ゴハおじさんのゆかいなお話/千葉茂樹・訳/徳間書店/2010年初版
何百年もエジプトで愛され続けているというゴハじいさんの話。まぬけ、がんこで、ときにはかしこいゴハじいさんです。エジプトの職人さんの布製画という珍しい挿絵が入っていてゴハおじさんの人気のほどがうかがえます。
<ゴハおじさん、強盗にであう>
ゴハおじさんが、町はずれの道で、二人ずれの強盗にであいます。おじさんはお金を全然もっていなかったが、ないというとナイフで刺されるかもしれないと思い、お金をたんまり持っているという。そして、お金は二人のどちらかにあげたいというと、二人は大声ではげしくののしりあい、なぐったり、けったりの喧嘩になってしまいます。
ゴハじいさんはその場をそっと逃げ出します。
冷静な判断力があるゴハじいさんです。
<だんまりのゴハおじさん>
日本だけでなく多くの外国にもある類似の話です。
ロバに、どちらがえさをやるかでいいあらそったゴハおじさん夫婦。先にしゃべった方がえさをやることに。
ゴハおじさんの家に泥棒がはいりますが、ゴハおじさんは泥棒をみているだけ。泥棒がゴハおじさんのかぶっているターバンをとってもだまったまま。
泥棒と入れ替わりに入ってきたのは、おくさんから身振り手振りで頼まれたスープをもってきた、友達の息子。
ゴハおじさんは返事をしません。身振り手振りで泥棒がっ入ったことを伝えようと自分の頭をゆびさします。すると男の子は頭にスープをかけてほしいと思い込み、そのとおりにします。あついスープが顔を流れ落ちます。
かえってきたおくさんが、ゴハおじさんの顔を見て「いったいぜんたい、なにがあったんです!」というと、ゴハおじさんは勝利宣言。「わしの勝ちだ! さあ、ロバにえさをやってきておくれ!」
<ゴハおじさんと三人の賢者>
「この町には、どんなむずかしい質問にもこたえられる、かしこい人がいますかな」と、三人の賢者からたずねられた領主。
ここでゴハおじさんの出番です。
三人の賢者の質問は?
「地球のまんなかは、さてどこでしょう?」
「空にはほしがいくつあるのでしょう?」
「わたしの頭に髪がなんぼんはえているかおしえてくだされ?」
この質問に答えられたら、あなたも昔話の主人公になれそうですよ。
「まともにに答えられない質問には、どんなふうに答えても、正解なんですよ!」と、ゴハおじさんなかなかユニークです。知恵をほこる賢者は何を考えたでしょうか。
子どもつなひき騒動/宝井 琴調・文 ささめや ゆき・絵/福音館書店/2017年
講談絵本とあって、読んでいると講談の名調子がそのままつたわってきます。
小間物屋の若狭屋甚兵衛に離縁されたお里さんに生まれた女の子。名前は花。甚兵衛さんが実の父親です。
甚兵衛さんは、お絹さんという女の人といっしょになりましたが、お絹さんはこどもに恵まれません。
ある日、お花が熱を出しますが、高い薬を買うお金がありません。やむをえず、若狭屋にかけこみますが、お金を貸してもらう代わりに、こどもを引き取るのが条件。助けたい一心から、お里さんは条件をのみます。
しかしどうしてもあきらめきれないお里さんのところへ、目にいっぱい涙をためたお花がやってきます。
お里さんは手をつけずにいたお金を若狭屋にかえし、お花と暮らす道を選びますが、これに納得しないお絹さんは奉行所に願い出ます。
ここで大岡越前守の登場です。
両者に子どもの手をひかせ・・・。
こどもの手をひきあうのは、生みの親と育ての親というのが多いのですが、子を手離した母親のところへ、母親が恋しい子がたずねてきて裁判沙汰になります。
以前はラジオで講談を聞く機会があったように思いますが、最近はほとんどきくことができません。
「これにて一件落着・・」の名セリフ、もう一度聞きたいですね。
お絹さんが五歳になったお花をひきとりたいと、手代をお里さんに使いにやりますが、この手代がいうセリフは、講談ならではでしょう。
オバケやかたのひみつ/大島 妙子:作・絵/偕成社/2001年
オバケが大好きなマイケル君がダンボールで作った古いおうちの模型をみつけ、部屋の窓辺に置いておくと、満月の夜ふしぎなことがおこります。
模型に、明かりがついているのです。恐る恐るのぞいてみるとオバケがいっぱい。
みんなで掃除しています。マイケル君に気がついたオバケが、目をつぶってゆびをだしてごらんといいます。
マイケル君の指にオバケが触れると、マイケル君は入れるわけがなかった模型のポーチにたっていました。
模型はオバケやかたでした。やかたの中はどこもかしこもピカピカ。マイケル君とオバケはお風呂に入ったあと、オバケは料理を作りはじめます。
オバケたちの食卓には、パンやトースト、チキン、ホットドッグ、魚、さらにはリンゴ。楽しいのは自動でそそぐコップまで。
オバケと一緒に遊んだマイケル君は大満足。マイケル君がもとのおおきさにもどると、オバケは「次の 満月の夜に・・」といって、空に飛んでいきました。
最初のページにオバケに囲まれているマイケル君の部屋がでてくるのですが、これが賑やか。ひとつひとつみていくだけでも楽しい。
ダンボール箱にはTOMという建築家のお父さんのイニシャル。子どものころ同じ体験をしたのでしょうか、次の満月によるお父さんとマイケル君は、オバケ屋敷をピカピカにみがいて、二人並んでワクワクしてオバケをまちます。二人だけの秘密かな? お母さんはどうしていたのでしょう。
オバケ屋敷の中はカラフルですが、そのほかは抑えた色使いです。
かみなりむすめ/斎藤 隆介・作 滝平 二郎・絵/岩崎書店/1988年初版
かみなりむすめのおシカは、下界の子どもとセッセッセあそびをしたくてたまりません。
おっかあからとめられても、ある日、おシカは、ツノをみじかい髪でかくし、雨の ほそびきをスラスラ下界にくだっていきます。
知らない子とは遊ぶなと言われていた村の子は、一緒にあそぶのをいやがりますが、たった一人、十ほどの茂助が、泣いているおシカに手を差し伸べます。
ところがそのとき稲妻がヒカヒカヒカッとひかります。おっかあが よんでいたのです。
雨がザアザアふるなか、茂助は近くの森の中の隠れ家で、おシカのぬれた髪と顔をふいてくれます。
こんななかでもセッセッセ遊びをしたいというおシカ。
手の甲をチョンチョンと うちあわせしているとわせ おシカの目からポロポロッと涙が。手をうちあわせごとに茂助のやさしさが しみとおって きたのでした。
そのとき、バリバリバリ ダーンッと火柱がたち、綱で下がっている大きなカギがおりてきておシカは空高くたぐりあげられてしまいます。
一期一会のであいで、やさしさを知ったおシカ。かみなりおやじから おしおきをうけても かなしくはありませんでした。
たった一度のであいでも、ずーっと残る思い出があります。オシカも立派なかみなりになるにちがいありません。
下界にいったおシカを心配して泣いたおっかあ、優しく遊んでくれた茂助に、小判をプレゼントするかみなりおやじ。親の子を思う姿は、かみなりでも同じです。
ほかの作品同様、滝平さんの切り絵に魅了されました。
スイミー 小さなかしこいさかなのはなし/作・レオ・レオニ 訳・ 谷川 俊太郎/好学社/1986年
保育園の子どもが大好きというので、図書館から借りてきました。小学校の教科書にものっていて、よく知られている絵本のようですが、原著は1963年の発行で、時代の差で縁がありませんでした。
ちいさな赤い魚の兄弟たちのなかで、1匹だけ からすがいよりも真っ黒な「スイミー」。
楽しく暮らしていたスイミーたちでしたが、ある日、大きなマグロがやってきて、兄弟の魚たちを次々に飲み込んでしまいます。泳ぐのが誰よりも速かったスイミーだけは、なんとか逃げのびます。
一匹だけいきのこったスイミーは、ひとりぼっちで暗い海のなかを泳ぎます。
孤独だったスイミーは、海の中ですばらいものをたくさんみつけ、だんだん元気をとりもどしていきます。
であったのは「虹色のゼリーのような くらげ」「水中ブルドーザーみたいな いせえび」「ドロップみたいな岩からはえている昆布やわかめ」「桃色のやしの木のようないそぎんちゃく」。
海の岩陰に自分とそっくりの小さな魚の兄弟を見つけ、一緒に遊ぼうとよびかけますが、小さな赤い魚たちは「大きな魚に たべられてしまうよ」と、岩陰からでてきません。
スイミーはいろいろ考え、うんと考えます。
そして、みんなで 一緒に海で一番大きな魚のふりをして泳ぎ、大きな魚を追い出します。
どのページも右と左をあわせ一画面になっていて、落ち着いた色合いが特徴的です。教科書では、絵はほんの一部でしょうから、この風合いは感じられないないでしょう。
海は、ときに津波のように襲い掛かりますが、一方では豊かな恵みをあたえてくれる存在。谷川さんの訳で、スイミーが海で出会う生き物が、生き生きと表現され、スイミーの孤独を救ってくれる海の豊かさも実感することもできました。
一匹だけ黒いスイミーですが、ほかの魚と違っててもいいよというのは人間もおなじです。
ほんとのほんとのむかしばなし―中国の寓言集 (1)ファン・イーチュン・再話 チャン・シーミン・絵 君島久子・訳/ほるぷ出版/1985年
ほんとのほんとのむかしばなし―中国の寓言集 (2)ツオ・ニイ・再話 テイエン・ユアン・絵 君島久子・訳/ほるぷ出版/1985年
日本で使われている故事成語は中国経由。小さい子でも言葉の意味を楽しめながら理解できる絵本です。
・まちぼうけ
北原白秋作詞、山田耕筰作曲の童謡を思い出しました。
百姓が野良仕事をしていると、切り株ではなく大木にうさぎがぶつかって、ころりと死んでしまいます。
味をしめた百姓は、それから毎日、木の下でうさぎをまったが、まってもまってもうさぎはきません。
みんなは、これをみて、とてもおろかと百姓を笑います。
絵本らしく、百姓の夢にはうさぎがどっさり、小鳥もおろかな百姓をみつめています。
中国の法家の思想書の一つ『韓非子五蠹篇』の中にある説話「守株待兔」から録られたものであり、本来は、古い習慣に確執し、全く進歩がないこと、また、臨機応変の能力がないことの意味であり、韓非はこの説話を、古の聖人の行ったような徳治を行うべきだという儒家の主張を批判し、「昔の統治方法をそのまま用いるのではなく、時代に合わせて変えるべきだ」という文脈で用いたとありました。
・笙の名人
「わたくしも笙の名手です」とやってきた南郭先生。斉の国の王さまはよろこんで、この人を楽隊にいれます。ところが王さまが亡くなって、王子が国王になったとき、楽隊の名手に笙の独奏をさせます。
先生の番になって、どんなすばらしい演奏を聴けるかみんながまっていると・・・。
竜がかざられた御殿、笙がどんなものかなどが一目瞭然。楽隊のメンバーはみんな髭をはやしています。
・矛盾
矛と盾を売っている男が、盾はどんなするどい矛でもつきやぶることはできない、矛はどんな丈夫な盾でもつきやぶってしまうと自慢していると、ひとりが、お前の矛で盾をついたらどうなる?と聞くと・・・。
男の口上を真剣に聞く人々と、矛盾することを指摘された男のしょんぼりした様子は、絵本ならではです。
中国の法家が儒家の思想を批判するため主張したたとえ話。
・一挙両得
トラがネコのようです。
・流言は人をまどわす
ウソも繰り返されるとホントになるからおそろしい。
・蛇足
蛇の絵をはやくかけたものが酒をのむことにし、人々が、蛇の絵をえがきはじめます。
一番早く書き上げた一人が足までかいていると、次の男がかきおえ、蛇には足がないと酒を飲みます。
おいしそうな酒つぼ、女の人もいます。
「笙の名人」というのは、あまり聞いたことがありませんが、そのほかはよく知られている故事ばかりです。
このシリーズは六巻ありますが、再話と絵の作者は各巻ことなっています。
コーベッコー/スズキ コージ/BL出版/2017年
「おひさまのほっぺをキンセイがつうかし そのキンセイがちきゅうのたつのおとしごのコーベッコーのやまにおっこちてきて」・・・。
これはなに?とおもっていると、コーベッコーというのは神戸のこと。
神戸はたつのおとしご?
とにかくスズキワールドのカラフルな絵に圧倒されます。
ヌノビキイ、キタノンザカ、イカリやまというのは神戸の地名でしょうか、港神戸の夜景と星空にうっとりです。
大草原に語りつがれるモンゴルのむかし話/Chチメグバータル・監修 籾山素子:訳・再話 藤原道子・絵/PHP研究所/2009年
みなし子のブシという少年が、湖で矢一本で鳥をなんと312羽も射止め、王さまの娘をお嫁にもらおうと、その鳥を宮殿にもっていきます。
ところが怒った王さまは、ブシの手、足、目を一本ずつ抜き取って無人の荒野に捨ててしまいます。
いきなり嫁にほしいといわれてカンカンになったのもわかるが、手荒すぎます。
ところが、昔話には救い主があらわれるのがあたりまえで、夢の中に真っ白なひげをはやしたおじいさんがあらわれ、気を失った少年の胸を白銀の杖で2,3回たたき、少年が目を覚ますと、手足は元通りに治っていました。そのうえ、こらしめたい人には「くっついてしまえ!」、許してよいときは「はなれろ!」という呪文まで言い残していきます。
家に帰る途中呪文の効果も確認し、王さまに仕返しをするため、王さまと妃をベッドごと、地面にくっつけてしまいます。
家来が大騒ぎし、助かる方法を探しますが、うまくいきません。
ブシは、りっぱなシャーマンをつれてきますと、シャーマンのいる国にでかけ、一緒に自分の国に帰ってきますが、シャーマンからきずかれそうになり、用を足そうとしたシャーマンの尻を地面から離れなくしてしまいます。
いよいよ宮殿に着いたブシは、王さまとお妃を元通りにし、王さまの末娘をお嫁にもらいます。
みなし子がしあわせになるという逆シンデレラ物語。矢一本で何羽もの鳥を射止めたり、手も足も一本になってもすぐに元通りになるあたりは昔話の世界です。
シャーマンのお尻が地面から離れたかどうかは、タイムマシンで現地までいかないとわかりません。
昔話のさまざまなキャラクターも楽しみの一つです。
・モンゴルの昔話(大草原に語りつがれるモンゴルのむかし話/Ch.チメグバール監修 籾山素子 訳・再話 藤原道子 絵/PHP研究所/2009年初版)にでてくるショルマスは、脚注によると女の妖怪で、灰色の髪、きばのある大きな口をもって老婆の姿として描かれるそうである。日本語に置き換えられる適当なものがないので、そのままショルマスとされたもののようである。
「ガハイ・メルゲン・オトチ」という話では、王さまの妃としてあらわれるので、姿もかえられる存在です。
また「イフアリムとバガアリム」では、兄がショルマスにだまされて食べられてしまい、弟も飲み込まれしまいますが、弟は隠し持っていたナイフで胃袋を切り裂き、兄弟が助かります。
もうひとり、パダルチンというのは、お坊さんのようなかっこうでお椀をもち、人々から食べ物をめぐんでもらいながら、王さまや領主をとんちでやりこめます。
「道で出会ったパダルチン」では、威張り散らす領主から、「茶碗は、まるで井戸のようだ」といわれると「領主の井戸が わたしの茶碗のようなら 領主の馬はネズミみたいに小さいだろうな」と答え、「こいつのぼうしは屋根みたい」には「屋根がわたしのぼうしのようなら、領主の館は、まるでちっぽけな玉っころじゃないか」ときりかえします。ただ、正反対のことをいわれ、もっと大きなものでやりかえすのはすぐには、わかりにくいかも。
モンゴルではもうひとりマンガスというのが面白い。
・マンガスと七人のじいさん(子どもに語るモンゴルの昔話/蓮見治雄訳・再話 平田美恵子再話/こぐま社/2004年初版)では、十二の頭をもったしわくちゃの黒い化け物として登場します。
人間を食べる恐ろしい化け物であるが、他の国の登場人物同様、どこか憎めません。
このお話のなかでも七番目のおじいさんを食べようとして、あと六人のおじいさんを探すことになるが、最後には川に溺れてしまいます。
大草原に語りつがれるモンゴルのむかし話/Chチメグバータル・監修 籾山素子:訳・再話 藤原道子・絵/PHP研究所/2009年
他人のウリを盗んで暮らしていたみなし子が、子どものいないおじいさん、おばあさんに育てられることになり、牛の世話をするようになります。
男の子が、いつものように草原に牛をつれていくと、そこには白くて干からびた馬のなきがらが横たわっていました。
男の子はその骨と毛と皮で馬頭琴をつくります。
男の子が草原にでかけるたびに馬頭琴を引くと、連れていった牛は、美しい音色に、草を食べるのも忘れて聞きほれます。
すると牛は日に日にやせてきます。
不思議に思ったおじいさんが、男の後をついていくと、男の子のまわりで、牛が草を食べるのを忘れ、鳥たちまで羽をやすめていました。
おじいさんから注意されて、それからは牛がいっぱい草を食べてから、馬頭琴をひくと、牛たちは幸せそうに音色に聞きほれます。
ウリを盗んだ男の子に、おじいさんは「小さいときに針をぬすむと、おおきくなってラクダをぬすむようになる」と諭しますが、国が違えばでてくる例示も興味深い。
大草原にひびく馬頭琴の音色はどんなだったでしょう。
しのだけむらのやぶがっこう/カズコ・G・ストーン・作/福音館書店/2006年
冬の時期に七夕もないのですが・・・。
しのだけむらの蚊や蛾のやぶ学校。
蚊のクラスでは「プゥーン!」といい音を鳴らして飛ぶ練習。
ところがブンタくんはうまく羽を動かせません
三階の蛾のクラスでは「バタバタ」飛ぶ練習。
ここにも飛べないバタコさんがいます。
七夕の日、飾りつけは、草の実や木の実、はなびら、はっぱ、まつぼっくり。ところが蛾には大きすぎて運べません。こうもりのゆうぐれさんが運んでくれました。
さあ、いよいよ飾りつけ。ブンタくんとバタコさんも飛べるようにと花びら短冊に願い事を書きます。
ところが短冊をつけていたパタコさんが、バランスをくずして、三階から落ちます。
パタコさんを助けようと、ブンタくんが急いで、飛び降ります。
ブンタくんも夢中で羽を動かしたので、プゥーンといいおとがします。学校で練習してもだせなかった音が出て飛べたのでした。
蚊や蛾は、どうにも敬遠したくなりますが、やさしく描かれるとちょっと違ってきます。
蝶やテントウムシ、カマキリ、カタツムリなど昆虫も勢ぞろいし、ホタルも夜を照らしてくれています。
ところで、"しのだけ"ですが、根笹の仲間の総称で細くて、群がって生える竹とありました。日本には600種類もの竹があるというのも驚き。
西アフリカおはなし村/文・江口一久 画・アキノイサム 編集・国立民族学博物館/梨の木舎/2003年
ゾウに力比べをいどんだウサギ。
カバにも力比べして、ゾウとカバに綱引きをさせます。
両者が綱をたぐりよせながらつかづくと、ウサギの計略だったことがわかり、ゾウはウサギが餌を探すのを邪魔し、カバは水を飲ませないように協定を結びます。
ところがウサギは、ハエがいっぱいたかっているダイカーの皮をかぶって、自分を見たものは死んでしまうと脅かし、危機をのがれます。
類似する昔話がありましたが、この話では、原因がないまま綱引きに。日頃、大きな大きなゾウとカバに驚かされていたのかも。
ダイカーがどんなものかでてきませんが、偶蹄目ウシ科ダイカー属の動物の総称で、体長 55~90cm,体高 35~50cm。体毛は柔らかく、特に前頭部と尻部の毛は比較的長く前後肢とも短いようですから、そんなに大きな方ではありません。まばらに木が生える藪地にすみ、群れをつくらずに単独または1対で生活。西アフリカに分布するシマダイカーなど十数種があるといいます。
かえるのトンネル/田村直巳/福音館書店/2014年(1991年初出)
かえるが住んでいる森。
春になるとすいじん池に集まって「かえるまつり」を開くのですが、ようすを見にすいじん池にいこうとしますが、歩いていた三匹の目の前を、車が猛烈な勢いでとおりすぎていきます。
車が次々と走り抜けていくので、わたることができません。途中に道路ができていたのです。
そこでかえるたちは夜も寝ないで話し合いますが、いい考えがうかんできません。
もぐらが顔を出したので、かえるたちはトンネルをほってくれるよう頼みますが、急な用事があるからと断られてしまいます。そのかわり土をほる道具と外へ運ぶ道具も作ったらいいよと助言してくれます。
さっそくなんどもなんどもやり直してトンネルをほりはじめます。
ほる方向はかえるのハナキキが先導します。クヌギやコナラ、シイの木の匂いが頼りです。
ところが突然、木の匂いがしなくなります。
かえる太い腕で堀り進むようすが、力強く描かれています。
かえるが冬眠からさめてみると、道路ができていて、びっくりしたのでしょう。
人間は生き物を考えずに、開発することへの皮肉も含まれているのかも!
最後のお祭りも楽しそうです。
おおどしのきゃく/五十嵐七重・再話 二俣英五郎・絵/福音館書店/2017年(初出2012年)
12月31日、1月1日といってもあじけありませんが、大晦日、元旦というと日本のむかしながらの風情がうかんできます。
この時期にかかる昔話では、「笠地蔵」、「大歳の火」が各地に伝承されている昔話です。
大晦日、貧しいけれどなかのいいじいさまとばあさまが、大雪で難儀している ちっちゃい坊様を泊めます。
寒いからと、じいさまとばあさまが若水をくもうとすると、坊様もおれがくむといって外に出ると、下駄に、ゆきぼっこがくっついて、ざざざーすべって、坊様は井戸の中へおちてしまいます。
坊様を、つるべでひきあげようとすると、坊様は「なーにが まーた あーがるか」ってゆえよと いいます。
じいさまとばあさまが「なーにが まーた あーがるか」というと、坊様は「ふーくのかーみがあーがるぞい」といいながら、やっとこのぼってきます。
ぬれたきものを着替え、あったかい火にあたった坊様。
夜が明けて、坊様に声をかけても、返事がありません。じいさんばあさんが、布団をめくってみると、そこには 山のような大判小判がざっくざっく。
やさしいじいさん ばあさんは、黄金を一人占めすることなく村の衆にも ふるまいます。
これでおわらず、隣の欲張りじいさま、ばあさまが、次の大晦日の晩に、立派な坊様を、無理やり家に泊めて、大判小判を手に入れようとしますが・・・。
二俣さんの絵が昔話らしい雰囲気を醸し出しています。人の好さそうなじいさま、ばあさま、よくばりのじいさまばあさまが対照的にえがかれ、最後、へび、むかで、とかげがでてくる場面にドッキリ。
大雪におおわれた外の風景と囲炉裏の火のあたたかさが対照的です。
「笠地蔵」では、新年の贈り物でおわりますが、隣の欲張りがでてくるあたりは、ほんとに昔話の世界です。
奥会津のことばで語られ、読む分にはすんなりはいっていけますが、語るとなるとむずかしそうです。
まーふぁのはたおりうた/小野 かおる:文・絵/童話館出版/2001年
「むかしむかし」とはじまりますから、昔話風です。そして水牛がでてきますから舞台は中国でしょうか。
歌の上手な機織りの娘まーふぁ。
牛飼のあーふぁは、まーふぁの歌にあわせ笙を吹きはじめます。
たがいが歌と笙にひかれて、それはそれは幸せな日々をすごします。
ところが、隣の国が、美しい豊かなこの国にせめてきて、あーふぁもたたかいにでかけていきます。
この戦いに勝利しますが、あーふぁはかえってきませんでした。
ある夜の日、歌が聞こえ、あーふぁが残していった笙もなりはじめます。
そこには水牛がぽっつりとたっていました。
次の日、荒れ野だった家のまわりに見事なあさのはたけにかわっていました。
まーふぁは、あさのくきを ほそ-く ほそーくさいて、糸を紡ぎはじめます。
まーふぁは、歌に合わせて、輝くような布をおりあげていきます。
うわさがひろがって、人々はきらめくような布を みにやってきます。
うわさをききつけた大臣が、見事な布をもちかえって、都の人に、みせびらかしたと おもいました。
ところがまーふぁは売ることをことわります。
布をあきらめきれない大臣が、家来をおおぜいつれて、力ずくでもちかえろうとすると、わきにすわっていた水牛が、大臣の馬車に突進していきます。
大臣は十日だけ待ってやるとかえっていきますが、月のない星の美しい夜に、まーふぁの美しい布がするするとのびて、星空を 川のようによこぎっていました。
そして、その上を あーふぁとまーふぁが、なかよく水牛にのって、ゆったり ゆったりとあるいていくのがみえました。
布を紡ぐときの歌が繰り返されますが、月と星のひかりがおりこめられているようです。
ほそーく ほそーく
あさ糸 つむいで
月のひかりを おりこんで
星のひかりを おりこんで
主人公の名前が平仮名なのは、子どものことを考えてのことだと思いますが、ややとっつきにくいところがあります。
絵がほんとに素敵です。