戦前、戦後間もないころ、当時の小説家から挿絵画家として高い評価を受けていた画家の一人が福田豊四郎でした。福田豊四郎は新聞挿画なども多数手がけており、井上靖、今日出海、林芙美子、三浦綾子等の作品に挿絵をしています。
下記の作品はそのような挿絵の原稿の作品です。(以前に投稿済み)
茶粥の記 福田豊四郎筆
紙本額装無落款 305*335
本作品は秋田県五城目出身の美人作家である矢田津世子著作の「茶粥の記」の装幀画として描かれた作品であり、本は昭和16年に発行されています。
作品は地元の骨董店で購入し、骨董店には御主人が入手した地元の図書館の蔵書の表紙のコピーしかなかったのですが、インターネットオークションで本そのものをこのたび入手できました。
色合いがだいぶ違いますね。
郷里にて購入したもので実際に表紙に使われた作品とは違いますが、幾つか候補作品を描いたうちの一作品に相違ありません。清楚な感じのする、小品ながら佳作だと思います。いくつかの福田豊四郎の挿絵の原稿を入手していますが、ノスタルジックな点が作家から評価されていたのでしょう。
本日紹介するもうひとつの福田豊四郎の作品は、亡くなった家内の菩提寺の住職が旧蔵していた作品の紹介です。菩提寺には義父も眠っており、住職が生前においては小生も何度か住職にお会いしたことがあります。骨董の蒐集家としても地元では著名で、住職が手放された作品を骨董商を通じて小生が入手した作品です。
十和田湖早春 福田豊四郎筆
紙本水墨淡彩絹装軸 〇〇寺〇〇〇j〇和尚箱書箱入
画サイズ:550*415
義父が檀家総代を務めたこともある菩提寺なので懇意にさせていただき、骨董談議に訪問したこともあります。いまでは現在の住職(お孫さん)と年一回は骨董談義させていただいております。ただ、現在の住職は仏像と香合などの漆器が蒐集対象のようです。祖父については所蔵品をいくつか見せていいただいております。
描かれている十和田湖の秋田県側は豊四郎氏の郷里である小坂町となっており、鉱山の山を越えて徳兵衛平の五里の林道は、彼が少年の頃から幾度となく通った道です。
著書に「永遠に変わらない自然の美しさ、見る度に嘆息する様な湖色の若々しさ、少年時代から現在の頭髪の白くなった自分と対比する自然の悠々さに泌々とした感情にふけったのである。」とあります。
彼が画業で多忙であっても、年一回はあわただしく帰郷して、必ず十和田湖と八幡平を訪れていました。十和田湖が現在のように観光客によって雑踏のごとくなる前のことであり、十和田湖本来の自然の美しさをいつでも堪能できたのでしょう。福田豊四郎が父や叔父らと一献を交わしたのもこの頃です。
本作品は早春の十和田湖を、淡く表現していています。北国にとって春の訪れは特別な感慨があり、厳寒の冬への恐怖から開放され、ようやく春がきたという待望の感のある作品です。
落款の字体、印章から最晩年の作と推察されます。
故郷にはそういう自然の思い出の場所がいくつもあります。安閑と都会暮らしをするよりも、田舎にある自然の厳しさ、良さを実感して過ごすことのほうが何倍も幸せなのです。
高層マンションの暮らし、月一のゴルフが趣味という御仁、その貧しさに気が付いていますか? そのような生活は80代からでいいのです。
趣味のない方ははやく趣味をみつけたほうがいい。現在の仕事が定年を迎えたら早々に切り上げて、次の仕事なり、趣味なり己の打ち込めるものをつくらないとこの高齢化の社会を乗り切れません。なにせいずれ100歳の高齢化社会が現実化してくる。好むと好まざるとに関わらず人間は寿命を全うしなくてはいけませんから・・。
本作品は力作ではないもの表具は小粋に仕上げられています。
いつになっても郷里の思い出は懐かしいものです。単に懐かしいというより思い出がたくさん詰まっている風景とも言えます。早世した亡父との唯一の旅行の思い出、郷里の友人らとのサイクリング、学生時代の初恋のデート、赴任時の妻との旅行、そして帰郷時の家内と子供との遊び・・・。
福田豊四郎が描いた十和田湖の作品は数多くなり、里の男の隠れ家にはいくつもの十和田湖の福田豊四郎の作品が集まってきました。これが私の趣味・・・??
下記の作品はそのような挿絵の原稿の作品です。(以前に投稿済み)
茶粥の記 福田豊四郎筆
紙本額装無落款 305*335
本作品は秋田県五城目出身の美人作家である矢田津世子著作の「茶粥の記」の装幀画として描かれた作品であり、本は昭和16年に発行されています。
作品は地元の骨董店で購入し、骨董店には御主人が入手した地元の図書館の蔵書の表紙のコピーしかなかったのですが、インターネットオークションで本そのものをこのたび入手できました。
色合いがだいぶ違いますね。
郷里にて購入したもので実際に表紙に使われた作品とは違いますが、幾つか候補作品を描いたうちの一作品に相違ありません。清楚な感じのする、小品ながら佳作だと思います。いくつかの福田豊四郎の挿絵の原稿を入手していますが、ノスタルジックな点が作家から評価されていたのでしょう。
本日紹介するもうひとつの福田豊四郎の作品は、亡くなった家内の菩提寺の住職が旧蔵していた作品の紹介です。菩提寺には義父も眠っており、住職が生前においては小生も何度か住職にお会いしたことがあります。骨董の蒐集家としても地元では著名で、住職が手放された作品を骨董商を通じて小生が入手した作品です。
十和田湖早春 福田豊四郎筆
紙本水墨淡彩絹装軸 〇〇寺〇〇〇j〇和尚箱書箱入
画サイズ:550*415
義父が檀家総代を務めたこともある菩提寺なので懇意にさせていただき、骨董談議に訪問したこともあります。いまでは現在の住職(お孫さん)と年一回は骨董談義させていただいております。ただ、現在の住職は仏像と香合などの漆器が蒐集対象のようです。祖父については所蔵品をいくつか見せていいただいております。
描かれている十和田湖の秋田県側は豊四郎氏の郷里である小坂町となっており、鉱山の山を越えて徳兵衛平の五里の林道は、彼が少年の頃から幾度となく通った道です。
著書に「永遠に変わらない自然の美しさ、見る度に嘆息する様な湖色の若々しさ、少年時代から現在の頭髪の白くなった自分と対比する自然の悠々さに泌々とした感情にふけったのである。」とあります。
彼が画業で多忙であっても、年一回はあわただしく帰郷して、必ず十和田湖と八幡平を訪れていました。十和田湖が現在のように観光客によって雑踏のごとくなる前のことであり、十和田湖本来の自然の美しさをいつでも堪能できたのでしょう。福田豊四郎が父や叔父らと一献を交わしたのもこの頃です。
本作品は早春の十和田湖を、淡く表現していています。北国にとって春の訪れは特別な感慨があり、厳寒の冬への恐怖から開放され、ようやく春がきたという待望の感のある作品です。
落款の字体、印章から最晩年の作と推察されます。
故郷にはそういう自然の思い出の場所がいくつもあります。安閑と都会暮らしをするよりも、田舎にある自然の厳しさ、良さを実感して過ごすことのほうが何倍も幸せなのです。
高層マンションの暮らし、月一のゴルフが趣味という御仁、その貧しさに気が付いていますか? そのような生活は80代からでいいのです。
趣味のない方ははやく趣味をみつけたほうがいい。現在の仕事が定年を迎えたら早々に切り上げて、次の仕事なり、趣味なり己の打ち込めるものをつくらないとこの高齢化の社会を乗り切れません。なにせいずれ100歳の高齢化社会が現実化してくる。好むと好まざるとに関わらず人間は寿命を全うしなくてはいけませんから・・。
本作品は力作ではないもの表具は小粋に仕上げられています。
いつになっても郷里の思い出は懐かしいものです。単に懐かしいというより思い出がたくさん詰まっている風景とも言えます。早世した亡父との唯一の旅行の思い出、郷里の友人らとのサイクリング、学生時代の初恋のデート、赴任時の妻との旅行、そして帰郷時の家内と子供との遊び・・・。
福田豊四郎が描いた十和田湖の作品は数多くなり、里の男の隠れ家にはいくつもの十和田湖の福田豊四郎の作品が集まってきました。これが私の趣味・・・??