楽譜を正しく、間違わず、書かれた音譜をもらさず演奏することは、
クラシック音楽のような楽譜を使った音楽においては、
まるで強制された「義務」であるかのような印象が
世の中にはなくはないように思われます。
クラシック音楽が時に人によっては「堅苦しい」、と感じられるのは
このような理由も手伝っているのではないでしょうか。
でも、思うのです。
楽譜を正しく演奏することは「義務」ではなく、
数多 . . . 本文を読む
結果オーライ!?
音楽演奏において、
それがよかったらよい、のですよね。
例えば、奏者は和声に関する知識なぞ持ち合わせていなかったとしても、
出てきた演奏が、見事な和声感を現していたとしたら、
それで素晴らしいのです。
感性が豊かで鋭かったら、
自然な和声感を体現することは不可能ではないでしょう。
それが出来る子供を「神童」と呼んでもいいでしょう!!
でも・・・なかなかそういう人はいな . . . 本文を読む
信じよ、されば救われる。
とか、
病は直ると強く信じることで、病が本当に直る
ということは、
大いに実際に有り得ることと思われます。
科学的にも、ポジティブに信じる心からは
体内に健康物質が分泌されるという検証結果もあるのだそうです。
そしてちょっと考えました。
信じる・強く信じられるには、
ただやみくもに信じよう・・・ったって
なかなかうまくいかないような気がします・・・
信じる . . . 本文を読む
「指揮」について、ふと考えてみました。
演奏者に、音楽を指示するのが指揮者の役割。
その極意は、ちょっと「前もって」指示することなのかもしれません。
リアルタイムに、その拍で、その時に指示するのでは遅い。
だって、音はもう鳴っちゃうから。
だから、ちょっと前もって。
よい指揮者とよいオーケストラが音楽を奏でるとき、
指揮者の動きに対して、オーケストラが遅れて音が鳴っているような感じ . . . 本文を読む
作曲を自身でしないピアニスト、あるいは限らず演奏家にとっては、
個々のリサイタルやコンサートのプログラムは「作品」であるといってよいのかもしれません。
前半・後半と別れたクラシック音楽会のオーソドックスな形のものから、
あるいは別の形だって色々可能性はあるはずです。
いずれにしろ、
充実したプログラムをまとめるのは、なかなか大変なものです。
発表会の場だって、そこで演奏する人にとっての大切 . . . 本文を読む
高橋大輔選手、
日本フィギュアスケート界史上初、銅メダル獲得おめでとうございます!!
http://www.yomiuri.co.jp/olympic/2010/photograph/garticle.htm?ge=672&gr=1962&id=60191
http://www.yomiuri.co.jp/olympic/2010/photograph/garticle.htm?ge=672&gr . . . 本文を読む
人間、知らないことだらけでしょう。
とはいえ、知っていることだって無くはない。
無闇に「何も知らない」という必要はないでしょう・・・が、
やっぱりきっと知らないことはとてつもなく多い。
人前で色々と発表する機会が多くなってゆく大人となっても、
「知らないことは知らない」
「ごめんなさい」
と言える勇気を持てたらいいな・・・
と、ふと思いました。
♪ . . . 本文を読む
われわれの分析はあくまでも、
客観的に制作品に内在する要求、
つまりは作品は本来美的形象であり、
それでもって形成される真理でなければならない
(ホルクハイマー、アドルノ著『啓蒙の弁証法』より)
♪ . . . 本文を読む
ミスタッチ探しに終始するは未熟な精神かと思いました。
ここに、試験やコンクールと呼ばれるものの危険性が含まれているのかもしれない・・・
なぜなら、残念ながら、試験やコンクールの審査にあたっては
「ミスタッチ」は審査するための一番わかりやすい基準であって、
音楽を聴きながら、この審査等における
最低ラインである意識の非情なまでの追跡から逃れることが非常に難しいのは
誰もが認めざるを得ないので . . . 本文を読む
以前、とっても不愉快な思いをしたことを、ふと
・・・思い出してしまいました・・・
それは某マスタークラスにて、某氏のレッスンを聴講していたとき、
その彼は、こんな暴言を、笑いながら、軽はずみにも吐いてしまいました。
「私は、ベートーヴェンの《ピアノソナタ op.111》は弾かない。
だって、コンクールの審査員をしながら、
いやというほど、この演奏を聴いてきたから」
・・・この発言を . . . 本文を読む
モーツァルトのフルート嫌いは、
クラシック音楽業界では有名な話です(いや正確には、フルート業界の内では?)
モーツァルトは、フルートのために
二つの《フルート協奏曲》を残していますが、
その内ひとつは、なんとどうやら「面倒くさいから」という理由で、
自身の《オーボエ協奏曲 ハ長調》を全音上げて
《フルート協奏曲 ニ長調》としたという逸話が残っているそうです。
それに怒った依頼者は、モーツァ . . . 本文を読む
和声外音の代表的なひとつ、
倚音
この歌い方を修得し、それをわがものとした人は、
音楽家としての大幅なレヴェルアップを成し遂げたことになると思うのです。
そんな倚音について、
今、ふと、モーツァルトを練習しながら、
この音に「憂い」という言葉が
ぴたり
と当てはまるのではないか、という気がしました。
いつもそうとは限らないのですが、
そういうこともあるのかも、と。
先日、プロイセ . . . 本文を読む
当たり前のことなのですが、
今更ながら、改めて考えてみますと・・・
「楽譜」は音楽家の「仕事道具」のひとつ
なのだと、改めて思いました。
いい仕事を、スムーズにするには、
いい仕事道具があれば、よりよい事は当然でしょう。
今日21世紀情報社会を生きる我々は、
クラシック音楽において、非常に精度の高い「原典版」の楽譜を手にして
音楽の勉強を・仕事をすすめることが出来るのは、
実に幸いなこ . . . 本文を読む
ベートーヴェン ドビュッシー
共に西洋クラシック音楽を代表する作曲家ですが、
どちらの作曲家も、数多くの作品を残しつつ、
しかしなんと、
ふと思いついたのですが、
二人とも、書いたオペラは「たったの一曲」・・・
ベートーヴェン作曲オペラ《フィデリオ》
ドビュッシー作曲オペラ《ペレアスとメリザンド》
もちろん、
他にもオペラの出案や草稿はあったでしょうが、
実際 . . . 本文を読む
ドイツ・ロマン派(クラシック!?)の巨匠
Johannes Brahms ヨハネス・ブラームス
そんな彼の、若かりし頃の姿がありありと目に浮かぶような文章を見つけたので、
ご紹介したいと思います。
『ブラームス回想録集 3 ブラームスと私』
ウ゛ィトマン・ゴルトマルク著 天崎浩二 編・訳 音楽之友社 より抜粋
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