2015年3月4日(水)、13:00~14:30時、平成26年度 芦東山記念館館長講座(全7回)の最終回の講話が、同館ホールで行われました。今回のテーマは「黒田騒動と栗山大膳~黒田官兵衛の兜が盛岡へ~」。
講師は同館館長の細井 計(ほそい・かずゆ)氏(岩手大学名誉教授)。講話の要旨が記載されたA4版5ページのプリントが配布されましたので、かなり理解し易かったように思います。
館長さんは盛岡の安倍館の近くにお住まいだとか。今朝盛岡は20㎝程も積雪があり、踏み跡もない道を難儀しながらバス停に着いたら、バスは遅れて、その上、盛岡駅行きでないバスに乗ってしまって…と出発時の苦労話をした後、どうにか予定した電車に間に合って一関に着いたら雪は全く無くて…と、前回と同じく「一関はいい所です」と聴衆をくすぐる挨拶をされました。
主題の「黒田官兵衛の兜が盛岡にあるのは何故か?」の話。妻と私は、この兜を見るために1月4日にもりおか歴史文化館に行って来たので、大略は知っていましたが、改めて館長さんのお話をお聞きして良く理解することができました。平成27年度の館長講座は5月頃から予定しているそうですので、次回も聞きに行きたいと思います。
2014年のNHKテレビ大河ドラマ「軍師官兵衛」で評判になった官兵衛愛用の兜「銀白檀塗合子形兜(ぎんびゃくだんぬりごうすなりかぶと)」は、黒田孝高(よしたか)/官兵衛/如水)が死に臨んで、子供の長政(福岡藩初代藩主)を筑前国(福岡家)福岡藩黒田家草創の功臣であった栗山善助(利安)に託し、この兜を下腸されました。また長政は2代藩主・長子忠之の補佐を栗山善助の子・大膳(利章)に遺言しました。大膳は長政の意を受けて忠之に諌言を繰り返したことから忠之の反発と憎悪を蓄積させてしまいました。寛永8年(1631)、善助(利安)の死と同時に忠之の報復が表面化し、大膳は領地を没収される。身の危険を感じた大膳は、寛永9年、主君黒田忠之「幕府に謀反あり」と訴えました。翌10年、徳川家光の直裁で黒田家は改易を免れ、大膳は長男大吉(利周)とともに陸奥・盛岡藩(3代藩主南部重直)に御預けとなった。この事件が「黒田騒動」と呼ばれるもので、栗山善助(利安)の子である栗山大膳(利章)が盛岡へ流された後、大膳の子孫が陸奥盛岡藩主・南部家へ献上したもの。現在この兜は同地にあるもりおか歴史文化館に保存されている。
http://morioka.keizai.biz/headline/1733/ [盛岡で黒田官兵衛所用の合子形兜を展示~エックス線解析調査報告も:盛岡経済新聞]
http://matome.naver.jp/odai/2139711378115060501 [個性的すぎる黒田官兵衛の「兜」:NAVERまとめ]
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