昨日は二俣川から西谷駅まで歩きました。
途中聴いたのは1934年にグレーター・マンチェスターの
サルフォード市で生まれたピーター・マックスウェル・デイヴィスの作品。
若い時期からピアノと作曲を学び、マンチェスター大学と、
王立マンチェスター音楽院で学んだようだ。
その後オーストラリアなどでも学んだが、
イギリスに戻ってからはオークニー諸島のホイ島に移住し、
その後サンデー島に住み、詩人のジョージ・マッカイ・ブラウンに
大きな影響を受け、作品にもその影響が現れているようだ。
交響曲第1番は、1976年から1977年かけて作曲された。
作曲者自身の解説によると、長大な管弦楽作品であるこの交響曲は、
スコットランド北岸から離れたこの孤立した島々の風景と
海の存在感がこの音楽に染み渡っているということである。
オークニー諸島に移り住み、地域の文化や民間伝承に興味を持ち、
その自然の景色や伝説に影響されてできたのがこの作品で、
最初「ブラック・ペンテコスト」という一楽章による作品を作ったが、
これがやがて他の楽章も作られることで長大な交響曲に発展したようだ。
第一楽章プレストは、激しい荒々しい部分と静かな部分があり、
魔術的で神秘的な音楽は、異教的な世界を示しているのだろう。
オークニー諸島の自然がイメージの中にあると考えて聴くと、
混沌としたこの音楽が描こうとする世界がわかってくる。
鳥のさえずり、風などの自然が作り出す音、
自然の厳しさ、そして伝説が多く残されている島の神秘、
それが当時の前衛的な手法で作曲されているということだろう。
第二楽章レント-アレグロは、突然大きな金管楽器の音で始まり、
すぐに静かに始まり、シロフォンの軽やかな音がしばらく流れる。
個々の楽器がそれぞれ独立した動きをとることにより、
伝統的な和声に縛られた音楽とはまったく違った世界が作られる。
かと思うと、シベリウス的な音の空間が聴こえたりもする。
作曲家自身はシベリウスの交響曲第5番から採っていると、
言っているがそれがどれかはわからないが、幻想的である。
第三楽章アダージョは荒涼とした感じである。
オークニー諸島の海岸にはいくつもの奇岩があるようだ。
行ったことはないのであくまでも想像の世界だが、
その奇岩のある海岸を歩いているような気持ちにさせる。
シューマンの交響曲第2番の冒頭を使っていると
書いているようだが、それは何を指しているかはわからない。
荒涼とした自然の中をさまよい歩くかのようで、
最後に登場するフルートの音で我に返るかのようである。
第四楽章プレストは、金管楽器により軽快に始まる。
前楽章とは対照的に動的な音楽であるが、
各楽器が個別に独立した動きを見せるので、
やはり難解な音楽だろうとは思う。
厳しい自然、鳥のさえずり、島が持つ神秘性、
秩序という概念が必要のない大自然と、
秩序を持たせようとする人工的な音楽の世界と、
それぞれのエネルギーがぶつかり合っているような感じだ。
最後は何度もうなるように金管楽器が奏し、音楽は突然終わる。
途中聴いたのは1934年にグレーター・マンチェスターの
サルフォード市で生まれたピーター・マックスウェル・デイヴィスの作品。
若い時期からピアノと作曲を学び、マンチェスター大学と、
王立マンチェスター音楽院で学んだようだ。
その後オーストラリアなどでも学んだが、
イギリスに戻ってからはオークニー諸島のホイ島に移住し、
その後サンデー島に住み、詩人のジョージ・マッカイ・ブラウンに
大きな影響を受け、作品にもその影響が現れているようだ。
交響曲第1番は、1976年から1977年かけて作曲された。
作曲者自身の解説によると、長大な管弦楽作品であるこの交響曲は、
スコットランド北岸から離れたこの孤立した島々の風景と
海の存在感がこの音楽に染み渡っているということである。
オークニー諸島に移り住み、地域の文化や民間伝承に興味を持ち、
その自然の景色や伝説に影響されてできたのがこの作品で、
最初「ブラック・ペンテコスト」という一楽章による作品を作ったが、
これがやがて他の楽章も作られることで長大な交響曲に発展したようだ。
第一楽章プレストは、激しい荒々しい部分と静かな部分があり、
魔術的で神秘的な音楽は、異教的な世界を示しているのだろう。
オークニー諸島の自然がイメージの中にあると考えて聴くと、
混沌としたこの音楽が描こうとする世界がわかってくる。
鳥のさえずり、風などの自然が作り出す音、
自然の厳しさ、そして伝説が多く残されている島の神秘、
それが当時の前衛的な手法で作曲されているということだろう。
第二楽章レント-アレグロは、突然大きな金管楽器の音で始まり、
すぐに静かに始まり、シロフォンの軽やかな音がしばらく流れる。
個々の楽器がそれぞれ独立した動きをとることにより、
伝統的な和声に縛られた音楽とはまったく違った世界が作られる。
かと思うと、シベリウス的な音の空間が聴こえたりもする。
作曲家自身はシベリウスの交響曲第5番から採っていると、
言っているがそれがどれかはわからないが、幻想的である。
第三楽章アダージョは荒涼とした感じである。
オークニー諸島の海岸にはいくつもの奇岩があるようだ。
行ったことはないのであくまでも想像の世界だが、
その奇岩のある海岸を歩いているような気持ちにさせる。
シューマンの交響曲第2番の冒頭を使っていると
書いているようだが、それは何を指しているかはわからない。
荒涼とした自然の中をさまよい歩くかのようで、
最後に登場するフルートの音で我に返るかのようである。
第四楽章プレストは、金管楽器により軽快に始まる。
前楽章とは対照的に動的な音楽であるが、
各楽器が個別に独立した動きを見せるので、
やはり難解な音楽だろうとは思う。
厳しい自然、鳥のさえずり、島が持つ神秘性、
秩序という概念が必要のない大自然と、
秩序を持たせようとする人工的な音楽の世界と、
それぞれのエネルギーがぶつかり合っているような感じだ。
最後は何度もうなるように金管楽器が奏し、音楽は突然終わる。