peaの植物図鑑

草や木の花や木の実(果実)、特に山野草が好きで、デジカメを持ち歩いて撮っています。2024年3月、85歳になります。

「奥の細道を訪ねて・第14回~加賀百万石の城下町金沢より福井まで」第1日(その2)2014年11月5日(水)

2014年11月22日 | 芭蕉の「奥の細道」を歩く

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クラブツーリズム主催「奥の細道を訪ねて・第14回~加賀百万石の城下町 金沢より福井まで」のバスツアーに妻と一緒に参加しました。第1日目 東京羽田空港・第1ターミナルから小松空港に向かって飛行機で出発です。

小松空港には予定通り8:55時に到着。地元・小松市の「京福バス」で最初の目的地である「妙立寺(みょうりゅうじ)」(金沢市野町1-2-12)に向かいます。バスの中で、講師の大橋洋子先生から、これから見学する妙立寺などについて詳しい説明を聞きました。

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バスは金沢西ICから北陸自動車道に入り、一路「妙立寺」を目指して走ります。いつの間にか高速道路を出て、極楽寺の有料駐車場には9:40時頃到着しました。ここから目的地まで約300mほどでしょうか徒歩で移動です。拝観の予約が10:00時ということでしたので、遅れないかと心配しましたが、9:45時頃には妙立寺(拝観料:800円、要予約)に到着しました。(下6つ)極楽寺とその有料駐車場。

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(下3つ)極楽寺から妙立寺(みょうりゅうじ)まで徒歩で移動です。5分ほどで到着しました。

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妙立寺(みょうりゅうじ):寛永20年(1643)、三代藩主利常が一樹院日通を開山として創建した日蓮宗の古刹。以来、加賀藩の祈願寺として栄え、幕末期には、十二代藩主斉広の夫人真竜院に崇敬された。境内地は約1600㎡、堂宇は本堂、庫裏、浄行堂、経堂、月審堂、鐘楼などを備えている。

 本堂から庫裏にいたる構造はきわめて複雑で、隠し階段、隠し部屋、ドンデン返し、逃げ穴、望楼などが巧みに配されており、その構造から、俗に”忍者寺”とも呼ばれ、参拝者に喜ばれている。その由緒については諸説があるが、寺は北陸街道の要衝にあたり、事に備えて造られたといわれ、金沢城へ通ずるという伝説の井戸もある。

 本尊は十界の曼荼羅図、寺宝の日蓮上人像は永仁年間(1293~1299)、日像によってつくられたもので、日蓮宗総本山久遠寺と池上本門寺の宗祖像とともに、日本三霊像の一つに数えられている。(このツアーの参加者に配布されたプリントより)

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(上)「参拝者の心得」に堂内は撮影禁止となっていましたので、堂内の写真はありません。

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(下2つ)JTBパブリッシング発行「るるぶ情報版・金沢・能登加賀’15」より

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