1923年共和国になった時にアンカラは首都になった。今回の選挙のポスターに2023とあったが、それは建国100年の年ということなのだという。
アタテュルク廟は建国の父の霊廟、がっちりとした大理石の建物である。参道には陸軍・海軍・空軍の兵が左右に直立不動で並ぶ。目が一点を見つめるほどではないゆる~やかな雰囲気についご一緒にパチリとなる。
歴史認識がまだまだ深まらない私としては、なんとなく見学というムードで霊廟の外に出たら、献花をする若い学生の一団とすれ違った。まもなく霊廟から国歌が流れてきた。すると広場にきていた小学生の一団も参拝者もがが起立して、胸に手を挙げて国歌を聞き始めた。
そこにいるすべての人がそうしたのである。私たちも帽子を取り、今出てきた霊廟に向かいあい建国の父に敬意を表したのである。
それは国を愛している誇りの表れなのだと、私は心深く自分を恥じたのである。
小学生の子供たちが「こんにちは」と人なっこく声をかけてくれる。親日的とは聞いていたが、あちらこちらで子供たちに声をかけられ、大人たちは笑顔を向けてくれる。私はといえば、もっぱら「ハロー」とにっこりのみである。
トルコは部屋で靴をぬぐという。そして蒙古斑はあったりなかったりとか。ちょっぴり似ていたりして・・・・。
このあたりでは小麦・大麦を作っていた。乾燥がはげしいので木は少なく、朝夕の寒暖の差が激しい。
そしてこの国は8年前から大きく変わったらしい。それは今回の選挙とも関係あるかもしれない、と密かに思ったものだった。
アンカラからカッパドキアへ290㎞のバスの旅。飛行機から眺めた大地を一直線の道路で走る。ずっと続く同じ風景、決して豊かとは言えない乾燥した大地の麦畑。野に働く人を見ることもなく、路傍に咲く花アザミと紫の花を眺める。スーピードがあるから花の正体がわからないのだ。
できたばかりの道路に植樹が始まっている。
途中「塩の湖トゥズ湖」による。途中に見えた湖の沿岸は真っ白。期待したのだった。清水義範さんのエッセー「夫婦で行くイスラムの国」を読んで、彼が湖から持ち帰った塩がどんなにおいしかったかを語ったのを読んで。
それならばとジパー袋を3枚も用意した私。しかしバスはドライブインでしか停まらないから、食するような塩には出会えなかった。真夏なら出会えるかも。
ここであきらめたら後悔のもとと、ドライブインで塩をゲット。でも味見だけは先にしてみたわ。まさかにおいしい、塩に甘味があるの、ステーキをこの塩で食べたいと真剣に思ったもの。帰ってからトマトをこの塩で食している段階だけど・・・・。
ちなみに塩250g5袋で1000円、まあ7袋まではこの値段にはなるよう。これ以上はお試しあれ。
テラスでチャイを飲んでいたら、夫が「ひばり」だという。隣は小麦畑。「ひばり」を見るのなんて何十年ぶりかも・・・・。
湖は時々色を変えて、いつしかブルーからバイオレツト色に息を吞むな美しさ、シャツターを切ったけどあの色がとらえられただろうか。
近在の小麦畑が黄金色になるにはあと2週間とか、まもなく実りの時期がくるのだ。
チャイは紅茶、トルコの人が紅茶を飲めるようになったのは1950年代とか、蒸らす時間が15分ぐらい、濃さはお湯で調整するみたいで、グラスにガラスを使うのは色をみて自分の味を確かめるためらしい。
ちなみによく聞く「トルココーヒー」。基本的には食後のコーヒーみたい、粉が解けないから、砂糖の好みも最初に聞かれるとのこと。私は1度トライしただけで、チャイに転向。レストランなどでだされるコーヒーはインスタントコーヒーの様子。
それにしても・・・・車が少ない、おまけに信号など見たこともない・・・・そんな道路を走り続けるのである。
それでは又。
依田美恵子
軽井沢・佐久で建てる外断熱・省エネ住宅 中島木材の家
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