Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

ありがとう

2009年06月22日 | 家・わたくしごと
 ブログを開設している世間の父親は、昨日、今日の記事に、「ありがとう」と書いているのではないだろうか?というのも昨日は父の日で、何か子どもにプレゼントされた父親は、そのうれしさをブログに綴っているに違いないからだ。
 そういう私のブログのタイトルもまた世間並に「ありがとう」。昨晩は遅く東京から戻ったために、今日の朝、息子からマグネットのプレゼントをもらった。やはり少ない小遣いで買ってくれたプレゼントはどんなものでも嬉しい。大学の研究室でキーホルダーがたくさん付いたコピーカードをかけるフックとして使うことにした。
 ところで、昨日、私は自宅で両親と一緒に過ごしたのにもかかわらず、「父の日」であったことすらも忘れていたのだ!(お父さん、ごめんなさい。)それにしてもどうして、母の日より父の日の方が印象が薄いのだろう?もちろん、母より父の方の影が薄いなんてことはないのだが・・・。ということで、私は、自分の父親と息子の二人に対して「ありがとう」を送りたい。

知らぬ間に夏が

2009年06月22日 | 家・わたくしごと
 たった三日間、沖縄を空けていただけなのに戻ってきた那覇の翌朝は、ベランダから見える高台の木立を住居にするセミの大合唱で始まった。私が出る前は雨続きで、「梅雨ど真ん中」だったにもかかわらず、すでにそんな季節はずっと昔のことだったかのように沖縄「真夏」と化している。まだ梅雨明けという言葉を耳にしていないような気もするが、それはもう時間の問題なのだろう。
 セミの声の季節は私が大好きな季節。確かに沖縄の夏は暑くて面倒な季節なのだが、それでも私はこの季節になると心が弾む。そのせいなのだろうか、昨晩遅くに東京から戻ってきて、本当ならば今日の朝は、「もっと寝ていたい」と布団の吸引力に負けてしまうところが、セミの声は私を朝からすっかり元気にさせてしまっているのだ。
 知らぬ間にやってきた夏。いつもとはちょっと違う到来のせいだろうか、普段の年の何倍も嬉しさがこみあげてくる。

悲しい知らせ

2009年06月21日 | 家・わたくしごと
 悲しい知らせを携帯メールで受け取る。キジムナーフェスタでお世話になった知人が今朝、病で亡くなったという知らせ。私の上演するワヤンを見て、「芸達者」と評してくれたことが忘れられない。
 いつも沖縄で一緒にお仕事をさせていただいたのだが、葬儀の場所が東京都国分寺市となっている。初めて私と同じ故郷であることを知る。そして偶然ではあるが、私は彼の死の知らせを国分寺の実家で受けたのだ。葬儀の日もまた偶然なのだろうが、沖縄の慰霊の日である…。

ナン・タルンの切手

2009年06月19日 | 家・わたくしごと
 またまたYahooオークションでレアものをゲットしてしまいました。なんと、ナン・タルンの切手シートです。ナン・タルンはタイ南部の影絵人形芝居で、これまで三度、この影絵芝居の調査に訪れて論文も書いています。
 切手も集めてるわけ?と呆れられるかもしれませんが、はい、呆れてください。私、東南アジア芸能と関わる切手を収集しています。といってもスタンプショップに行って探すようなマニアではなく、その地にいくと中央郵便局に行って売られている切手を買ったり、たまにネットオークションで見つけると入札する程度です。自慢の品は数ありますが、そういう話はいずれまた。
 タイの影絵芝居切手に関しては、すでにナン・ヤイと呼ばれる大型影絵芝居のものは持っていますが、自分の研究しているナン・タルンの切手は、2003年に発行されたナン・タルンの人形作りを描いた切手しか持っていなかったのです。それにしてもYahooオークション恐るべし。こんな切手まで手に入るのですから。ちなみに私のブログのプロフィールに掲載している写真はこのナン・タルンのタロックとよばれる道化の人形の一つです。

沖縄で《少年時代》に思うこと

2009年06月18日 | 家・わたくしごと
 ゼミの学生が教育実習の研究授業で、井上陽水の《少年時代》をとり上げた。偶然にも二年前の研究授業でもこの曲が取り上げられ、2007年の6月14日のブログにそのときのことが書かれている。この時は、少年時代という過去を、まだ10代半ばの高校生がノスタルジックに振り返ることができるのだろうかという視点から綴ったのだが、今回はこの曲に描かれる季節の「移ろい」について思うことを書いてみたい。
 《少年時代》の歌詞を真面目に理解しようとすると、相当に難解であることに気づく。読み手ごとにさまざまな解釈を可能にするし、陽水の造語も手伝って、多様な解釈を生む。この歌詞の中には、「四季の移ろい」が描かれている。しかし、私は授業を聞きながらふと、沖縄で育った高校生たちはこうした「移ろい」を理解できるのだろうか、と考えてしまった。
 歌詞の最初に出てくる「夏が過ぎ、風あざみ」の中の「アザミ」という花について、私のゼミ生が高校生たちに尋ねたが、誰一人「アザミ」を知らなかった。当然のことながら、沖縄では一般的な花ではないわけだから仕方が無い。初夏から初秋にかけ夏を挟んで本土のあちこちに咲くアザミは、ある意味、夏を中心にその前後の季節を繋ぐような役割を果たしているように私には思えるのだが、しかしアザミを知らなければ、その種がタンポポのように風にのって空に舞うこともしらないでこの歌をうたうことになる。
 沖縄には本土のような四季はない。しかしそれぞれの季節に本土に行けば、四季を感じることは可能だ。たとえば沖縄に雪は降らなくても、冬に雪国に行けばその感覚を実感することができよう。しかし、それぞれの季節は体験できても、その「移ろい」を感じるためには、そこに長期間滞在しなくてはならない。もし四季すべての「移ろい」ならば、最低1年は必要である。しかし、この少年時代の理解に必要なのはそんな四季の「移ろい」のような気がするのだ。生徒達がこの曲の歌詞を個々人が解釈して歌うためには、やはり沖縄にはない季節感を体験すること、そしてもう少し大人になることが必要なのかもしれない。

パッションフルーツ

2009年06月17日 | 那覇、沖縄
 沖縄に赴任した翌年、ちょうど今と同じ時期にドライヴで本島北部の「道の駅」に寄ったとき、パッションフルーツが山盛りで売られていることに驚かされた。沖縄の好きな人々にとっては、この梅雨の時期、沖縄では路地栽培でパッションフルーツが収穫できることなど常識だったのかもしれないが、赴任して初めて沖縄に行った私のような「沖縄素人」にとっては、インドネシアでしか食べたことの無いこの果物を沖縄で見れたことは感動の一言だった。もちろん、そのときは嬉しくて大きな袋に入ったパッションフルーツを買って、大切に食べた記憶がある。
 昨日、名護の帰りに道の駅によると、たくさんのパッションフルーツが売られている。しかも那覇の町で売られている値段よりははるかに安く、獲りたての新鮮。お世話になっている友人に一袋買った。ビニールの外袋からの甘酸っぱい「蛙の卵のような果肉」の香りが漂う。
 音楽は時代やそんな時代の中で聞いた自分を映す鏡だという。しかし私には香りも同じだ。パッションフルーツという英語の果物名を知らずに、「マルキッサ」というインドネシア語でこの果物を知った20年前、私はこの果物の香りと味に魅了された。よく近所の市場に買いに行って毎日、そんな香りを楽しみながら少しずつ部屋で食べた。バリのマルキッサの表皮は、もっと鮮やかなオレンジ色だが、その中身は沖縄のパッションフルーツと同じだ。
 買ってきたパッションフルーツは友人のおみやげだから、「開けちゃだめだよ」と自分に言いきかせ、そのビニール袋を右に左に移動させて、そこから漂う香りだけを味わいながら、健康のことなんて考えてもみなかった20年前の自分のことを思い出して苦笑する・・・。


雨降りのリゾートホテルのプール

2009年06月16日 | 那覇、沖縄
 雨振りのリゾートホテルのプールは、なんだか晩秋の雨降りの動物園のような気がした。しかし、確かにどちらも表面的には寂しく見えるのだけれど、実は自分の心を見ているだけなのかもしれないと思う。プールもその周りのビーチシートも、ヤシの木も、あるいは静かに丸まって眠る動物達も、いつもと何もかわらないのだから。
 雨振りのリゾートホテルのプールは、なんだかいつもより輝いているように見える気がした。それは強い雨がプールの水面に複雑な凹凸を作り出すからではなく、薄暗い梅雨空の中、人気の無いプールの底が妙に青く見えるからだろう。そんな描かれたマリンブルーの中に必死に太陽の輝きを探す自分がいる。
 雨降りのリゾートホテルのプールは、なんだか、自分の記憶を呼び起こしてくれる装置のようだ。そのプールには誰もいないからだろうか、私はそのプールをめぐる物語の主人公になり、過去に幾多も経験がないにもかかわらず、そんなリゾートホテルのプールで遊んだ記憶が蘇る・・・。
 

フランジパニ

2009年06月16日 | 家・わたくしごと
 沖縄はこの数日、雨が降り続いている。このまま振り続けば梅雨明け後の水不足の心配はなくなるが、この時期、沖縄で過ごすのは憂鬱だし、明るい太陽を期待してきた観光客にとっては本当に悲しい季節である。
 朝起きると今日もうんざりするような天気。しかし朝から名護で仕事なので、深いため息をついて家を出る。高速道路もずっと雨、晴れれば右手には真っ青に見える海も今日はもやでその姿すらなし。なんだか沖縄ではなくて、山梨や長野の高速道路を走っているような錯覚を覚える。それはそれで沖縄からの現実逃避のようで、不思議と快い気分になれるのだけれど。
 仕事も終えて、あいかわらずの土砂降りの中、帰りにこの三月に卒業したゼミ生が勤めている高級リゾートホテルに寄ってみた。このホテルには不思議と沖縄の香りはまったくない。それは悪い意味でなく、ホテルそのものがそうした香りを排除しているせいだろう。まるでインドネシアやタイの静かなリゾートホテルのようなそんな香り漂う。甲斐と信州の次は、アジアリゾートホテルを錯覚するなんて、なんだか今日は現実逃避の世界旅行だ。ロビーでしばらく休んで、そんな雰囲気を体全体ですっかり吸い込んでホテルのロビーを出る。とそこには、フランジパニの大きな樹が!車を運転してくれていたかみさんが、地面に落ちた花を一つ拾って、帰りの車の車内に置いた。外は大雨なのに、まだ独特の香りを漂わせるたった一つの花は、私の気持ちをすっかり変えてくれる。あんなに憂鬱だった気分はいつのまにか、どこかに消えてなくなっている・・・。

大は小を兼ねず

2009年06月15日 | 那覇、沖縄
 東京からわざわざワヤン公演のため沖縄に来てくれたメンバーたちと国際通り散策。昨日の雨も上がり、曇り空だがたまに日がさす空模様。暑すぎることもない沖縄観光にはまあまあの天気。那覇に住んでいても国際通りを歩くことはほとんどないので、こうして観光をするのは案外新鮮な気分。ただお店を聞かれてもわからず、あたふたするばかりでホストとしては失格である。
 お昼は某ホテルのランチブッフェ。沖縄といえば「沖縄料理」と考えがちだが、実はホテルの多い沖縄は、それぞれのホテルが趣向を凝らしたランチブッフェを行っていて、それもまた沖縄を楽しむアイテムの一つかもしれない。
 皆で「昼からこんな贅沢をしてもいいんだろうか」と言いながらも、ワインを飲みながらもうほろ酔い気分。皆さんは観光、でもぼくは皆が帰ったら仕事をしなくちゃいけないから微妙だし・・・と思いながらも気を取り直してスパークリング・ワインをゴクリ。まさに極楽気分。これがバリだったらなあ、なんて妄想を描く。最後に持ってきたデザートを、一緒に持ってきたスプーンで食べようとしてアレっ?入らないじゃん。ていうか、持ってきたスプーンを間違えただけでしょう?大は小を兼ねず。こんな些細なことが楽しいなんて、本当に幸せな時間・・・。


ワヤンの続きは山形で

2009年06月14日 | 那覇、沖縄
 昨日の那覇はものすごい土砂降りにもかかわらず美術館で行ったワヤン上演に250人以上の人が訪れた。50人くらいだろうと予想していたためか、人で埋まった会場を見て正直面食らった。だいたいこの美術館、浦添市の閑静な場所にあるせいかそんなに人が訪れていることなんてほとんどない。いつ行っても5,6人が作品を見ている程度の美術館なのだ。
 それにしても子どもが多いのにも驚いた。演奏者によれば(上演した本人はわからない)、子ども達はみな最後まで真剣に上演に向き合っていたらしい。スタソーマ王の話、わかったのかな?1時間半も上演したのに飽きなかったことだけが幸いである。
 写真撮影禁止の美術館の公演だし、私は上演者なので記録写真はまったくない。ということで公演が終わってからメンバー達と出かけた二軒目のバーで撮影。まあ、今回初めての演目だし、反省することはたくさんあるが、やっぱり終わると、昨日飲んだこの写真の「カシスの水割り」のように、「さっぱりした、ほんのりの甘さ」がぴったりなさわやかな心境である。スタソーマ王はこの先どうなるんだろう?話の続きは山形で・・・ね。