1月14日(土)
射水神社の左義長(射水の火まつり)が、今日午後6時から始まりました。
我が家のしめ飾りや、古いお札、お守りなどを持ち、左義長のお焚ききあげに間に合うようにと
午後3時ごろ、射水神社へ出向きました。
すでに境内には大きな左義長が青竹で組まれていて、
持ち込まれたしめ飾りなどが、中へ入れられていました。

私も、袋のまま中に入れ、お賽銭を入れ、災厄払い、無病息災をお願いしてきましたが、
沢山の人たちが次から次へと訪れていました。
参道には、香具師も5~6軒並び、賑わっていました。

左義長に火が入れられるお焚き上げは、十数年前に一度だけ
見物したことがありますが、とても厳粛な雰囲気の火祭りでした。
私の子供のころ、左義長は小正月の楽しい行事でした。
田舎だったので、大人たちは田んぼに左義長を立てました。
子供たちは寒い雪道を、各家々を回って、燃すためのしめ飾りやお札などを集めました。
村中の大人や子供たちが左義長の周りを取り囲むと火が入れられました。
子供たちは、自分たちの書いた書初めを持ち寄り、燃え盛る火の中へ
書初めを放り込み、燃えた紙が高く立ち上るのを願いました。
高く上がれば、字が上手になると言われたからです。
また、お餅を火の中に入れ、黒く焦げた餅を食べると、風邪をひかないと言われたりもしました。
数十年も前の懐かしい思い出です。
現在は、田舎でも田んぼでの左義長は行っていないと思います。
神社を後にし、公園の中の梅園をのぞいてみました。
まだまだ梅の季節には程遠いのですが、よく見てみると、
「トウジ」という早咲き種の白梅が、ちょっぴり白く膨らんでいました。

まだまだ春は、はるか遠くのようです。
射水神社の左義長(射水の火まつり)が、今日午後6時から始まりました。
我が家のしめ飾りや、古いお札、お守りなどを持ち、左義長のお焚ききあげに間に合うようにと
午後3時ごろ、射水神社へ出向きました。
すでに境内には大きな左義長が青竹で組まれていて、
持ち込まれたしめ飾りなどが、中へ入れられていました。

私も、袋のまま中に入れ、お賽銭を入れ、災厄払い、無病息災をお願いしてきましたが、
沢山の人たちが次から次へと訪れていました。
参道には、香具師も5~6軒並び、賑わっていました。

左義長に火が入れられるお焚き上げは、十数年前に一度だけ
見物したことがありますが、とても厳粛な雰囲気の火祭りでした。
私の子供のころ、左義長は小正月の楽しい行事でした。
田舎だったので、大人たちは田んぼに左義長を立てました。
子供たちは寒い雪道を、各家々を回って、燃すためのしめ飾りやお札などを集めました。
村中の大人や子供たちが左義長の周りを取り囲むと火が入れられました。
子供たちは、自分たちの書いた書初めを持ち寄り、燃え盛る火の中へ
書初めを放り込み、燃えた紙が高く立ち上るのを願いました。
高く上がれば、字が上手になると言われたからです。
また、お餅を火の中に入れ、黒く焦げた餅を食べると、風邪をひかないと言われたりもしました。
数十年も前の懐かしい思い出です。
現在は、田舎でも田んぼでの左義長は行っていないと思います。
神社を後にし、公園の中の梅園をのぞいてみました。
まだまだ梅の季節には程遠いのですが、よく見てみると、
「トウジ」という早咲き種の白梅が、ちょっぴり白く膨らんでいました。

まだまだ春は、はるか遠くのようです。
左義長って?って何だろうと思いましたが
どうやら私の田舎山梨では1月15日に同じような行事をしていました。
私の田舎ではどんど焼きと云ってました。
内容は同じですがこの火で枝の先に刺した団子を焼きます。
そしてお獅子舞が各家を訪問して家の中で踊ってくれるのですが
子供の頃この獅子が怖くって逃げ回ったものでした。
今はやる人もなく殆どこの様な行事は無くなっていると思います。
何だか懐かしくて、今そのどんど焼きのお団子が食べたくなりました。
こういう素朴な行事はいつまでも残しておいてほしいですね。
夫が行きますので、私は行ったことがりません。
梅のつぼみ、だいぶ大きくなっていますね。
こんなのを見ると、嬉しくなります。
早く、春が来ないかな~。
言われてますね。
田舎の素朴なものは、無くなりつつありますが、ここ高岡は、射水神社の神事として、毎年
行われているんですよ。
笹竹の先にお団子でしたか。
口の周りを黒くして食べましたね
近くの児童公園でも、15日に左義長を
行っているんですが、私は毎年、射水神社へ
行くことにしています。
公園内の散歩を兼ねて。
紅梅も小さな固い蕾を沢山つけていました。
ほんの少し、心が和みました