蒐集初期の頃、横山大観の作品が欲しかった・・。むろん憧れ、否欲望のようなものですが、叔父のところで佳品を見せて頂いたことも影響もしたのだろうと思います。
欲に駆られて真贋を見極めることもなく、資金の許す範囲で購入したことがありました。むろん筋の良いものなど入手できるはずもないのですが、当時入手した横山大観らしき作品を今も手元に置いています。
本日はそのような作品を飾ってみました。
氏素性の解らぬ作品 鍾馗図 伝横山大観筆
絹本着色軸装合箱(署名有)二重箱軸先鹿骨
全体サイズ:横505*縦2050 画サイズ:横373*縦1167
この作品の落款は下記に記載の写真のように「手拝落款」と称されるもので、真作なら明治40年~44年の作と推定されます。
*横山大観の落款の書体の変遷は下記の写真のとおりです。これくらいは覚えておかないといけませんね。
この頃の横山大観は美術院の活動の中で、春草と共に西洋画の画法を取り入れた新たな画風の研究を重ね、やがて線描を大胆に抑えた没線描法の絵画を次々に発表しています。しかしその先進的な画風は当時の画壇の守旧派から猛烈な批判を浴びることになります。
現在ではその画風を的確に表す言葉とされる「朦朧体」という呼称も、当初は「勢いに欠ける、曖昧でぼんやりとした画風」という意味で、批判的に使用された言葉だったようです。
保守的風潮の強い国内での活動が行き詰まりを見せ始めたため、大観は春草と共に海外に渡ることになります。インドのカルカッタや、アメリカのニューヨーク、ボストンで相次いで展覧会を開き、高い評価を得ました。その後ヨーロッパに渡り、ロンドン、ベルリン、パリでも展覧会を開き、ここでも高い評価を受けることになります。この欧米での高評価を受けて、ようやく日本国内でもその画風が評価されるようになりました。
1907年(明治40年)には、この年より始まった文部省美術展覧会(文展)の審査員に就任しています。欧米外遊での経験から、西洋画の鮮やかな色彩が琳派との共通性がある事を見出し、大正時代における琳派ブームを牽引しました。1913年(大正2年)には、守旧派に押されて活動が途絶えていた日本美術院を、下村観山、木村武山等と共に再興しています。
本作品は落款の書体から真作ならこの時期の作と推定されますが、琳派ブームをある程度反映した作品か?
なにやら箱書があります。贈り物として依頼されて描いた作品か?
箱書には箱書「大観画任筆 竪幅」とあり、裏の書付けに「贈小野原兄 年?菊 印」とされ、朱方印「□?吉忠一」四文字と白方印「成南」二文字の押印がありますが詳細は不明です。
落款と印章はしっかりと真作と一致しています。
次に紹介する作品は下記の作品です。
氏素性の解らぬ作品 磯千鳥 伝横山大観筆
絹本着色軸装 共箱
画サイズ横429*縦1107
この作品は落款は箱書については「晩年の落款」、作品中の落款は「行書体落款」とも感じられますが、作品自体はおそらく晩年の作ではないかと推定されます。
本作品は表具を改装したためでしょうか、入手時には箱に収まらなくなっていました。これはよくあることですが、共箱であるため本作品の箱は上蓋をそのままとし、収め箱を新たに製作し収まるようにしてます。
表具がいまいちなのはそのせいかもしれませんね。
もともと鳥を描くのは稚拙な感じがするのが大観の作品です。
横山大観の作品は決して技法的にはうまいわけではないですが、その品格の高さに特徴があると言えます。
そういう点ではこの2作品は不合格・・・??。
ただ、この2作品には捨てがたいなにかがあると感じています。
それが何なのかは未だにはっきりは解りません。
ふたつめの作品の印章は微妙・・・。箱書の印章は初期のみが楕円などの変形した縦長の印章ですが、それ以降は常に長方印となります。縦長でない共箱の印章の作品はすべて贋作と思っていいでしょう。
書体はまったく問題なし。これは・・・・・??。
さ~、面白いでしょう。どうせ贋作だろうと決め打つのは浅はかなのかもしれませんよ
欲に駆られて真贋を見極めることもなく、資金の許す範囲で購入したことがありました。むろん筋の良いものなど入手できるはずもないのですが、当時入手した横山大観らしき作品を今も手元に置いています。
本日はそのような作品を飾ってみました。
氏素性の解らぬ作品 鍾馗図 伝横山大観筆
絹本着色軸装合箱(署名有)二重箱軸先鹿骨
全体サイズ:横505*縦2050 画サイズ:横373*縦1167
この作品の落款は下記に記載の写真のように「手拝落款」と称されるもので、真作なら明治40年~44年の作と推定されます。
*横山大観の落款の書体の変遷は下記の写真のとおりです。これくらいは覚えておかないといけませんね。
この頃の横山大観は美術院の活動の中で、春草と共に西洋画の画法を取り入れた新たな画風の研究を重ね、やがて線描を大胆に抑えた没線描法の絵画を次々に発表しています。しかしその先進的な画風は当時の画壇の守旧派から猛烈な批判を浴びることになります。
現在ではその画風を的確に表す言葉とされる「朦朧体」という呼称も、当初は「勢いに欠ける、曖昧でぼんやりとした画風」という意味で、批判的に使用された言葉だったようです。
保守的風潮の強い国内での活動が行き詰まりを見せ始めたため、大観は春草と共に海外に渡ることになります。インドのカルカッタや、アメリカのニューヨーク、ボストンで相次いで展覧会を開き、高い評価を得ました。その後ヨーロッパに渡り、ロンドン、ベルリン、パリでも展覧会を開き、ここでも高い評価を受けることになります。この欧米での高評価を受けて、ようやく日本国内でもその画風が評価されるようになりました。
1907年(明治40年)には、この年より始まった文部省美術展覧会(文展)の審査員に就任しています。欧米外遊での経験から、西洋画の鮮やかな色彩が琳派との共通性がある事を見出し、大正時代における琳派ブームを牽引しました。1913年(大正2年)には、守旧派に押されて活動が途絶えていた日本美術院を、下村観山、木村武山等と共に再興しています。
本作品は落款の書体から真作ならこの時期の作と推定されますが、琳派ブームをある程度反映した作品か?
なにやら箱書があります。贈り物として依頼されて描いた作品か?
箱書には箱書「大観画任筆 竪幅」とあり、裏の書付けに「贈小野原兄 年?菊 印」とされ、朱方印「□?吉忠一」四文字と白方印「成南」二文字の押印がありますが詳細は不明です。
落款と印章はしっかりと真作と一致しています。
次に紹介する作品は下記の作品です。
氏素性の解らぬ作品 磯千鳥 伝横山大観筆
絹本着色軸装 共箱
画サイズ横429*縦1107
この作品は落款は箱書については「晩年の落款」、作品中の落款は「行書体落款」とも感じられますが、作品自体はおそらく晩年の作ではないかと推定されます。
本作品は表具を改装したためでしょうか、入手時には箱に収まらなくなっていました。これはよくあることですが、共箱であるため本作品の箱は上蓋をそのままとし、収め箱を新たに製作し収まるようにしてます。
表具がいまいちなのはそのせいかもしれませんね。
もともと鳥を描くのは稚拙な感じがするのが大観の作品です。
横山大観の作品は決して技法的にはうまいわけではないですが、その品格の高さに特徴があると言えます。
そういう点ではこの2作品は不合格・・・??。
ただ、この2作品には捨てがたいなにかがあると感じています。
それが何なのかは未だにはっきりは解りません。
ふたつめの作品の印章は微妙・・・。箱書の印章は初期のみが楕円などの変形した縦長の印章ですが、それ以降は常に長方印となります。縦長でない共箱の印章の作品はすべて贋作と思っていいでしょう。
書体はまったく問題なし。これは・・・・・??。
さ~、面白いでしょう。どうせ贋作だろうと決め打つのは浅はかなのかもしれませんよ