まだ先日の横手、増田の酒蔵巡りのデータ処理が終わっていませんが、雪囲いが付けられる前に廻らないと写真映えしなくなるので、今日は芦を伸ばして湯沢の酒蔵巡り。
最初に十文字から皆瀬川を渡った岩崎地区。ここは明治維新の際に岩崎県として独立した行政が置かれるなど、横手、湯沢とは別な歴史のある変わった地域。醸造元も多かったようですが、現在は酒蔵1つのみ。現在は秋田銘醸第二工場となっていますが、元々は峯廼(の)旭<峯廼旭>だった酒蔵。峯廼旭は安政6年(1859)創業で大正初期には県内大手の一角を占め、戦時中の企業整理でも操業工場として存続したが、昭和32年に廃業。その際に秋田銘醸に工場を売却して現在に至るとのこと。全体的に近代化工事が行われ、古さを感じられるのは酒蔵の裏側位のようでした。
続いて湯沢市内に入り、両関酒造<両関>。母屋や古い酒蔵4つは秋田県で最初の国の重要文化財に指定されたが、現役で稼働中。見学も可能だが、現在は新型コロナのため見学はお休み。酒造元としては操業は明治7年(1874)と比較的新しいが、先祖は寛文年間(1670頃)に加賀から来て油屋を営んでいたとのこと。
次に両関から国道398号を越えたところにある秋田銘醸<爛漫>。ここは他の酒蔵が個人経営から始まったのに対して、明治時代に秋田の酒を東京に共同で売り込むため全県の酒造家がお金を出し合って作った酒蔵。設立当初から量産可能な近代的設備を導入した工場としたため、建物の見た目は酒蔵と云うより工場。
さらに柳町通りを南に進んだ田町にあるのは木村酒造<福小町>。店舗の隣には広い駐車場がありますが、かつてはここにも酒蔵があったことを想像させます。また店舗の間口は狭いものの、駐車場から見える奥行きは驚くほど広く、いくつもの酒蔵があるように見えます。天和元年(1681)創業の老舗醸造元。戦時中の企業整備でも操業を継続。平成に入り、経営難に陥り、平成8年(1996)秋田出身の創業社長が率いる映像会社の東北新社の参加になり経営再建を進め、平成25年(2013)に㈱木村酒造を設立。こちらも酒蔵見学は新型コロナのため休業中。
最後に訪ねたのは、湯沢駅から西、雄物川を渡った所にある秋田県発酵<一滴千両・そふと新光>。ここも秋田銘醸と同様に昭和20年(1945)、県内の酒造業者が集まって設立した酒造元だが、時代の要請で合成清酒、焼酎、原料アルコールの製造会社として設立された。昭和49年(1974)に湯沢銘醸<一滴千両>を吸収合併し、多角化として清酒製造を開始。また昭和31年より森永醸造(後に福徳長酒類)が資本参加し、のちに子会社化。さらに平成17年(2005)にオエノングループ(旧合同酒精、傘下に富久娘)の子会社となったとのこと。土手沿いに現工場はあり、まさに工場。場内立入禁止の看板があり、直売等はなさそうでした。
のち
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