1823年に、ベートーヴェンは、新しい音楽的時代に不満を感じてーー"laudator tempori acti"(過ぎにし時の讃美者)ーー、彼の作品14の2曲の奏鳴曲(ホ長調およびト長調、1798〜1799)の最初の聴き手たちが、それらのなかに、「2つの原理の戦い」(den Streit zweier Principe)、あるいは「男と女、もしくは愛する者と愛される者とのあいだの対話」(Dialog zwischen Mann und Frau, oder Liebhaber und Geliebte)を認めた(特に作品14の第2中に)ことを想い起こさせている。ーーベートーヴェン史家たちは、それが、この芸術家に対する彼らの尊敬心にとって、あるいは音楽に関する彼らの固有の観念にとって、都合の悪いものであるという理由から、この言葉の真実性を疑おうと務める点で、大きな誤りを犯して来た。しかしこの言葉は、あるがままに受けとられなければならない。ーーすなわち偉大な芸術家の幻想が、しばしば楽しむところの・論理的主張のない・少少幼稚な・精神の戯れの一つとして。この諧謔的性質、戯言への意志を認めるには、『奏鳴曲ト長調』、作品14第2の〈ロンド、スケルツォ〉のフィナーレを読む以外にない。そこには実に帝王の戯れが見られる。…
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