Mars&Jupiter

おおくぼっちの屋根裏部屋へようこそ!

ローマ教会の聖歌の入祭唱『蘇えりたまえり』を聴く

2010-03-26 06:03:48 | 古代・中世・ルネサンス音楽その他の作品編
昨日は一日中雨が続きウォーキングを休みました。
昨日聴いたのは、ローマ教会の聖歌。
聴いたCDは、マルセル・ペレス指揮、
アンサンブル・オルガヌムによる演奏である。
CDに収められているローマ教会の聖歌は、ローマ教会初期のもので、
東方教会の聖歌の影響はここでも残っているようだ。
入祭唱『蘇えりたまえり』の最初の単旋律を全体で歌うところは、
グレゴリオ聖歌のようである。繰り返されるアレルヤとともに
途中からは、イソンとよばれる持続音の上に、
旋律が歌われる東方教会の部分をしっかり残している。
両方の部分を聴くことができて面白いものである。
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ベネヴェント聖歌の聖体拝領唱『聖餐にあずかる者たちは』を聴きながら、西谷から三枚町まで歩く

2010-03-25 05:26:07 | 古代・中世・ルネサンス音楽その他の作品編
昨日は西谷から三枚町まで歩きました。
途中聴いたのは、ベネヴェント聖歌である。
聴いたCDは、マルセル・ペレス指揮、
アンサンブル・オルガヌムによる演奏である。
CDの解説によれば、ベネヴェント聖歌とは、
ランゴバルド(ロンバルド)族の共通儀礼である
ベネヴェント典礼にみられた聖歌で、
ミラーノ教会とは異なる音楽様式を持っていた。
この典礼は11後半ステファヌス9世の命令により禁止され、
その写本も破棄されたためほとんど残っていない。

聖体拝領唱『聖餐にあずかる者たちは』は、
この聖歌のスタイルをとどめた貴重なもののようだ。
グレゴリオ聖歌のスタイルに少し近づいた感じはする。
全体で単旋律を歌うところはそうなのだが、
しかし、一方で一定の持続音を低音部で歌うイソンの部分は、
東方教会の部分をしっかり残している。
ビザンチン(ビザンツ)聖歌からグレゴリオ聖歌までの
変遷をこの一枚のCDの中で聴くことができて面白い。
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メルキ教徒の聖歌を聴きながら、西谷から三枚町まで歩く

2010-03-24 05:51:50 | 古代・中世・ルネサンス音楽その他の作品編
昨日は西谷から三枚町まで歩きました。
途中聴いたのは、メルキ教徒の聖歌である。
聴いたCDは、セール・マリー・キーロウズ、
サン・ジュリアン・ル・パーヴル教会聖歌隊による演奏である。
CDの解説によれば、メルキ教会とは、ビザンチン式典礼を守る
エジプト・シリアのキリスト教会のことのようである。
1曲目の聖母賛歌はイソンによる低音部で歌われる持続音の上に、
一人が歌う東方教会の形式を残した音楽であり、
4世紀に成立したギリシア典礼によるものであるようだ。
詩文を朗唱するやり方は西方教会の音楽とは違うスタイルである。
2曲目聖母の誕生の聖務日課も同じスタイルである。
何かアジア音楽に共通するような歌い方である。
昨日聴いたミラーノ教会の音楽から時代的に戻った感じである。
最後の短い部分で単旋律を一緒に歌って終わる。
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ミラーノ教会の聖歌を聴きながら、二俣川から鶴ヶ峰まで歩く

2010-03-23 06:03:08 | 古代・中世・ルネサンス音楽その他の作品編
昨日は二俣川から鶴ヶ峰まで歩きました。
途中聴いたのは、ミラーノ教会の聖歌である。
聴いたCDは、マルセル・ペレス指揮、
アンサンブル・オルガヌムによる演奏である。
CDの解説によれば、聖アンブロジウスがコンスタンティノープルから、
交唱聖歌の唱法をミラーノ教会に取り入れたことから、
ミラーノ教会の聖歌が成立していったようである。
1曲目は詩篇唱『御身とともに、その御力の』である。
東方教会の聖歌にみられる単旋律を全体で歌うので、
その点はグレゴリオ聖歌風であるが、
途中からイソンという低音部で歌われる持続音の上に、
一人が歌うところも出てくるので東方教会の形を残している。
東方教会の音楽からグレゴリオ聖歌への変遷をたどることができ、
その中間にある両方の部分を備えた音楽であり、興味深い。
最後はまた最初と同じく単旋律を全体で歌う。
2曲目の応唱『主を愛する者はすべて』も同じく、
全体で単旋律を歌うところは、グレゴリオ聖歌風であるが、
そこに見られる旋律は東方教会のものを感じさせる。
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フォーヴェル物語を聴きながら、二俣川から西谷まで歩く

2010-03-22 08:18:17 | 古代・中世・ルネサンス音楽その他の作品編
昨日は二俣川から西谷まで歩きました。
途中聴いたのはフォーヴェル物語である。
聴いたCDは、ルネ・クレマンシック指揮、
クレマンシック・コンソートの演奏によるもの。
この作品の演奏ではクレマンシックのものが個人的には気に入っている。
1310年代に成立したとされるこの作品は、
教皇や国王を頂点とする権力に対する批判として書かれた作品で、
フォーヴェル(FAUVEL)とは、へつらい(Flatterie)、貪欲(Avarice)、
文嗇(Vilenie)、虚飾(Vanite)、妬み(Envie)、怯懦(Lachete)の頭文字を
並べたものであるが、作品に多声的な音楽が多く、
当時のフランスの音楽の中の変化を知ることができる曲となっている。
ちなみにフォーヴェルはこの物語では持ち前の詐欺師的な能力により、
貧困のどん底から一大権力者にまでのしあがったロバの化身として現れる。

作品の中には善悪の二項対立がみられ、
音楽も聖なる宗教的な曲と、悪魔的で世俗的な曲が交互に現れる。
その作品の中からここでは3曲ほどあげておく。
「フォーヴェルと一仕事するより豚に愛される方がよい
(Porchier miex ester ameroie)」は、
あんな悪党(フォーヴェル)に出会ったことがないと歌い、
彼と仕事するくらいなら豚に愛される方がいいという内容の曲。
男声とリコーダーが同じ旋律をなぞって歌っていく。
「全部悪党の仕業だ(Quoniam secta latronim)」は3声部による歌で、
この批判的な内容を、歌っているのは第2声部である。
第3声部は「こんなことなら兵士であるのも悪くない」
という内容を歌い続けていくが、それぞれの旋律を追っかけあいながら、
最後は安定した和音で終わる印象深い曲である。

なお、このCDにはシャリヴァリ(Charivari)が21番目にあって、
その社会的制裁の様子がとてもうまく再現されている。
シャリヴァリにつきもののラフミュージックは行進曲風に流れ、
そのあと騒音を立てるシャリヴァリの始まり騒然となる。
実際こんなシャリヴァリを仕掛けられたらたまったものではないだろう。
地域によってその様子はそれぞれ違うのだが、
フランスではこうだったのだろうか、想像すると面白い。
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