クラブツーリズム主催の「奥の細道を訪ねて・第14回~加賀百万石の城下町 金沢より福井まで」のバスツアーに妻と一緒に参加しました。第1日目 東京羽田空港・第1ターミナルから小松空港に向かって飛行機で出発です。
小松空港には予定通り8:55時に到着。地元・小松市の「京福バス」で最初の目的地である「妙立寺(みょうりゅうじ)」(金沢市野町1-2-12)に向かいます。バスの中で、講師の大橋洋子先生から、これから見学する妙立寺などについて詳しい説明を聞きました。
バスは金沢西ICから北陸自動車道に入り、一路「妙立寺」を目指して走ります。いつの間にか高速道路を出て、極楽寺の有料駐車場には9:40時頃到着しました。ここから最初の見学地の妙立寺(金沢市野町1-2-12)に徒歩で移動です(9:45時頃到着)。
この寺は、金沢城の出城の役割があった加賀藩ゆかりの寺で、芭蕉や「奥の細道」とは関係が無いようでした。攻め入れられた時を想定した仕掛けがなど沢山あって、「忍者寺」とも呼ばれて人気を集めているので特に組み込まれたようです。
(上)妙立寺(みょうりゅうじ)の裏門を出て、すぐ隣にある願念寺(がんねんじ:金沢市野町一丁目)を見学した後、妙立寺の表門の方に回って、さらに徒歩で移動です。願念寺の表門から約300mほどでしょうか、長遠山・本長寺(金沢市野町一丁目2-8)に着きました。
本長寺の次は、成学寺(じょうがくじ・金沢市野町一丁目1-18)です。
(下)この日、4番目に訪れたのは、「あかあかと日は難面(つれなく)もあきの風」という芭蕉の句碑があるという成学寺(じょうがくじ)。
成学寺(じょうがくじ):加賀藩三代藩主前田利常に小将番頭として仕えた人物を弔)うため、未亡人が正保四年(1647)に建立した。本堂は創建した江戸初期の建築様式が見られるという。
(上と下2つ)成学寺の表門の両侍の「雷神」像と「風神」像。鎌倉時代の作風を色濃く残しているという。
(上と下)成学寺の境内にある、堀麦水(ほり・ばくすい)が建立した秋日塚。金沢で最も古い芭蕉の句碑とされる。
秋日塚(あきひづか):「おくのほそ道」は、金沢から小松へ向かう途中吟として、「あかあかと日は難面(つれなく)もあきの風」の句を載せる。よく知られているように、この句は実際は金沢に入る直前か直後に詠まれたのだが、一笑の追善句「塚も動け我が泣く声は秋の風」、斎藤一泉の松幻庵で詠んだ「秋涼し手毎(てごと)にむけや瓜茄子(うりなすび)」に続く秋の句とし、金沢への別れの句に用いた。「あかあかと」の芭蕉自画賛が、天理図書館に蔵されている。現在この句碑は秋日塚(あきひづか)と呼ばれ、野町一丁目の成学寺(じょうがくじ)、片町の方から犀川大橋を渡った左川沿い、兼六園の山崎山麓の3か所にある。[以上は、下記の北國新聞社発行、金沢学院大学文学部日本文学科編著「おくのほそ道~芭蕉が歩いた北陸」より]
http://kimassi.net/teramatijiin/seigakuji.html [成学寺(金沢の寺町寺院群):金沢観光情報<きまっし金沢>]
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