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もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

藤沢周平『刺客――用心棒日月抄』

2009年06月01日 | 
 藤沢周平の時代小説『刺客――用心棒日月抄』を二日で読破。昨日、午後4時から11時までの東京から沖縄への移動時間はすべてこの読書に費やし、今日も朝5時半から読み始める。面白さの余り、どうにも止めることができなかったわけで、今は「ああ、終わっちゃった・・・」と悲嘆にくれる始末である。
 実は恥ずかしながら、藤沢周平は二冊目で、最初に読んだのは『蝉しぐれ』で映画にもなった名作。この二冊はどちらも実家の父の書棚から借りたもので、父親の推薦でもある。今思えば、用心棒シリーズの一作目から読めばよかったと反省しきりだが、まあ、最初から第三作でも十分理解が可能である。
 この物語、江戸庶民の人情味あふれる時代小説であるばかりでなく、私が読んでいで心臓の動悸が高鳴る場面は、いわゆる「斬り合い」の決闘シーンである。こうした場面というのは、めまぐるしく変わる二人の剣の構えの高さや、互いの位置や姿勢などが克明にわからないと動きのある描写にはならない。この藤沢周平の小説は斬り合いの場面の描写がまるで息を呑むようである。相互に刀をかまえてそろりそろりと移動していく様子を、左右の足の動きやわずかな物音で細やかに表現し、その時の相手の背景の風景まで克明に描写する。そして用心棒である主人公の青江又八郎の視点からだけでなく、その視点は双方にめまぐるしく変化する。時には青江の目から、また時には青江の相手の目線から、またある時には第三者の視点へと移り変わるのである。それはまるで映画撮影のショットがめまぐるしくかわるようなのだ。
 小説の中にはその「小説の時間」が流れている。しかし当然ながら1ページで書かれる時は定量ではない。このところ読んでいる小説の時間が比較的ゆったりしていたせいなのかもしれないのだが、久しぶりに、川幅や向きを変えながら、緩流、急流、濁流とさまざまなペースで流れる川のような、時間の変化がめまぐるしい小説の中の最も凝縮した「斬り合い」の時間を何度か経験したせいか、今の気分は少々「ハイ」である。