吉田秀和著 『現代の演奏』新潮社より抜粋
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私たちがこんにち室内楽というものを、
交響的作品よりも高貴な種目と感じているとすれば、
それは、もちろん、
前者が貴族たちが自分で演奏した音楽であり、
後者はお抱えの職人たちにやらしたという区別からだけ
生まれているのではない。
けれども、
愛好家、つまり非職業人が演奏するということ . . . 本文を読む
吉田秀和著 『現代の演奏』新潮社より抜粋
ベートーヴェン作曲
《ピアノソナタ 第17番 d-mollニ短調 op.31-2“テンペスト”》
第1楽章について
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けれども、もっと深くて強いのは、
ベートーヴェンのソナタの出だしである。
あのラルゴとアレグロとアダジオの交代する
主題の提示と、その反復。
私は、
あのラルゴの簡単な . . . 本文を読む
吉田秀和著 『現代の演奏』新潮社より抜粋
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演奏はなんのためにあるか。
音楽作品を、
再現するためにあるのではない。
どこからかやってきて、どこかに消えてゆく、
私たちの生の持続のなかに、ある密度の高い時間が刻みこまれる。
演奏は、
そういう種類の時間を作りだす。
その時間は、
そのとききいた音楽の姿のひとつひとつ . . . 本文を読む
吉田秀和著 『現代の演奏』新潮社より抜粋
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〈レコード、ラジオなどの発達は、
私たちに甚大な影響をおよぼしつつある。
かつてそういう機械技術による再生手段がないか、
あってもごく幼稚で、
記録としてはとにかく、
芸術として真剣な問題にならなかったころ、
大家たちは、演奏に対して今とはちがった考え方をしていた。
. . . 本文を読む
吉田秀和著 『現代の演奏』新潮社より抜粋
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ルービンシュタインが、何番何曲のマズルカをひいたか、
もう完全に忘れてしまった。
だが、あの演奏はよかった。
ある曲は、すごく憂欝に、
ある曲はむら気で憂欝とはしゃいだ上機嫌とが直接隣りあわせに交代するし、
またある時は、小気味良い啖呵でもきかされる心地がする。
三拍子であり . . . 本文を読む
吉田秀和著 『現代の演奏』新潮社より抜粋
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ルービンシュタインの独奏会の時。
彼がショパンのト短調バラードの両手のオクターヴの黒鍵の下降のパッセージを、
《英雄》ポロネーズの左手のオクターヴのクレシェンドを、
ほかの誰も真似手のないほどの速度とダイナミックで演奏する時、
私の前にすわっていた老人夫妻が、
椅子の手すり . . . 本文を読む
吉田秀和著 『現代の演奏』新潮社より抜粋
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演奏家の独自の楽譜の読み方をすることと、
傑作を〈原形に戻す〉ことと、
この二つは矛盾することもよくあるけれども、さればといって
およそ〈読み方〉をすべて捨てれば、
原形が戻ってくるというものではないのである。
そうではなくて、私たちは、
ますます深い読み方への道をたどってゆくほかに
〈原 . . . 本文を読む
吉田秀和著 『現代の演奏』新潮社より抜粋
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彼のレコードにはすばらしい出来のものが少なくない。
あれだけの録音ができたからには、実演もたいていは
成功していただろうと考える方が、自然かもしれない。
だが、前にもいったように、
レコードの彼は、どちらかというと完全に近いが、
音楽としての完璧とはちょっとちがう。
あすこには . . . 本文を読む
吉田秀和著 『現代の演奏』新潮社より抜粋
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〈名手と呼ばれるこれらの例外的存在がなかったら、
一つの文明社会がどんな物になるかは想像もつかない。
名手たちの仕事や影響がなかったら、
音楽会の聴衆を形作っているこれら教養ある選良たちが
どうして出来上がるのか想像に困難だし、
またこの聴衆がなかったら、
音楽的創造が、つまり作曲家の芸術が . . . 本文を読む
吉田秀和著 『現代の演奏』新潮社より抜粋
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本をよみ直してみるということは、
そこに何がかいてあるかをもう一度たしかめるというのとは、
ちょっとばかり違うことなのだ。
それは、忘れた知識を改めて教えてくれることとも、
また私たちが考えついたり、考えつけなかったりすることに、
改めて強い注意をよびさますこととも、ちがう。
. . . 本文を読む
吉田秀和著 『現代の演奏』新潮社より抜粋
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要するに、
音楽作品にはこれが唯一正しい演奏だというものはあり得ないのである。
しかし、各人各様だということは、
そのどれもが、個人の勝手だということでは決してない。
皆が、その伝統と経験と音楽的感性や知性の限りにおいての、
個性と、作品との弁証法的なつながり方、対決から、
. . . 本文を読む
吉田秀和著 『現代の演奏』新潮社より抜粋
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このくらい複雑なさまざまの要素から生まれる課題を
一つの調和ある総合の次元で解決するのは、
すでに高度な精神的営みである。
ヴァレリーのいうごとく、
芸術家には、自分から課題を生み出す能力がなければならない。
他人が見ないところに、
問題と条件を見出すこと。
それは、芸術家 . . . 本文を読む
吉田秀和著 『現代の演奏』新潮社より抜粋
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音楽は
響きだけででき上がっているのでなく、
意味の芸術でもあるのであって、
不協和音が協和音に解決するとか、
重要な調性から、別の調性に転じたあとで、またもとに戻るとか、
その他のことは、
完全に感覚と感情の言語に移されているもののもつ意味上の出来事なのである。
つまり、それ . . . 本文を読む
吉田秀和著 『現代の演奏』新潮社より抜粋
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爆発的なフォルティッシモの響きもさることながら、
音楽演奏の美しさの急所の最大の一つは、
ピアニッシモの美にある。
そこで、楽器なり声なりの、
音の艶が消えず、表現の充実度が低下しないままに、
ピアニッシモが歌われ、奏されることが肝心なのである。
名人、大家といわれるほどの人々の演奏は、
み . . . 本文を読む
有名なベートーヴェンの《ヴァイオリン協奏曲》の、
あの冒頭のティンパニの開始について、
見事に・美しくまとめられた文章を
ご紹介させて下さい。
吉田秀和著 『現代の演奏』新潮社より抜粋
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ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲。
この曲の冒頭にあるティンパニのソロは、
本当に天来の妙想とよぶ他ない見事な開始である。
実演できけば . . . 本文を読む