徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

石仏は朝ドラ「ばけばけ」に登場するか⁉

2025-02-27 21:25:55 | テレビ
 昨日は歩いて熊本大学黒髪キャンパスの五高記念館を目指した。漱石関連の展示が行われているとネットで見ていたからである。ところが着いてみると、五高記念館は臨時休館。しかたがないので立田山山麓の父の生家跡(わが家の本籍地)へ向かった。
 父の生家があった辺りは、立田山南麓の「森林総合研究所九州支所」への通路や民家やアパートが建ち並び、僕が幼い頃に見た面影はどこにもない。
 その幼い頃に見た父の生家のイメージが2番目の写真である。もっともこれは京都市右京区嵯峨の祇王寺の苔庭から仏殿を撮った写真なのだが、当時の父の生家はまさにこんな感じだった。


現在の立田山山麓・泰勝寺の南側


祇王寺の苔庭から仏殿を望む

 今秋から放送されるNHK朝ドラ「ばけばけ」はラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の妻をヒロインとする物語だが、ハーンが五高教師時代、度々訪れていたのが小峰墓地。1番目の写真の道路を挟んだ手前側になる。ハーンの作品「石仏」の冒頭の一節がこれである。

--第五高等中学校(五高)の背後にある立田山の一角は――なだらかな丘陵となっていて、小さな段々畑が連なっている――そこに村の小峯という古い墓地がある。けれど、そこはもう使われておらず、このあたりの黒髪村の人たちは今ではもっと離れた区域を墓地としている。村人の畑は、この古い墓地の区域にまでもう迫ってきているように見えた。--

 ここで言う「このあたりの黒髪村の人たち」の一軒が、わが父の生家である。当時はこの地区には十軒ほどの人家しかなかったと父の備忘録に書かれている。そして、小峰墓地には戦没者の慰霊施設ができるため、ハーンが言う「もっと離れた区域」に墓地を移された一軒でもある。

 ハーンが愛してやまなかったのが、小峰墓地の南側の一角に鎮座するこの石仏(鼻欠け地蔵)だった。石仏についてハーンは次のように述べている。

--私の傍には、台座に座ったブッダの像があるが、一六世紀の加藤清正時代の頃のものだという。その思索的な凝視(まなざし)は、半眼の目蓋の間から官立の五高とそこでの喧噪な生活とを見下ろしている。石仏は、危害を蒙っても復讐しない穏やかな人たちの微笑みを表わして完爾(にっこり)としておられる。この表情は仏師が彫ったものではなく、幾星霜も経た苔や埃のためにできたものである。また、その両手も欠けていることに気がついた。私は気の毒に思って、頭部にある小さなシンボリックな突起である螺髪(らほつ)の苔を取り除いてやろうとした。というのは「法華経」の古い経文を思い出したからである。--

 この石仏(鼻欠け地蔵)様がはたして朝ドラ「ばけばけ」に登場するか、要注目である。


ハーンが愛した石仏(鼻欠け地蔵)

花魁道中のはなし。

2025-02-26 21:56:15 | 歴史
 大河ドラマ「べらぼう」の中でも目玉シーンのひとつが花魁道中。
 まずはその撮影シーンをご覧ください。
 ※下の画像をクリックするとInstagramの動画に飛びます。



 NHK大河ドラマの舞台が吉原遊郭であることについては賛否さまざまなご意見があるようです。
 熊本でも春秋のお祭りには「花魁道中」が行われていますが、遊女を主役とするイベントには苦情も多かったようで、運営スタッフの方の悩みをお聞きしたこともあります。最近は各地のお祭りで行われているようですが、華やかなムードを盛り上げるのには格好のイベントになっているようです。
 熊本では、昭和10年(1935)の「新興熊本大博覧会」の際に、二本木遊郭で実際に花魁道中が行われた記録が残っていますが、まもなく戦時体制に入ろうかという時期なので、これが熊本最後のホンモノの花魁道中だったのかもしれません。
 イベントとしての「くまもと花魁道中」のキーワードは「地」。花魁始め振袖新造、禿に至るまで出演者はすべて「地髪」。そしてナマの「地」の演奏(唄・三味線・囃子)が雰囲気を盛り上げます。せっかくやるならできるだけホンモノに近づけようという考え方です。


熊本城城彩苑での「くまもと花魁道中」


今日の「マイ ミックスリスト」から

2025-02-25 21:58:24 | 音楽芸能
 YouTubeの「マイ ミックスリスト」はしばらくチェックしていなかったが、今日はたまたま目にとまったので一覧してみた。相変わらず26曲がリストされていたが、やはり中には「ナゼこれが?」という曲も含まれていた。リストされた曲の中から、今日聴きたいと思った次の2曲を選んで聴いてみた。

1曲目は、NHK総合で放送されている紀行番組「小さな旅」のオープニング&エンディングテーマ曲「光と風の四季」を中島愛実さんのフリューゲルホルンで。

2曲目は、田村麻紀子さんのクラリネット&ヴォーカルと後藤沙紀さんのピアノのユニット「紀々音」で「懐かしのニューオリンズ(Do You Know What It Means to Miss New Orleans?)」

    小さな旅~光と風の四季~

    懐かしのニューオリンズ(Do You Know What It Means to Miss New Orleans?)

鐘ヶ淵のはなし。

2025-02-24 21:54:08 | 歴史
 今日の午後、近場の梅の咲き具合でも見に行こうと歩いて出たのだが、あまりの風の冷たさに心が折れ、車で回ることにした。最近あまり行っていない横手の寺巡りでもするかと妙永寺に車を停めた。その時、ふと「鐘ヶ淵(かねがふち)」のことを思い出した。先日、古地図でその名を見つけた。たしか、妙永寺の裏あたりだったなと歩いていくと旧河道の畔に案内板がすぐに見つかった。
 その昔、ここら辺は井芹川が流れていて大きな淵があり、船着場にもなっていたらしいが、雨乞いの儀式のひとつで鐘を淵に沈める慣わしがあったことから「鐘ヶ淵」と呼ばれるようになったらしい。(詳しくは下の案内板を参照)

 余談だが「鐘ヶ淵」と聞くとテレビ時代劇「剣客商売」を思い出す。主人公・秋山小兵衛の住まいが江戸の「鐘ヶ淵」という設定になっている。「鐘ヶ淵」は隅田川と荒川に挟まれた一帯らしいが行ったことはない。ただ、この時代劇のロケが行われたのは滋賀県の西の湖で、そちらの方は彦根在住の頃、何度も近くを通ったことがある。
 江戸の「鐘ヶ淵」の由来は知らないが、きっと由緒ある来歴があるのだろう。





日曜日の徒ばなし

2025-02-23 17:21:24 | 
 今日は久しぶりに散歩がてら熊本市現代美術館まで行った。
 途中、夏目漱石内坪井旧居に立ち寄って、新年度のイベント計画をたずねたが、館長のお話しでは、予算取得の問題もあり未定であるとのこと。

 上通を歩いていくと「元祖熊本ラーメン こむらさき」の前を通る。この店にも随分来ていないなぁと思いながら、ふと店名の由来にもなったという江戸吉原随一と謳われ、「小紫・権八」の悲恋話でも知られる花魁小紫のことが頭に浮かんだ。「そういえば大河ドラマ『べらぼう』には・・・」と思いかけたが、小紫はたしか、蔦重よりずっと前の時代だったことを思い出した。



 現代美術館に着くと、美術図鑑でも眺めてゆっくりしようと思っていたホームギャラリーはイベント会場になっていた。客席は既に満席となっていたが、立ち見はできそうだったので、イベントを見ていくことにした。「プロジェクト大山」というコンテンポラリー・ダンスのユニットだった。テレビで見ることはあってもナマで見ることはないジャンルのパフォーマンスなので興味深かった。普段見る機会が多い日本舞踊などとつい比較してしまう。最初の演目が終わると突然ジャズライブが始まった。ピアノとヴォーカルだけの「イパネマの娘」を聴きながら、ちょっとシュールな空気感が面白かった。


草の芽の便りきいたか

2025-02-21 20:45:38 | 季節
 わが家の白梅もやっとほころび始め、護国神社の梅園の紅梅は開き始めた。寒波が襲来する中、春はたしかにその歩みを進めている。
 昨年の今頃は、坪井川遊水地の河津桜もだいぶ咲いていたので行ってみた。しかし、まだ蕾は固く開く気配も感じられない。樹下をふと見ると、小さなピンクの花をつけた野草がビッシリ。踏むのが可哀想で足の踏み場を探しながら土手道へ移動した。何という花なのか帰ってからネットで検索してみた。雑草の一種で「ホトケノザ」という名のようだ。と言っても「春の七草」のひとつである「ほとけのざ」とは別種らしい。丸い葉とその上に咲く花の形状を蓮華座と仏像に見立てた名前だという。
ここにも春を迎えて新しい小さな命が芽生えているのである。


護国神社の梅園の紅梅もやっと花開き始めた。


坪井川遊水地の河津桜の樹下に自生する「ホトケノザ」


お国かぶき お江戸デビューの日!

2025-02-20 17:38:45 | 歴史
 江戸時代初期に書かれた史書「当代記」によれば、慶長12年(1607)の2月20日に、お国かぶきは江戸に招かれ、江戸城本丸・西の丸で勧進かぶきを行なった。慶長8年(1603)、京の都で、出雲の巫女であった国と名のる女芸能者により始まったかぶき踊りは大評判となり、その4年後、ついに能・狂言に次ぐ位の芸能として認知されたのである。この1週間前の2月13日からは、同じ場所で観世・金春の勧進能が行われており、お国は能役者とほとんど同格の扱いを受けたという。
 ところで、出雲大社の巫女出身であるという「出雲のお国」の呼び名が一般に定着したのは、なんと明治時代になってからのようで、また、「出雲のお国」というのは舞台での名乗りにすぎず、彼女の出自が本当にそうであったかどうか疑わしいとする説もある。お国が諸国に下った時はその場所に応じて異なる肩書を名乗っていたとする研究者もいる。江戸城での勧進かぶきから3年後、加藤清正に招かれ肥後熊本へやって来た「八幡の国」の名乗りも腑に落ちる。


 昭和時代に活躍した日本画家・森田曠平(もりたこうへい)の作品「出雲阿国(いずものおくに)」の一部

 江戸時代初期、京の都を騒がせていた「傾奇者(かぶきもの)」に扮した男装のお国が史料に基づく風体で描かれている。お国のファッションは今日的な目で見ても洒落ていて、黒塗笠には蒔絵が施され、濃紫の羽織に金襴の襟が映える。紫の帯には小刀を差し、身の丈ほどもある大刀は無造作に肩に担ぎ、腰にぶら下げた瓢箪と印籠にも蒔絵が施されているようだ。そして首から下げた水晶のコンタス(ロザリオ)がいかにも時代の先端を走る「傾き者」の伊達心を表している。森田の美人画の特徴は何と言っても女性の目の鋭さ。

 阿国歌舞伎は大別すると「ややこ踊り」「茶屋遊び」「念仏踊り」の三つが主要な演目だといわれているが、一部の題名や詞章が伝えられているだけで、音楽や舞踊についてはほとんどわかっていない。「ややこ踊り」は初期の演目で若い女性による舞踊。狂言小舞などの中世芸能をもとにしたとみられ、「小原木踊」や「因幡踊」などを演じていたらしい。「念仏踊り」も初期の頃からやっていた演目で、首から提げた鉦を叩きながら念仏を唱え踊る。もともとは仏教の行を芸能化したもの。「かぶき踊り」はまさにお国が今日の歌舞伎の祖たる所以となった芸能。お国が男装して「傾奇者」に扮し、茶屋に遊びに行くという寸劇。それを迎える「茶屋のおかか」は男性が演じ、性が倒錯した不思議な世界が展開するというもの。

阿国歌舞伎の「念仏踊り」を創作舞踊「阿国歌舞伎夢華」の中で長唄舞踊化

瞳を閉じて

2025-02-19 17:09:12 | 音楽芸能
 昨日のブログ記事「マラソン大会を支える医療救護体制」に、かつて五島列島でお医者様をされていた方にコメントをいただいた。その中に、奈留島にいた頃、「五島長崎国際トライアスロン」の救護班として会場の福江島に渡ったエピソードが書かれていた。
 奈留島や福江島など五島列島には行ったこともないのに、何だか懐かしい気がした。それはきっと荒井由実時代のユーミンが作った歌「瞳を閉じて」のせいだろう。この歌が作られて既に50年ほど経っているが、ユーミンがこの歌を作ったのは、当時ユーミンがDJをしていた番組に送られたリスナー(奈留島に住む女子高生)からの依頼に応えて作った高校の愛唱歌だったのだが、そのエピソードを紹介したドキュメントを何度か見て以来、この歌を聞くと、行ったこともない奈留島が頭に浮かんでくるようになった。この歌は今では音楽の教科書にも載っているそうである。ユーミンは、優しい潮風に包まれる美しい風景とともに、そこを後にして都会に出てゆかなくてはならない高校生たちへの思いを込めて作ったそうだ。


マラソン大会を支える医療救護体制

2025-02-18 16:39:57 | スポーツ一般
 14,200人が参加した今年の「熊本城マラソン2025」も一応無事に終わった。毎回、力走する選手たちを沿道で応援しながら、気になるのは心肺停止などの事故が起きていないかということ。過去の大会でもランナーの心停止等の事例が発生している。
 NHKニュースWEBの情報では、ランナー8人と沿道にいた2人の合せて10人が、脱水症状や低体温症などの症状を訴え病院に搬送され、このうち40代のランナー1人が一時、心停止の状態に陥ったものの、その後回復し、命に別状はないという。体力の極限を試すマラソン競技に事故はつきもの。より完全な医療救護体制を追求して行ってほしいものだ。


激しいトップ争いをする阿部飛雄馬選手と古川大晃選手(細川刑部邸前)


リタイアしたランナーたちを収容して救護施設へ搬送するバス。


マラソンコース上を自転車でAED携帯して巡回するモバイルAED隊。他にコース上の定置AED隊もあり。

ひえつき節

2025-02-16 21:08:55 | PC
 今日、NHK総合で放送された「民謡魂 ふるさとの唄」は宮崎県延岡市から。大分や熊本、福岡など九州各県の唄も披露されたが、最も印象深かったのは有田伊津美さんが唄った「正調ひえつき節」。宮崎の代表的な民謡である。
 実は「ひえつき節」が初めて電波に乗ったのは、昭和3年6月16日に九州初の放送局として開局した熊本放送局(現NHK熊本放送局)の特別番組で九州各県の民謡が紹介され、椎葉村の男性らが披露したのが最初だという。当時はすべてナマ放送なのでさぞや緊張したことだろう。その後、昭和8年に宮崎の観光振興の一環として民謡レコード1号として吹き込みが行われたそうである。
 「ひえつき節」は、壇の浦の合戦で敗れた平氏が、今の宮崎県椎葉村に落ちのびて隠れ住んでいたところ、平氏追討にやってきた那須大八郎と集落の鶴富姫との悲恋を歌った歌。古からの伝説をもとに歌詞は昭和になってから作られたそうだ。


上の画像をクリックするとNHKアーカイブスの「稗搗(ひえつき)節」が開きます。

2015.5.16 熊本城本丸御殿 春の宴
振付:中村花誠
立方:中村くるみ

米価高騰が続く中で…

2025-02-15 22:48:46 | ニュース
 米価の高騰が続く中、農林水産省は政府の備蓄米21万トンを放出する方針を固めたと報道されています。今後の価格の動向が注目されます。
 これまでの米価の高騰に対し、農林水産省は「無策」だったと言わざるを得ません。判断の遅れは今後も尾を引きそうな気がします。

 YouTubeマイチャンネルに2年前に投稿した「米節(宮城県民謡)」にある視聴者の方から下記のようなコメントをいただきました。胸に迫るものがありました。

🎶(動画)アップをして下さり有り難う御座います。数年前に他界した母が大好きだった歌です。よく口ずさんでいた姿を思い出します。昨年の悪天候の影響で今年は米価格が高騰しておりますね。この歌がより一層心に染みます。全国各地の生産者さんの皆様の御苦労がどれ程有り難いことか…若者達の心にも響いていることでしょう。今年こそは例年通りの豊作を祈るばかりで御座います🌾🍙🍚


梅は咲いたか 熊本どぎゃん⁉

2025-02-14 21:15:25 | 熊本
 昨日今日と好天が続いたので、そろそろ梅の花も開き始めたのではないかと期待しつつ散歩に出かけた。とりあえず、護国神社を目指し熊本城二の丸広場へ着くと、明後日の「熊本城マラソン2025」大会本会場としての準備がすっかり整っていた。もちろん当日は観戦に来るつもりだが、天候が心配だ。


 護国神社に着くとさっそく梅園を一本一本見て回る。しかし、蕾はだいぶ膨らんだものの開花は見られない。境内に入ってみると、一本だけ開花し始めていた。例年早咲きの木なのだが、開花が早かった年に比べると、ちょうどひと月遅れか。


 夜はKKT熊本県民テレビの「くりぃむしちゅーの熊本どぎゃん⁉」を見る。上田晋也が世界に自慢したい熊本のスゴイ企業を訪問する企画で、今回は熊本市西区の熊本製粉へ。県内最大級の製粉工場を見学した後、粉のスペシャリストたちと上田提案のオリジナルうどん麺を開発することに。
 この会社は55年前、僕が転職し、再スタートを切った思い出の会社。懐かしかった。


稲葉内記の配流屋敷

2025-02-13 22:54:15 | 歴史
 ブログ「津々堂のたわごと日録」さんの昨日の記事「春日局の息・稲葉内記の配流屋敷」には強い興味を抱いた。大まかに言うとこんな内容だった。
 徳川3代将軍家光の乳母であり、大奥を任せられて権勢をふるった春日局(かすがのつぼね)。その実子・稲葉内記正利は仕えていた徳川忠長(家光の弟)の素行不良による改易に連座して罪を負った。春日局と親しかった細川忠利が藩主を務める肥後熊本へ配流となった。最終的に配流屋敷となったのが京町の赤尾丸城跡付近の屋敷。ここは西に金峰山を始め西山の山並みを望む小高い丘の上。すぐそばには加藤清正の殯の丘もある。

 津々堂さんは以前から配流屋敷の位置を調べておられたらしいのだが、最近、江戸前期の「京町之絵図」でその位置を確認されたという。記事に貼られた「京町之絵図」を拝見し、赤枠で示された「稲葉内記の配流屋敷」の跡を現地で確認したいと思った。最初は「京町之絵図」の「稲葉内記の配流屋敷」と「京町番所」周辺の空堀との距離から、もっと北の方かと思ったが、絵図上の赤尾口の坂と思しき道や赤尾丸城跡との位置関係を見ながら、民家が建て込んだ周辺を歩いてみた。痕跡らしきものは何もないので、おそらくこの辺だろうと見当をつけていると、地区の住民の方に出会ったのでおたずねしてみた。予想どおり「稲葉内記の配流屋敷」など初耳だと言われた。
 わが家の近くにもまだこんな歴史が埋もれていることに驚くとともに、新たな興味が湧いて来た。


赤尾丸城跡から北西方向を望む


春は嬉しや

2025-02-12 19:47:05 | 音楽芸能
 今日の雨で今冬の寒さも峠を越したのかもしれない。わが家の近辺はいまだ梅も花開かないし、昨年は今頃既に開き始めていた河津桜もまだ蕾が硬いようだ。今週末には熊本城マラソン2025も控えている。せめてランナーたちに開き始めた梅の花を見て心和ませてもらいたいものだ。
 この季節になると決まって聞きたくなるのが端唄「春は嬉しや」。と言ってもこの唄は春夏秋冬の恋模様を唄っている。春が出だしなので春の唄のイメージが強い。「話を菊の花」や「気を紅葉(もみじ)」などの掛詞(かけことば)を使ったり、「花見、鳴海、月見、雪見」と韻を踏む歌詞があったりして洒落ている。この動画は今から15年前の映像で、立方の「ザ・わらべ」はまだ中学生と小学生だった。注目は地方のメンバー、熊本を代表する邦楽演奏家が揃っている。仮設の舞台が設えられているのは坪井川に沿った熊本城長塀前で、熊本地震以来、この一帯は立入規制エリアである。早い復旧が望まれる。
※右の絵は鈴木春信の「夜の梅」


菫(すみれ)の俳句

2025-02-11 19:56:34 | 文芸
 フォローさせていただいているブログ「ころころの毎日が俳句・ハイク」さんは、いろんな方が詠まれた俳句を季節季節に応じてまとめて紹介されるので楽しみに拝見している。今日掲載されたのは春の季語「すみれ」を使った俳句21句。
 そのなかで僕が好きな句を二つ選んだ。

  野すみれの咲くや馬籠の石だたみ   白鳥光江
  神宿る小さき棚田や花すみれ     栗田やすし

 いずれもハッキリと映像が目に浮かぶところが選んだポイント。

 「すみれ」を季語とした俳句で有名な作品のひとつに夏目漱石が熊本時代に詠んだ

  菫程な小さき人に生まれたし

がある。

 2016年の「漱石生誕150年、来熊120年」に当り、熊日新聞に掲載された「熊本の漱石」と題する著名人のコラムの中に、テレビの俳句番組で著名な夏井いつきさんのコラムがあった。夏井さんは次のように述べている。

--漱石の俳句でいちばん好きなのは、熊本時代に詠んだ「菫程な小さき人に生まれたし」です。こういう独白が作品になりうることと、そのかれんな心根に、衝撃を受けました。澄み切った感性が漱石という人間をぴーんと貫く核だったのかと思うと、猫でも坊っちゃんでもない漱石像が見え、惚れ直しました。--


漱石記念緑道(京陵中学校前)の漱石句碑