徳島のむかし話/徳島県教育会編/日本標準/1978年
徳島にはタヌキ合戦が似合いそう。
小松島に、あまり繁盛していない和屋という染物屋があった。ある日、店のもんが、タヌキの穴をみつけ、けむりでいぶし出して、タヌキ汁にして食おうと騒いでいた。しかし、店主の茂右衛門は、優しい人で、苦しがっているタヌキをたすけ、毎日えさをやっていた。タヌキはご恩返しをしたいと、小僧さんに化け店で働くようになった。小僧さんの手にかかると、いまでみたことのないようなみごとな染物があがるようになり、店の客も増え、繁盛するようになった。このタヌキは金長ダヌキというタヌキ。
金長ダヌキはうらないいまでやって、これがなんとまあ、よくあたったので、遠くからでもわざわざ訪ねてくるようになり、茂右衛門は、庭に正一位の旗をたててやったそうな。
とろろが、タヌキの世界にもいろいろあって、総大将といってタヌキのなかでいちばんりっぱなタヌキのところで修業しないと、正一位は名乗れなかった。それで金長は、津田の総大将六右衛門ダヌキのところへ、修業にでかけた。
六右衛門ダヌキは、精出して修業した金長に、「むすめ、鹿ノ子のむこになり、総大将のあとつぎになってくれ。」というが、金長は、「大和屋の主人は命の恩人、大和屋へ帰る。」と、断った。これまで、なんでも思い通りにしてきた総大将六右衛門は、若い金長ごときに断られたとあって、ひどく腹をたて、夜討ちはかった。金長は、命からがら小松島に逃げ帰った。
ところで、鹿ノ子姫は、そのご三日三晩嘆き悲しみ、とうとう自殺してしまった。六右衛門は、鹿ノ子姫の髪を切り、それをうばに持たせて、金長のところまで届けさせた。このひどいしうちに怒った金長は、津田の六右衛門をせめた。阿波のタヌキどもは、若くて力のある金長と総大将六右衛門の二つに分かれて、津田のあたり一帯を戦場として、一大合戦をくりひろげた。これが阿波のタヌキ合戦ちゅうんだと。六百ものタヌキが、夜通し戦ったので、村の人たちは寝るに眠られず、布団を頭からかぶり、おののき震えていた。朝になると、タヌキの死体が、あっちこっちに、ちらばっていた。
この合戦で、総大将六右衛門は死んでしまい、金長もそのときの傷がもとで、間もなく死んでしまった。あとに残ったタヌキたちが話し合って、なかよく暮らそうと約束したので、それからは、タヌキの世界も平和になったんだと。
金長タヌキは、1994年スタジオジブリの「平成狸合戦ぽんぽこ」に、六代目として登場する。