ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

貧者の核

2006年10月12日 | Weblog
以前、「貧者の核」と言えば、細菌兵器とかを指すも
のだったが、これからは「本当の核」がそれに取って
代わるというか、貧者という言葉が取れた時代になっ
てしまうのか、北朝鮮という国もますます「手に負え
ない国」まっしぐらだ。
まともな論理が通用しないから、経済封鎖で窮鼠状態
にするしか方法が無いという状況で、恐れるのは猫を
咬むこと。
やぶれかぶれで暴挙に出る確率はどのくらいなのだろ
うか。
近隣が一番心配するのは、難民がどっと押し寄せると
いう事態だ。
理想は、静かに消えてくれることなのだろうが。

そんな世界情勢の中、久しぶりのサッカー。
長閑さが、いつにも増して輝く。
相手がインドという、実力的には大分下のチーム。
ひやひやすることなく、のんびり見てられるのだが、
日本チームの問題点が散見されると、それはそれで一
瞬イラッとする。
行くときに行かない、バックパス、余計なパス回し、
しょぼいシュートなどがそれら。
そして、基本中の基本のトラップ、これがあまりに下
手。
全てが昔からの問題点で、なかなか改善されない。
実際、一朝一夕で劇的に変わるものでもない。
一歩一歩やるしかない。
体質的問題点解消の道のりは遠いということだ。

気になるのは、今のチームの華の無さをあげつらう事。
そして、Bチームのごとくいうこと。
スター選手不在は確かに事実だが、それは営業的に問
題だろうが、チームの実力に関わることではない。
それとBチーム、つまり実力的に劣ったチームのごと
く言われることに関しては、嘗てのスター選手(海外
で成功した実力者という意味ではなく、日本ではとい
う意味の)中心のチームが、どれほどのものだったの
かという事実を忘れている。
過去に対する過大評価、美化する陥穽というやつだろ
う。
全てに共通するこの傾向に対しては、常に自覚的でな
くてはならないということだ。

しかし、今の状態の巻は、ちょっと使えない。
嘗ての鈴木化現象に近いものを感じる。

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