先日の胆沢ツアーでは、巣伏公園(古戦場)のあとは、奥州市の西に移動して、本州最北限の前方後円墳、角塚古墳に。市内から東成瀬に向かう国道397号の沿いにありました。国道の北側に古墳公園というのがあり、そこに古墳があるのかと思えば、古墳自体は国道の南側。それでも公園内に駐車場があり、池やハニワが置かれたスペースもありました。
パンフレットによると、5世紀後半(450-475年頃)に作られた、岩手県で唯一、本州最北限の前方後円墳として1985年(昭和60)に国指定史跡になったとのこと。全長13m、墳高4.3mで堀を廻らせ、円筒埴輪などで飾った典型的なものだとのこと。
古墳や埴輪自体にはあまり興味はありませんが、この古墳の存在意味には深い興味がわきます。ここに埋葬されていた人が誰で、どんな地位だったかなどは一切不明。周辺はのちの600年頃以降には「蝦夷」の領地としての中心地になった場所。ここにそれ以前、関西を中心としたヤマト王権に縁があるような人がいたことが、ここに前方後円墳があることで容易に想像されると。
ここより北にも古墳と呼ばれるものはいくつか残ってますが、北上にある江釣子古墳群などは、小さな石積みのもので、円墳や前方後円墳といった馴染みのある古墳とは大きく異なり、同じ文化圏の人が作ったとは考えにくいものでした。
蝦夷と中央政府との歴史では、古代初期には武力で従わせるより、対話に応じた蝦夷には、饗宴をも要したり、冠位を与えたりという友好的な関係が主だったという説もあるようですので、この角塚古墳の主もそうした関係の初期にあったのかもしれません。
またこの古墳のすぐ近くで発掘された古代遺跡では、大阪府で作られた(と見られる)須恵器や宮城県産の黒曜石、琥珀などが出土しており、この地域が南北物流の拠点だったという見方もあるようです。
そうした傍証として残された古墳ですが、ここも何も知らないで行くとあまり面白さは感じにくいかと思います。
時々
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