マラソンなかちゃん

マラソンのことを中心に、農業、環境、健康、パソコン、小旅行などを気ままに書いています。

1反、1石、1人

2017-10-10 21:09:02 | 日記・エッセイ・コラム

キンモクセイの咲くころは、稲刈りの季節。

ところで、昔は1反の田んぼから1石(150キロ)の米がとれ、1石は1人が1年間で食べるコメの量とされた。したがって、石高=人口ということになる。

わが館林は、徳川四天王の一人、榊原康政が城主となった時代の石高は10万石。つまり人口10万人に匹敵した。その後、徳川五代将軍、綱吉の時代には、25万石(飛び地も含む)まで拡大。

人口に置き換えると25万人となるが、当時と現在の人口は大きく異なっているので、現在の相対的な都市規模に換算すると・・・。

当時の人口は、「吉田東伍は1人1石という仮定に基づいて1598年の慶長石高から1600年の推定人口を1850万人と見積もった」とあり、また「藤野正三郎(2008年)は17世紀前半の大藩の人口増加率(0.4%)から1600年の推定人口を1940万人、1650年の人口を2365万人、1700年の人口を1700万人と算出した」とある。(※出典はWikipedia)

一方、現在の日本の人口は、平成27年(2015年)国勢調査によると、1億2709万4745人となる。

この比率で計算すると、

1600年 日本人口1940万人 榊原康政時代 館林10万人 現代換算65万人

1650年 日本人口2365万人 徳川綱吉時代 館林25万人 現代換算134万人

綱吉時代は、現在の政令指定都市並みの規模があったということになる。

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