フランスの、ワイン業界の内幕を追ったドキュメントを
見たが、「いずこも同じ春の日ぞ(で良かったか?)」
どこも同じような状況である、と改めて認識する内容
であった。
グローバリゼーションの波は、容赦なく押し寄せる。
分かりやすく、市場原理と言い換えた方が良いか。
つまり、ワイン業界も、売れ筋の味というものがあって、
どこもそういう味を目指し、結果、伝統的な土地の個
性を持ったワインが駄目になっていく。
そして、伝統的な作り方ではなく、科学的な方法でその
味を出す、というより出せるのだから、土地の個性な
ど益々必要でなくなる。
手作りで代々の味を守っているところは、その市場原
理で、つまり売れないワインを造り続けることによっ
て退場を余儀なくされる。
その市場原理を引っ張るのは、アメリカ資本、或いは、
権威を持ったワイン評論家である。
その現実に直面すると、当事者が問題だと思いがちだ
が、それを支持している一般ワイン愛好家あっての彼
らなので、彼らに責任があるというのは筋違いとなる。
問題なのは、一般消費者。
一部の権威に誘導されるという部分はあるが、実際そ
ういう(売れ筋の味)ワインを美味しいと思うのだか
ら、いまの状況を作ったのは、一般消費者ということ
になる。
そしてもっと肝心なのは、そういう味を好む一般消費
者にとって今の状況は全く問題ではないということ。
つまり、問題そのものが存在してないのだ。
コンビニ好きに、現在の日本の食文化が駄目になった
のは、コンビニに代表される食べ物に慣らされた日本
人の味覚の劣化によるところが大きい、などと言って
も、その味が好きなコンビニ好きにとっては、全くの
余計なお世話というか、彼らにとってはそれがスタン
ダードなのだから、同じように問題は存在しない。
マーケティングによる売れ筋がそういう品なのだから、
むしろ多数派は彼らで、批判的な人間がおかしいという
ことになってしまう。
ワインの世界もそういうことのようだ。
個性がなくなって面白くないと思うのは、本当極僅か
しかいない(多分)。
どんどん味は画一化されているので、郷愁と共にそう
いう言い方をしがちだが、実際にそういう個性的な味
を好むかどうかとなるとかなり怪しいのが現実。
味覚は、思った以上に早く平準化されているのだ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます