福井のむかし話/福井のむかし話研究会編/日本標準/1977年
庄屋さんが村を歩いていて、今にも息を引き取りそうな病人を見つけ、だれか世話をしてくれる家をさがしますが、あしたは正月。どこにもひきうけてくれる家がなく、庄屋は米五升を出すからと、貧乏で難儀をしている家に頼みます。
正月の支度もままならないその家では、土間にわらをしいて、病人をねかせ、その上にコモを着せて休ませた。かつぎこまれた病人のことを思えば、たとえ貧乏で難儀していても、けっこうなことだと思わなばならないと納得した夫婦。
正月の朝、もう病人が息をひきとってしまったかと思いながらそばにいってみると、かぶせてあったコモが、むくんとかさが高くなっているので、ゆうべのうちに死んでしまったかもしれないと、コモをあげてみると、千両箱がいくつも積み重なっていた。
庄屋さんのところにいくと、いきなり、「病人は死んだか!」と早合点し、「死んだやろうなあ。正月三が日はそうしきだせんから、三日たつまで、死んだ人をあずかっておいてくれ。米をもう一俵だすから、それでそこそこのそうしきをやってくれんか」という。
かくさずに、今朝からのことをゆっくり話した夫婦が、「お米も金もいりません。」というと、庄屋はなんと正直なことかと感心しました。
金持ちになったこの家では、毎年暮れの大みそかの夜は、土間にわらをしいて、コモを頭からかぶり、ねぞめをするようになったとさ。
情けは人の為ならずです。
物価高、新型コロナ、戦争、軍事費増強といいことのなかった今年。来年こそはウクライナの子どもに笑顔がもどりますように! 2022年の暮れに