たしかにベートーヴェンの「自我」はロマン主義者たちの自我とは、全然別ものである。それら新ゴティック主義者たちと、あるいはあの印象主義者たちと、このローマ的建築家を混同するのは愚かなことだろう。彼らの感情、彼らの論理性の欠除、彼らの放埓な想像、要するに彼らの属性すべては彼の本性と背反するものである。彼はもっとも男性的な音楽家である。彼は女らしさを全然ーーそう言って悪ければ、ほとんどーー待ち合わせていない。ロマン派という無邪気な子供たちの眼の鏡には、芸術も人生も、石鹸の泡のたわむれ以上のものとは映らない。これは悪口ではない! 私は彼らの眼を愛する。そして彼らと同じように私も、虹色の泡に映る世界を見る美しさを楽しむ。けれどもベートーヴェンのように、世界をしっかと両腕で捕え、それを確保することはなお美しい。彼は雄々しい彫刻家である。彼は素材を統御し手の下でしなわせる。「自然」を工事場とする建築の巨匠である。エロイカとアパッショナータとの勝利の栄光に照らされた、「精神」のこの戦野を注視できる者にとって、もっとも感銘深いことは、莫大な軍勢や、とどろく音の波や、突撃に挺身する兵士たちの集群ではない。それは指揮をとる精神、帝王の威をそなえた理智(レゾン)である。
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