのか。個人的には地元群馬の中里を応援したい。
ところで、国立競技場は2020年のオリンピックに向け改修となる。私はこの記念大会のほか、東京国際(男子の方)で3回走った経験があるが良い思いでとなった。
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初ミカンは酸っぱく

2013-11-09 16:21:06 | 日記・エッセイ・コラム

今日はじめて自宅のミカンを収穫した食べた。
よく洗って皮まで食べてしまった。酸っぱさの中に甘みがあり、なんと言っても新鮮そのものがいい。
今年は2個しか収穫できなかったが、来年はもっと沢山のミカンが収穫されるに違いない。
柿は渋が抜けづらくなったが、ミカンはきっと甘みが増すだろう。
実のなる木っていいよね。できれば切らないで子ども、孫と、ずっと食べ続けて欲しい。

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2週間前

2013-11-09 16:07:22 | 日記・エッセイ・コラム

大田原マラソンまで2週間となった。しかし体調がイマイチ。
昨日は仕事中また目の具合が悪くなり、チカチカしてしまった。そんな訳でその日は走るのを止めた。
以前なら、大会1か月前には5時間走(最低でも40キロ走)。2週間前は20キロのペース走。1週間前は10キロタイムトライアル走で仕上げたものだ。
同じような記事が日経の「美走・快走・楽走」に載っていたので共感してしまった。
今回のマラソンは55歳になって初めてのフル。快走したいという気持ちはある。ここで高記録で走れれば、次回の東京からはゆっくりと楽しんで走れる。
ところで、今回は体重が落ちない。ベストより2キロ多い。そんなこともあり、先週は自転車練習も加えてみたが、今日は寒すぎ。
利根川の河川敷に輝いていたススキは今頃どうなっているだろう。
こんなことを書いても、時は着実に刻まれ大会当日を迎えることになる。
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久しぶりの筑波

2013-11-04 12:24:44 | 日記・エッセイ・コラム
三連休の初日11月2日、大学のスケート部のOB会に行ってきた。
いつもは東京で行うのだが、発足35周年ということで今回は筑波での開催となった。
感想その1 「到着後の行動」
早めに到着し、学生時代の懐かしいところを回った人がいた。考えることは皆同じ。でもお目当てのところは殆どが無くなってしまった。さみしいね。
感想その2 「先生のご挨拶」
顧問の先生の話はちょっと長め、というより講義調。でも面白かった。一般的な大学の部活は、レベルが均一化している。しかし我が部はオリンピック選手から初心者まで雑多。そのレベル差を克服したのは、日本選手権を制し筑波にやってきた宮坂の存在。彼は、トップクラスでありながら初心者とおなじように練習をした。
感想その3 「卒業後の人生」
OB会長は今年、母校で講義をした。また入社後、博士号を取得した者もいる。勤務先も、トヨタ、ホンダ、ソニー、東急不動産、博報堂、日本化薬、久米設計、教員など様々。既に亡くなった者もいる。一方、癌を克服したものもおり、健康が一番ということになった。
感想その4 「会の今後」
スケート部が出来たのは昭和49年(1974年)、OB会が出来たのはその4年後の昭和53年(1978年)だ。あれから35年が経過。しかしOB会に集まるのは1~8期が中心。・・・。また現役も少なくなっているとのこと。何とか継続し存続して欲しい。
感想その5 「当日の交通手段」
殆どの人はつくばエキスプレスできた。そんな中、同期の山ちゃんは横浜からハーレーで、そして私はマウンテンバイクでの参上となった。館林から往復で126キロ、行きは2時間50分だったが、帰りは3時間5分。レーサーでなくマウンテンの長距離は疲れるね。

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EMS審査員登録せず

2013-11-04 10:28:56 | 環境問題
EMS(環境マネジメントシステム)審査員の資格は、平成13年(2001年)2月9日に館林市役所がISO14001の登録したのを契機に取得し、2001年12月15日から12年間、産業環境管理協会に継続し登録している。
しかし、今回は継続手続きをせずに、10月31日の期限を迎えた。
平成12年度、私は企画課に所属し、「21世紀は環境の世紀」ということで、自治体としてはまだ目新しかったISO14001の規格に取り組んでいた。この背景には、1997年に京都で気候変動枠組条約第3回締約国会議が開催され、京都議定書(2008~2012年を目標年次とし、1990年比で、日本6%、米国7%、EU8%等の温室効果ガス排出を削減)が合意されたことも大きく影響した。
その後、台風の巨大化や竜巻の多発など、地球温暖化の影響は顕著になってきている。しかし、日本では東日本大震災(2011.3.11)の後遺症もあり、温室効果ガスの削減は進んでいない。
審査員の登録は、現在の仕事には直接活かさず、しかも毎年1万2千円以上の維持費が掛かることから、継続することに悩んでいた。最終的には、京都議定書の目標年次を一区切りとして、今年の12月14日をもって止めることとした。
だが、止めるとなると自分の中から「環境視点」が無くなってしまうような気がして、少し微妙な気分だ。万が一の場合は5年間に限って再登録も叶ということなので、その時は活用したい。

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TAKOS研究会

2013-11-01 15:03:02 | 日記・エッセイ・コラム

昨日、足利で「りょうもうTAKOS研究会」があった。
この会をちょっと説明すると、群馬県と栃木県に跨る地域を「両毛(りょうもう)」と呼び、その地域の自治体で協議会を構成している。平成5年から10年くらいに、その協議会の担当者が担当を離れても定期的に集まって飲み会をやろうということで作ったのがこの会。
会の命名者は、なんと私である。
両毛5市(現在は6市)の頭文字を組み合わせ、T:館林、A:足利、K:桐生、O:太田、S:佐野で、「TAKOS」と呼んだのが語源。
まあ、単なる飲み会だが、メンバーが面白い。
今回は、足利の吉ちゃん、倉さん、蓼さん、桐生の良さん、桑ちゃん、関さん、佐野の上さん、そして館林のなかちゃんの8人が集まった。本来なら、太田の大ちゃんなども来るはずだったが今回は来られなかった。
このメンバー、当時は企画課職員だったが、現在はバラバラ。しかし他市の情報を得るには最高の人材で、私にとって宝である。
この会は、ずっと続いていたわけではない。
10年以上開催されていなかったが、たまたま、私が足利の吉ちゃんを訪れた際、またやろうということで今回の開催となった。
当時はみな平職員だったが、現在は課長や係長。しかし職責は変わっても心は変わらない。よい友である。
今回は秋だったので、次回は春に太田で開催することを決めて、会場を後にした。
帰りに、足利の駅でウインドウを見ると、ココファームの収穫祭のディスプレーがあった。
もうじき収穫祭である。

 

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