フイリピンの昔ばなし/カラオの洞窟/荒木博之・編訳 三谷靭彦・絵/小峰書店/1989年
家に帰るまで同行させてほしいと老人にたのんで、いっしょに歩きはじめたイニーゴ。
家は遠いかとたずねると、四十キロいったところだと老人がいうと、イニーゴは、「なんとかその道をみじかくできんもんですか」といいました。
こんなやりとりがつづいていきます。
イニーゴは傘を持っていましたが、涼しい木陰につくと、わざわざ傘を頭の上にさしかけ休みました。
またイニーゴは、靴を肩にかけ道中はだしで歩いていましたが、川をわたるとき、その靴をはきました。
イニーゴは、死んだ人を担架にのせてやってくる一行にあうと、「おじいさん、あの人は生きているんですかい?」とたずねました。
田植えをしているひとにあうと、「米を食べちまって、それでも米をうえているんだね」
老人はイニーゴの言っていることが意味不明で、なんでおかしな男だろうと思いながら家にたどり着きました。イニーゴは、「お宅へ、よってもいいですか」といい、昼ご飯をテーブルに並べる手伝いをしました。イニーゴは、にわとりの蒸し焼きを四つの皿に切ってわけました。頭と脚を人一つ目の皿にのせ老人に、胸肉をのせた皿はおくさんに、羽をのせた皿は、娘のシリアカに、そして四つ目のモモ肉ののせた皿は、自分の前に置きました。
老人は、イニーゴのやったにわとりの分け方が気に入らず、シリアカが皿を洗っている台所へいって文句を言いました。イニーゴを気に入っていたシリアスは、イニーゴの行動をあざやかに解明します。
まずは、老人が気に入らないというにわとりの分け方。
頭と脚を老人にあげたのは、一家の頭だから。胸肉をおくさんにあげたのは、一家の母だから。羽をわたしにくれたのは、あたしが一家の使い走りであちこち走り回るから。イニーゴがもも肉を残しておいたのは、お客さん用と映っているから。
「遠すぎるから道を短くできないか」というのは、「面白い話をしてくれませんか」という意味で、そうすれば長い道のりでも短く感じられるから」
「木陰で傘をさしたのは、枯れた木の枝が落ちてきて、頭にけがでもしないように」
「川をわたるとき、その靴をはいたのは、とがった石などがあるから、けがをしないように」
死んでいる人をみて、「あの人は生きているんですかい?」とたずねたのは、「その人の魂が生きているかって聞いたのよ」
「米を食べちまって、それでも米をうえているんだね」というのは、この頃の田植えの仕方を皮肉ったもので、「人をやとって金を払うでしょう。稼ぐまえからお金を使ってるっていうことなの」
日本の昔話にでてくる馬鹿息子は、さいごまでパッとしないのですが、このような解明だと、あとあじもすっきりです。