21:12 from Keitai Web [ 1 RT ]「音楽とは分散している力の統合のようなものだ・・・。自然の中の《眼に見えない》ものへの感情の移入である。森の神秘を木の高さではかる者がいるだろうか。むしろ、それは想像力をどっと湧き出させる、測るすべのない森の深さではないだろうか」曰くドビュッシーby pianistGS on Twitter . . . 本文を読む
16:37 from Keitai Web 「幻想」は、個人的で自分勝手なものに陥りやすいもの・・・これをそうならないようにするために、古典の文学・芸術に触れることで、人々と自らの幻想を共有することができ、幻想を広く高く普遍的なレヴェルに仕立て上げることが出来るのかも・・・!?by pianistGS on Twitter . . . 本文を読む
11:57 from Keitai Web ガムラン音楽!?「あぁ~、あれか、なんとなく知ってる」つもりで、しかし生演奏は聴いたことがない・・・ ドビュッシーは1889年の万博で聴いている、実体験している。21世紀の科学が進んだ今日ですが、知ってるつもりで、実はよく知らないことが沢山あるように思えました・・・12:00 from Keitai Web テレビやラジオ、CDやインターネットで、色 . . . 本文を読む
22:41 from Keitai Web [ 3 RT ]「練習は本気、本番は遊び」「本番では80%出せるかどうかだから、練習では120%のつもりでやる」のだそうです(NHK番組「プロフェッショナル」より)。そのような考え方だと、もしかすると本番での大き過ぎる緊張から解放されるかも!?by pianistGS on Twitter . . . 本文を読む
「ドビュッシーの音楽は単純さそのものであって、
これを会得するのは至難の業です。
そのうんちくある芸術には
本能的に自然そのものが加味されている、いや
自然そのものから湧きでているようです・・・・・・。
甘美に官能的な、やさしい自然から」M.ロン . . . 本文を読む
12:47 from Keitai Web 海が見える!海が見えてきました!!ドビュッシー初期の作品《ピアノのために》の終曲《toccata》を弾きながら。それはドビュッシー最後のピアノ曲と言われる《装飾音のためのエチュード》につながるものでもあるようです。ドビュッシーの描く海が、きっと色々あるかも12:53 from Keitai Web 《toccata》という古典的な曲名が付いているもの . . . 本文を読む
22:06 from Keitai Web !!、20世紀フランス音楽の巨匠、ドビュッシーとラヴェルの具体的な接点を見付けました!ドビュッシーの小曲《スケッチ帳より》の初演を、ラヴェルが弾いたのだそうです。ドビュッシーの曲を弾くラヴェル・・・どんなだったのでしょう23:51 from Keitai Web ドビュッシーとラヴェル、ちょっと前の世代では、ショパンとリスト。作曲家として・人間として . . . 本文を読む
15:46 from Keitai Web ドビュッシーの初期の作品において、長いトリルの(隣り合う二つの音が継続的に交互に現れる)とき、そこにはドビュッシーの「欲求不満」という表現が見出だせるかもしれません。自らに・自らの境遇に不満を抱いている若きドビュッシーの気持ちが垣間見られた気がしました15:52 from Keitai Web 例えば曲集《版画》の最初《パゴダ》には、異国情緒に満ちた . . . 本文を読む
19:44 from Keitai Web 音楽教育において、倚音や掛留音などの和声的な事柄は教えられている。そして大事なのは、それらの音楽的魅力を、精魂こめて取り組むかどうか、ではないだろうか?by pianistGS on Twitter . . . 本文を読む
18:55 from Keitai Web ピアノ弾きが、本番で普段と違ってうまく弾けない時は、緊張感のせいか、上半身の角度が普段と違ったり(前のめり過ぎ?)、そして打鍵の角度が普段と違ったり(突き過ぎ?)という、具体的な事象があるのかもしれません。18:59 from Keitai Web ピアノを(楽器を)弾く際の体の使い方は、音楽性に一致すると思います。世阿弥のいう「音曲・はたらき一心」 . . . 本文を読む
17:18 from Keitai Web ドビュッシー初期のピアノ作品《バラード》は、アラベスク的(装飾音に彩られた音楽)であり、また《アラベスク》はバラード的(な音楽)である、と考えてみました。語呂はいいかな!?と。17:24 from Keitai Web なんだかドビュッシー《バラード》は、アラベスク的装飾に身を包んだ乙女の歌・・・!?のように思えてきました。エドガー・ポー風に言うなら . . . 本文を読む
12:01 from Keitai Web 芸術家には、なにがしかの「こだわり」が必要な気がしました。更にはそのこだわりが、単なる自分勝手なものでなく、真理に基づこうと思うものであれば、含蓄は一層増すのではないだろうか。12:08 from Keitai Web ハーモニーのアナリーゼ(和声の分析)から見えてくるものは、あるひとつの真実のはず。これに基づいて音楽してゆくことは、自分勝手ではない . . . 本文を読む
09:32 from Keitai Web [ 1 RT ]駅のトイレでの出来事。がに股でズカズカ歩くおやじが、清掃の女性に向かって通りすがりに一言「ごくろうさん」と・・・それにちょっとびっくりして答えて「ありがとうございます」と。見ていてなんとも妙に気持ちいい・かっこいいやりとりでした。10:33 from Keitai Web ナイアード(Naia . . . 本文を読む
22:30 from Keitai Web [ 1 RT ]ハーモニーの勉強とは、音楽の原理を勉強すること!?といえるだろうか、と、ふと考えました。00:03 from Keitai Web [ 1 RT ]原理主義に傾倒し過ぎたくはありませんが、しかし原理のもつ普遍性を音楽の現場に活かせることは出来そうで、それは大きな手応えをもたらすものだとも思わ . . . 本文を読む
12:57 from Keitai Web [ 2 RT ]発見!? 今年2012年は、ドビュッシー生誕150年であると同時に、バレエ《牧神の午後》が初演されてちょうど100年ということを知りました!ディアギレフ率いるロシアバレエ団でニジンスキーが踊ったというセンセーショナルな公演だったそうです。13:02 from Keitai Web 牧神は、十代 . . . 本文を読む