第二原発の先の富岡駅まで入るというので参加しました。
福島の中通り二本松の農家が工夫してお米を作っていると聞いて興味を持ったのです。
菅野さんの田畑は東和地域は二本松から阿武隈山地に入ったところ。福島第一原発から飯館村とほぼ同距離ですが、飯館ほど放射能汚染はされなかった。当日の風向きがそれたということです。
東和地域は葛尾村、川俣村のとなりでかろうじて避難地域じゃなかった。ただ原発から30kmあたりで、チェルノブイリでは100km圏内は退去じゃなかったかな。日本は避難できる土地が狭いから、やらなかっただけかと勘ぐります。国土の狭い国だから原発事故があっても動くなということかと、私は理解しています。
有機農法でコメ作りをされていた菅野さんは、国が田畑に放射能を吸収するゼオライトを撒けという指示されているが、さらに工夫をして、水路の入口である山から出てくる一番上の田んぼの水路にゼオライトで濾過するようにしている。山から出てくる水に一番放射能が含まれているから、それから取り除かなかなきゃ田畑が汚れる。菅野さんの有機農法+粘土質の土壌ほど放射能の低減の可能性があるようです。
何もしなくても自然のサイクルで放射能が減ることだって考えられるが、、、自然の生物の力とでも言いましょうか。
説明を聞きにバスから降りて山沿いの田んぼを見に行きました。ここがいちばん放射能汚染されるからです。山から流れてくる水の、水路の入口にゼオライトを置いて、まず田に流れ込む水の放射能を減少させている。田の中にゼオライトを撒くより、ある意味で自然減少を促進させたデータを出せるのではないか。田の入口と出口、そして田のなかと作物中の放射能測定している。
実際の観測は新潟大学の研究班が装置を設置してやられている。こんなデーターは滅多に取れるものじゃない。後世のためにもしっかりデーターをとって欲しい。
菅野さんのお米からは放射能は測定不可能な値だそうです。
嬉しいことに、東京の大学生たちが田植えや稲刈りの時に手伝いに来てくれるそうです。たしか國學院大學だと聞いたような、、、。
菅野さんの娘さんが震災&原発事故のあと大学を卒業して地元に戻って父を手伝っています。娘さんは若い人たちへ精力的に呼びかけている。放射能の問題、農村のありかた、いろいろ活動しています。そんな娘さんを若い東京の学生さんが手伝いに来るそうです。
海沿いに出て楢葉のお寺に向かいました。檀家さんたちが散り散りになって、このお寺を守りたいがどうなるかわからない。
近隣は除染作業が真っ盛りで黒いビニール袋の山が国道沿いに並べてあります。一体どうするんでしょう。日本の政策は場当たり的すぎると思う。過去現在未来の中で現在だけしかない政策ばかり。このあとどうするかが、あるていど決めているのだろうけど、言わないことが国民のためとでも思っているのか?
除染作業とてどうなんでしょう。現場は一生懸命だが、作業は東電&国が業者に丸投げ、作業員はそれほど知識がない。とてもベストな作業だとは思えません。
一時置き場と言っているが、じゃ何処に運べば良いつもりなんでしょう。もっと良いやり方があるのではないか。盲滅法に作業を開始したということかな。
檀家さんもちりじりになり、住まなくなったお寺は廃寺になりそう。周りでは除染作業をしているが、、、数台持っていった測定器では1シーベルトの値がでた。東京の20倍でこんなところには住めません。住人に帰宅を呼びかけているが、誰が住めるというのでしょうねー。とりあえず除染して帰宅させれば会社が賠償金を払わないですむ。市としては住民に戻って欲しい、すべて形式的に東電と政府(我々が選んだ政府ですよ)が決めているんです。
国と大企業は国民を食いものにしている面がおおありです。ロシアの方が日本より(むろん中国より)国民主権じゃないかー。
この奥に東電福島第二原子力発電所があります。ここはさらに東北に入り込んでいます。福島県と宮城県との境目ですから。ここの田畑は放射能汚染がひどくて耕作放棄地です。ブタクサが汚染地域に咲いています。さすがに、ゼオライトどころじゃないようだ。だけど、国や町役場は避難した住民に戻るように呼びかけている。キチガイ沙汰としか思えません。
福島第二原発の先の常磐線富岡駅まで入ると、駅前は津波災害のかたづけが原発事故のため手つかず。家も車も駅舎も激しく壊れたまま、残骸も山のようになったまま。片付けても住む人のあてがないから無駄だと言う判断でしょう。この先人が住んで町が復興するわけじゃないし、観光地にもならないし、やっても作業員が放射能で被爆するだけ。
目に見える悲惨さは宮城県の三陸沿岸よりないが、未来永劫住めないのはダメージが大きいでしょう。
岩手や宮城などは津波の被害が大きかった。がれきの量は福島、茨城より遥かにお大量です。だけど福島はがれきは少ないけど放射能汚染で手がつけられません。それは目に見えない放射能汚染があるのでがれき撤去まで出来ないのです。だから災害面積でいったら、福島は岩手や宮城より広範囲です。目に見えるわかりやすい悲惨さは岩手、宮城ですが、福島は年数がたてば復旧できると言うわけじゃない。除染しても数値が一旦下がるだけで、また増えることが多い。放射能災害は悲惨な壊れ方じゃないところが怖い。富岡の街は人がいれば普通の街です。家屋が壊れていないし人がいないから不気味ですよー。イノシシが闊歩しているそうですが、、、。
震災直後は釜石や気仙沼に大勢のボランティアや支援の人たちが駆けつけた。マスコミも大勢行って報道しました。震災から2日後に原発事故が起きたので、北は亘理、相馬からいわきまで、そのあたりにはマスコミも近づかなかった。放射能が怖いからです。むろんボランティアも超少なくて復旧に時間がかかりました。
大きな測定器は30万円以上します。
今日は放射能の線量がやたら高かったそうです。何かあとで発表があると嫌ですねと現地の方が言っていた。まだ事故は収束していません、完全コントロールなど嘘もいい加減にしてといいたい。
帰りに小名浜の市場に立ち寄りました。漁港では荷揚げはまだしていないそうです。原発が近いものーーー海の魚もちょっと怖い。
放射能の汚染度が高い山からの水を、用水路の入口でまず取り除こうということ。海の幸では海底の魚、ヒラメやカレイ、貝類などが、回遊魚でも大型の魚に放射能が蓄積します。
それでいったら人間が生き物の長だから、一番蓄積するんじゃないか。
農産物ではきのこ、芋類、レンコンなど、あと意外に柿やりんごなど果樹も比較的多いらしい。
産地偽装があるから、一概にどこ産とはいいがたい。巷の話では、原発事故が起きた直後から、袋ビジネスが急に増えたそうです。福島で九州産米袋や長野産米袋など、いんちき袋が飛ぶように売れたそうです。事故などで商売のチャンスと暗躍する業者が日本でも多い。後ろ冷たいことをする方もいれば、菅野さんのように後世のために正攻法で農業を続けていらっしゃる方もいる。企業だって、一個人だって様々だということ。
道の駅、ふくしま東和、ゆうきの里東和ふるさと協議会
http://www.touwanosato.net/kyougikai.html
医連にご同行して、私たちが放射能測定した値です
道の駅ふくしま東和 空間線量 0.33
菅野さんの用水路入口 0.9
いわき市 空間線量 0.125
四倉サービスエリア 空間線量 0.130
樹木 0.24
Jビレッジ 車内 0.24
楢葉町の宝鏡寺 樹木 1.00
富岡入口 空間線量 1.25
富岡市街地 空間線量 1.52~1.93
東京の値は0.05あたりです