「狂信を軽蔑し、痴愚の王笏を毀ち、人間の権利のために戦う。ああ、これこそ王侯にへつらう者たちのなし能わざるところ。阿諛よりはむしろ死を愛し、奴隷的な屈従よりは貧困を愛する自由な魂たちのみなし得るところではないのか…。思え、かかる魂たちのうち、わが魂は最後のものではないことを!……」ロマン・ロラン著『ベートーヴェン研究』より(16) . . . 本文を読む
たしかにベートーヴェンの「自我」はロマン主義者たちの自我とは、全然別ものである。それら新ゴティック主義者たちと、あるいはあの印象主義者たちと、このローマ的建築家を混同するのは愚かなことだろう。彼らの感情、彼らの論理性の欠除、彼らの放埓な想像、要するに彼らの属性すべては彼の本性と背反するものである。彼はもっとも男性的な音楽家である。彼は女らしさを全然ーーそう言って悪ければ、ほとんどーー待ち合わせてい . . . 本文を読む
ベートーヴェンは、これら若いドイツのゲーテたち(彼らと老リュウケウスのあいだには人が考えるほど時代のへだたりはない)の最初の世代に属する。彼はフランス革命の闇夜のうちに投げだされ、荒れ狂う波にもまれながら、「自我」を発見し、むさぼるようにそれを征服した、あのクリストファ・コロンブスたちのひとりである。征服者たちは力を濫用する。彼らは獲得欲に燃えている。この自由な「自我」たちは、一人びとりが支配の欲 . . . 本文を読む
ー 1800年 ベートーヴェンの30歳の肖像 ベートーヴェンの音楽は、『告白録』の著者〔ルソー〕のなかでその試みを果たしたばかりの、傲れる自然の同じ力の娘である。これは二つながら、新しい季節を告げる花の女神である… ルソーに向って、ベートーヴェンに向って、拳を振りあげて見せるあの子供たちを私は讃美する。彼らは春かそれとも秋に呼びかけて、避けがたい落葉を、あるいは当然な新しい芽生えを、促しているか . . . 本文を読む
1823年に、ベートーヴェンは、新しい音楽的時代に不満を感じてーー"laudator tempori acti"(過ぎにし時の讃美者)ーー、彼の作品14の2曲の奏鳴曲(ホ長調およびト長調、1798〜1799)の最初の聴き手たちが、それらのなかに、「2つの原理の戦い」(den Streit zweier Principe)、あるいは「男と女、もしくは愛する者と愛される者とのあいだの対話」(Dialo . . . 本文を読む