初釜の際の展示室において、一階の廊下は伊勢正義の少女像、二階の廊下は福田豊四郎の魚をモチーフにした作品を展示しました。ともに郷里出身の画家です。二人共に一昨年亡くなった母に縁のあったが画家です。廊下の展示の様子は下記の写真の通りです。福田豊四郎が描いた魚をモチーフにした作品はまだありますが・・。
2階スペースには福田豊四郎が父母の結婚祝いのために描いた「鶴汀」を展示しました。この作品は当方の蒐集作品の中でもかなり出来の良い作品です。実際は母方と父方の両方の実家で描かれ、父方の作品は行方が分かっていません。本作品は母方の作品を譲っていただいたものです。母は当然、父と母が譲り受けるものと思っていたようですが、あまりの出来の良さに双方の実家で手放さなかったそうです。母は常々不満そうにしていました 代わりに小生が入手したようなものです
さて本日は明末の漳州窯のおける大皿の作品ですが、漳州窯のおける大皿の作品は呉須染付・呉須赤絵(青絵)・餅花手と大きく3つに分かれ、本ブログにてそれぞれの作品を紹介していますが、その3分類において「餅花手」は最も作品数が少なく、希少価値が高い作品群です。御存じない方も多いようですが「なんでも鑑定団」に二回ほど紹介されている作品群ですので徐々に知られるようになっているように思われます。
さらにその作品群において白地、藍地、柿地に細分化されています。この頃の作品は胎土は白くありませんので、そのため失透質の白釉を、高台を除く全面に掛けて、その上に藍釉や茶褐釉をかけてあります。いずれにおいても当時は呉須などの高級な釉薬を大量に使用した餅花手は、まだ伊万里磁器が登場する前の陶磁器の黎明期において、日本にて大いに所望された高級品として評価されていた作品です。
藍釉の作品が一番多いようで、柿地(茶褐地)は少なく、白地になるともっと数は少なく市場では滅多に見ることはありません。さらに麒麟や龍の文様の作品(ブログ掲載済:下記の作品参照)はさらに貴重となります。ちなみに当方の蒐集作品では「白地」のみが未蒐集となっています。
下写真:呉州餅花手 その4 藍褐地双龍文大盤 なおこのような作品はなかなかありませんので、当方にて所蔵できたことは運がよかったと思います。
本日紹介するのは下記の作品で「呉州餅花手 瑠璃地白花花卉文盤」の3作品目の紹介です。呉州餅花手でもっともポピュラーな瑠璃釉の作品ですが、最もポピュラーな作品群でさえなかなか入手できませんし、完品や完品に近い作品、さらには発色の良い作品は稀有です。呉州餅花手は明末から清初にかけて漳州窯にて焼成された呉須赤絵、染付の作品に対して圧倒的に数が少ない作品群です。
呉州餅花手 その5 瑠璃地白花花卉文盤 その3
合箱入
口径385*高台径*高さ100
インターネットオークションにて12万円ほどにて落札した作品です。なんでも鑑定団ではこの20倍の値段の評価をしていますが、決してそれは大げさではないでしょう。
当方では「藍釉」の作品では3作品目の入手となります。状態としてはいい方ですが、全体にアマ手で貫入があり、中央付近に窯傷のニュウ等が一本あり、表から裏に通っています。
当方の所蔵作品「呉州餅花手 その2 瑠璃地白花花卉文盤 その1」(下写真:左)は状態が抜群にいい状態です。
本日紹介する作品は「呉州餅花手 その3 瑠璃地白花花卉文盤 その2」(下写真:右)と同等程度以上の状態と判断されます。いずれこれらは発色の良い方で、保存状態もかなりいい方です。
*下写真:中央は「呉州餅花手 その1 茶褐地白花花卉文盤」です。
精緻で上手で貴重な作品は、たいてい口縁が額縁のように立っていますが、本作品も(鍔縁)口縁の立っている作品で、評価は他の作品に比して数倍すると言われています。口縁には最盛期の特徴である虫喰が見られます。呉州餅花手の作品もそうですが漳州窯の作品のいい作品という条件には「口縁が額縁のように立っている」ことが必須のようです。
当方で蒐集できた瑠璃地白花花卉文盤の3作品、「瑠璃地白花花卉文盤 その1(右) その2(中央) その3(左)」を並べてみたのが下記の写真です。中央の「その2」の作品が発色が淡くなっていますが、これでも状態はいい方で、発色が淡い作品は焼き上がりがよくないものと評価されます。なお貫入、釉薬の剥がれ、窯傷はある程度許容されます。
下記の作品のように口縁の立っていない作品は一般に明末の漳州窯の作品の中では評価は低くなります。量産された作品なのでしょうか、文様が簡略化されています。
口縁の立っていない作品例:参考作品 瑠璃地草花文大皿 関西大学博物館
他の呼び名としては褐色地のものを「柿南京」、藍地のものを「瑠璃南京」があるようです。
高台の作りはこの時期の漳州窯(汕頭(すわとう)(中国広東省)磁器)の作りに共通しているように荒々しい高台となっています。
基本的に釉薬は高台には掛けていませんが、ついでに釉薬が掛かってしまったという感じです。砂付き高台が基本であり、高台内が綺麗なっているのは時代の下がった作品か、日本から特注で注文のあった作品に限られているようです。
焼き上がりは中程度と思われます。漳州窯の焼き上がりのよい作品は貫入はあるものの貫入は少なくなり、発色は「その1」のようにもっと鮮やかになります。ただ釉薬の剥がれは焼き上がりのいい作品でもあります。呉須赤絵などにおいて釉薬の剥がれが少なく、虫喰いのない作品は絵付けに面白味が少なくなった時代の下がった作品に多いようです。
傷のある作品は敬遠されがちですが、漳州窯の作品は大きさゆえに発生する窯傷、運搬時の擦り傷などが多く、また使用したことによる多少の割れは許容してもいいでしょう。
漳州窯の作品や古染付などのこのような無頓着さが日本の茶人たちの侘び寂びを愛する気持ちに通じ、日本では人気があったのでしょう。中国には残存しているこれらの作品は皆無で日本にてほとんどの作品が所蔵されています。
荒々しさ、無頓着さは民芸作品にも通じるところがありますが、今の女性中心の茶の世界は残念ながらこのような無頓着さに美を見出す余裕がないように思われます。端正さ、綺麗美が中心で実につまらない・・・・。日本におけるこのような美的感性は世界に類をみないものです。許容する精神性というのは、韓国や中国の精神性と大きく違います。とくに韓国の反日運動は儒教の潔癖性に基づくところが大きいですが、日本とは相容れない点であることは理解しておくべきでしょう。
さて近代では餅花手の作品は手間のかかるせいか、同様の図柄の作品は見当たりませんが、技法が同等の作品はあるようです。
本日紹介するもうひとつ作品は「呉州餅花手」の作品に対する参考作品程度と考えてください。この作品は漳州で焼かれた「呉州餅花手」の大皿のような代表的な作例ではなく、文様も違い、器形も鉢になっているため、その産地、時代は不明で、近代作の可能性もあります。特定の作品群の蒐集には必ずこのような寄り道的な蒐集作品が入り込むものですが、それによって知識の幅が増すことは多々ありますので、参考作品としてご覧ください。
氏素性の解らぬ作品 呉州餅花手? 藍釉花文鉢
口径280*高台径*高さ93
製作年代はせいぜいあったとしても、明末より時代の下がった清朝の頃と推定していますがあくまでも制作年代は不詳です。
参考作品として入手しましたが、見込みの擦れから推察すると「ある程度時代はあるのかな?」と思っています。
餅花手の語源は「柳の細長い若枝に小さく丸めた餅や米粉のだんごを刺したもので、五穀豊穣や繁栄を祈願して小正月に神棚に飾り付けるもの。」に文様が似ていると言われています。
ただ「モチャハブ:朝鮮語で母子貪のこと。人形の蓋物で、粉食・粉楳匙・粉証・粉水器などの化粧用具一式を納めたもの。」とする説もあり、餅花手の餅花は当て字?とされるのでしょうか? 当方ではよくわかりませんね。
本作品は底には釉薬は一切なく、清朝の一般的な作品のようなきれいな高台となっています。
ただ見込みには擦れがあるなどそれなりの使用感はあります。
「藍釉をベースとした白釉の文様の作品」に分類されるかもしれませんね。
時代はあっても清朝から近代?
下手をしたらお土産品程度の作品?
当方では洗面所の洗面道具入れになっています。
明末の漳州窯の作品では呉須を使用したたんなる藍釉一色の作品まで珍重されるようですが、それはマニアックな世界。マニアックな世界は本来の美意識に基づいた骨董の世界とは別世界だと思います。当方では丁寧にひとつひとつ蒐集していきます。
2階スペースには福田豊四郎が父母の結婚祝いのために描いた「鶴汀」を展示しました。この作品は当方の蒐集作品の中でもかなり出来の良い作品です。実際は母方と父方の両方の実家で描かれ、父方の作品は行方が分かっていません。本作品は母方の作品を譲っていただいたものです。母は当然、父と母が譲り受けるものと思っていたようですが、あまりの出来の良さに双方の実家で手放さなかったそうです。母は常々不満そうにしていました 代わりに小生が入手したようなものです
さて本日は明末の漳州窯のおける大皿の作品ですが、漳州窯のおける大皿の作品は呉須染付・呉須赤絵(青絵)・餅花手と大きく3つに分かれ、本ブログにてそれぞれの作品を紹介していますが、その3分類において「餅花手」は最も作品数が少なく、希少価値が高い作品群です。御存じない方も多いようですが「なんでも鑑定団」に二回ほど紹介されている作品群ですので徐々に知られるようになっているように思われます。
さらにその作品群において白地、藍地、柿地に細分化されています。この頃の作品は胎土は白くありませんので、そのため失透質の白釉を、高台を除く全面に掛けて、その上に藍釉や茶褐釉をかけてあります。いずれにおいても当時は呉須などの高級な釉薬を大量に使用した餅花手は、まだ伊万里磁器が登場する前の陶磁器の黎明期において、日本にて大いに所望された高級品として評価されていた作品です。
藍釉の作品が一番多いようで、柿地(茶褐地)は少なく、白地になるともっと数は少なく市場では滅多に見ることはありません。さらに麒麟や龍の文様の作品(ブログ掲載済:下記の作品参照)はさらに貴重となります。ちなみに当方の蒐集作品では「白地」のみが未蒐集となっています。
下写真:呉州餅花手 その4 藍褐地双龍文大盤 なおこのような作品はなかなかありませんので、当方にて所蔵できたことは運がよかったと思います。
本日紹介するのは下記の作品で「呉州餅花手 瑠璃地白花花卉文盤」の3作品目の紹介です。呉州餅花手でもっともポピュラーな瑠璃釉の作品ですが、最もポピュラーな作品群でさえなかなか入手できませんし、完品や完品に近い作品、さらには発色の良い作品は稀有です。呉州餅花手は明末から清初にかけて漳州窯にて焼成された呉須赤絵、染付の作品に対して圧倒的に数が少ない作品群です。
呉州餅花手 その5 瑠璃地白花花卉文盤 その3
合箱入
口径385*高台径*高さ100
インターネットオークションにて12万円ほどにて落札した作品です。なんでも鑑定団ではこの20倍の値段の評価をしていますが、決してそれは大げさではないでしょう。
当方では「藍釉」の作品では3作品目の入手となります。状態としてはいい方ですが、全体にアマ手で貫入があり、中央付近に窯傷のニュウ等が一本あり、表から裏に通っています。
当方の所蔵作品「呉州餅花手 その2 瑠璃地白花花卉文盤 その1」(下写真:左)は状態が抜群にいい状態です。
本日紹介する作品は「呉州餅花手 その3 瑠璃地白花花卉文盤 その2」(下写真:右)と同等程度以上の状態と判断されます。いずれこれらは発色の良い方で、保存状態もかなりいい方です。
*下写真:中央は「呉州餅花手 その1 茶褐地白花花卉文盤」です。
精緻で上手で貴重な作品は、たいてい口縁が額縁のように立っていますが、本作品も(鍔縁)口縁の立っている作品で、評価は他の作品に比して数倍すると言われています。口縁には最盛期の特徴である虫喰が見られます。呉州餅花手の作品もそうですが漳州窯の作品のいい作品という条件には「口縁が額縁のように立っている」ことが必須のようです。
当方で蒐集できた瑠璃地白花花卉文盤の3作品、「瑠璃地白花花卉文盤 その1(右) その2(中央) その3(左)」を並べてみたのが下記の写真です。中央の「その2」の作品が発色が淡くなっていますが、これでも状態はいい方で、発色が淡い作品は焼き上がりがよくないものと評価されます。なお貫入、釉薬の剥がれ、窯傷はある程度許容されます。
下記の作品のように口縁の立っていない作品は一般に明末の漳州窯の作品の中では評価は低くなります。量産された作品なのでしょうか、文様が簡略化されています。
口縁の立っていない作品例:参考作品 瑠璃地草花文大皿 関西大学博物館
他の呼び名としては褐色地のものを「柿南京」、藍地のものを「瑠璃南京」があるようです。
高台の作りはこの時期の漳州窯(汕頭(すわとう)(中国広東省)磁器)の作りに共通しているように荒々しい高台となっています。
基本的に釉薬は高台には掛けていませんが、ついでに釉薬が掛かってしまったという感じです。砂付き高台が基本であり、高台内が綺麗なっているのは時代の下がった作品か、日本から特注で注文のあった作品に限られているようです。
焼き上がりは中程度と思われます。漳州窯の焼き上がりのよい作品は貫入はあるものの貫入は少なくなり、発色は「その1」のようにもっと鮮やかになります。ただ釉薬の剥がれは焼き上がりのいい作品でもあります。呉須赤絵などにおいて釉薬の剥がれが少なく、虫喰いのない作品は絵付けに面白味が少なくなった時代の下がった作品に多いようです。
傷のある作品は敬遠されがちですが、漳州窯の作品は大きさゆえに発生する窯傷、運搬時の擦り傷などが多く、また使用したことによる多少の割れは許容してもいいでしょう。
漳州窯の作品や古染付などのこのような無頓着さが日本の茶人たちの侘び寂びを愛する気持ちに通じ、日本では人気があったのでしょう。中国には残存しているこれらの作品は皆無で日本にてほとんどの作品が所蔵されています。
荒々しさ、無頓着さは民芸作品にも通じるところがありますが、今の女性中心の茶の世界は残念ながらこのような無頓着さに美を見出す余裕がないように思われます。端正さ、綺麗美が中心で実につまらない・・・・。日本におけるこのような美的感性は世界に類をみないものです。許容する精神性というのは、韓国や中国の精神性と大きく違います。とくに韓国の反日運動は儒教の潔癖性に基づくところが大きいですが、日本とは相容れない点であることは理解しておくべきでしょう。
さて近代では餅花手の作品は手間のかかるせいか、同様の図柄の作品は見当たりませんが、技法が同等の作品はあるようです。
本日紹介するもうひとつ作品は「呉州餅花手」の作品に対する参考作品程度と考えてください。この作品は漳州で焼かれた「呉州餅花手」の大皿のような代表的な作例ではなく、文様も違い、器形も鉢になっているため、その産地、時代は不明で、近代作の可能性もあります。特定の作品群の蒐集には必ずこのような寄り道的な蒐集作品が入り込むものですが、それによって知識の幅が増すことは多々ありますので、参考作品としてご覧ください。
氏素性の解らぬ作品 呉州餅花手? 藍釉花文鉢
口径280*高台径*高さ93
製作年代はせいぜいあったとしても、明末より時代の下がった清朝の頃と推定していますがあくまでも制作年代は不詳です。
参考作品として入手しましたが、見込みの擦れから推察すると「ある程度時代はあるのかな?」と思っています。
餅花手の語源は「柳の細長い若枝に小さく丸めた餅や米粉のだんごを刺したもので、五穀豊穣や繁栄を祈願して小正月に神棚に飾り付けるもの。」に文様が似ていると言われています。
ただ「モチャハブ:朝鮮語で母子貪のこと。人形の蓋物で、粉食・粉楳匙・粉証・粉水器などの化粧用具一式を納めたもの。」とする説もあり、餅花手の餅花は当て字?とされるのでしょうか? 当方ではよくわかりませんね。
本作品は底には釉薬は一切なく、清朝の一般的な作品のようなきれいな高台となっています。
ただ見込みには擦れがあるなどそれなりの使用感はあります。
「藍釉をベースとした白釉の文様の作品」に分類されるかもしれませんね。
時代はあっても清朝から近代?
下手をしたらお土産品程度の作品?
当方では洗面所の洗面道具入れになっています。
明末の漳州窯の作品では呉須を使用したたんなる藍釉一色の作品まで珍重されるようですが、それはマニアックな世界。マニアックな世界は本来の美意識に基づいた骨董の世界とは別世界だと思います。当方では丁寧にひとつひとつ蒐集していきます。