イスタンブールからアンカラへ・・・・トルコの旅2

2011年06月15日 | 
イスタンブールのホテルはショツピングセンターのすぐ横、中途半端なおなかだし、気分のほごれるワインかビールの一杯もと探検にでかける。しかしショツピングセンターの軽食コーナーではアルコールは無いという。さすがイスラム圏だわ。

 ホテルのバーで軽く一杯、無事到着のお祝いをする。翌朝体内時計の都合と旅の興奮でか早起きしホテルの廻りを散歩。朝食ではちみつの巣そのものをいただく。初めての食感で感激したが、それはあちこちのホテルの朝食で出会えた。

 イスタンブールの空港は建国の父の名をとってアタチュルク空港という。待ち時間2時間、手持ち無沙汰で窓ふきをする人の手元を見ている、窓をまわるく拭いている。それがいかにも合理的なのである。まわるく掃くという揶揄した言葉を思い出して一人笑ってしまう。

 アンカラまでは1時間の空の旅。まだもの珍しいから、スカーフを被った女性の姿につい目がいってしまう。黒づくめの方も見かけるが、大方はとってもおしゃれな感じのファツションのだ。スカーフに裾まである洋服で肌を見せないけど。

 しっかりスカーフのかぶり方をチェツクしてしまった。若い女性は髪を後で高めに結っている、そうするとスカーフがきれいにかぶれるよう。おばあちゃんは頭そのままにかぶっている。

 女性は目が大きくスタイルもよくみんな美人だ。

 空から眺める街・・・・基本的にオレンジの屋根が続き統一されていて美しい。

 なぜオレンジですか、と質問されたのは建築畑の方らしい「安いから」と言われましたとのこと。「それでは進歩と開発はありませんよね」はそのお話を一緒にお聞きした方の言葉。

 ずっと気になって屋根を見ていました。同じオレンジの瓦でも平瓦と半円があります。そして時代の古いものは確かに安物と言っても過言ではありません。
 でもおんなじようでおんなじでなし・・・ではないかと。

 雲の切れ間からみた大地の緑が濃い、その大地が時間と共に急峻な山々に変わる。谷間に川がありその傍を道路が走り、その2本の線が網の目のように大地に広がっている。そして時たま現れる集落。

 なだらかな稜線に畑が見えるが木が無い。ずっと畑だけのような大地が続き、そしてそれがむき出しの大地へと続いたが、アンカラが近づくにつれて再び緑濃い大地へと変わっていった。

 アンカラのアナトリア文明博物館へ、1997年に世界で1番いい博物館だと認定されたという「お墨書き」が入口に飾ってあった。

 洞穴の生活をし農業ができるようになった9.000年から10.000年前の遺跡・・・・世界で1番古いとか。

 トルコには旧石器時代の洞穴が3つ残っているとか、西と南とアンカラに。

 一番古い原住民はBC2.000年頃フォーカスから入ったヒッタイト人。
BC1.950年から1.750年にシリアからきた商人がもってきたのが「くさび形文字」。

 BC1.400年から1.300年頃、人類最初の平和条約がヒッタイトとエジプトとの間で結ばれる。

 しかしBC12世紀にはヒッタイトは滅亡に向かう。

 その後、3つの帝国もできたがネオヒッタイトも6世紀には滅亡し暗黒時代になる。

 その後ペルシアによってカッパドキアは「馬の国」という意味で栄えたようだ。

 ガイド氏の話を正確に記憶していたとしたらこうらしい・・・・自信ないんだなー。

 こんな話ご存じの方もおられるだろうが、トルコを訪れるなら、せめて世界史の教科書を一読されていかれることをお勧めしたい。この歴史の知識なくして理解も鑑賞もできないから。

 西側にはBC2世紀には、タルタモ王国が栄え、BC1世紀にようやくローマ帝国が出てくる。

 あのローマ帝国である・・・・えらい国にきてしもうた、と初めて気がついた私(苦笑)

 長くなったので又にしよう。

                   依田美恵子

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