
徹底検証 大学法人化, 中井浩一, 中公新書ラクレ 147, 2004年
・自分にとって身近な問題であったはずのに、ただ流されるまま現在に至る。今ごろになってこんな本を読んでみた。このような政治・行政の分野は苦手です。ぅぁ~~漢字が多い~ややこしぃ~ 『徹底検証』と銘打っているだけあって広く取材してあり、大学法人化までの流れを把握できるしっかりした内容だと思います。類書を読んでいないのであまりハッキリしたことは言えませんが。しかし、一番知りたい『この先どうなるか』については全くわからず。まぁ、この情報をもとに自分で考えるしかないんでしょうね。
・『国立大学法人』と『独立行政法人』の区別すらついていなかったことが判明。読み終わった今でも区別ついてませんが。これを説明するだけで、本が一冊書けてしまうくらいなのでしょうね。きっと。それほど世の中の仕組みは複雑であることだけは、この本を読んでなんとなく分かりました。
・「国立大学の法人化問題は、国民の関心を引きつけられなかったようです。大学問題、ましてやその設置形態の問題など、一般の人にとってはあまりに遠い世界の出来事に思われたのでしょう。」p.4
・「しかしそもそも国立大学の教員たちは、はたしてこれまで、自分たちを「公僕」と考えたことがあったのでしょうか。「サービス」という観点を持っていたでしょうか。いやいや、実際はその逆だったのです。「安定」はともかく、自分の研究のことしか考えていなかった人がほとんどです。」p.6
・「ところで、こうして生まれた江崎学長の下での新たな改革は成功したのでしょうか。残念ですが、筑波大学はほとんど何も変わらなかったのです。それほどに日本社会の病は重いということなのでしょう。」p.7
・「彼は1997年当時、次のように国立大学のある教員から言われた。 「大学改革は墓場の移転と一緒で、永遠にできっこない。大学関係者っていうのは、もう何回も戦後改革の波を乗り越えてきている。常に頭を低くして、嵐が過ぎるのを待つ。そして結局何も変わらない。期待しないほうがいいよ」」p.11
・「文科省からの自立とはいっても、税金を使うという面は変わらないため、国の管理から完全に切り離されるわけではない。大学運営の指針となる六年単位の「中期目標」は文科省が制定。大学側は原案を示せるだけだ。大学は中期目標に基いて「中期計画」を作成、文科省の許可を受ける必要もある。」p.13
・「「これまで学長は『お飾り』でよかった。これからは実質的な経営者となる。それに合う人材でないと大学が困る」」p.21
・「国立大は法人化でやっと『国鉄』です。本当に競争力が付くのは、さらに進んで民営化した時でしょう」p.35
・「国立大学法人化実現の背景には、「行政改革」の巨大な流れと、産業再生のための構造改革の動きとがあった。」p.49
・「なぜならば、筑波大学こそ、約30年前に「新構想大学」として従来の国立大学の機構改革を実際に断行した、唯一の壮大な実験だったからだ。それは今日の「法人化」の30年早い先取りであり、90年代の「大綱化」以降の「教養部改革」「大学院重点化」による大改革の20年早い先取りだったと言えるのだ。」p.65
・「国大協は、根本の議論を避け、改革の火の粉が我が身に及ぶことだけを避けようとしていた。こうした無責任体質は、今回の国立大法人化の経緯でもほとんど変わっていないのではないだろうか。」p.81
・「なあなあでやってきた大学人にとって、評価されることへの抵抗は大きい。」p.91
・「平たく言えば、筑波大学は30年かけて「普通の大学」に戻ったということだ。」p.103
・「筑波大学の経験からは、法人化の成否は以下のようになるだろう。 人々の意識が、従来のコンセンサス方式、「全会一致」主義を克服できるかどうか。」p.115
・「国立大と文部省の関係は、文部省は他から国立大を守る立場、国立大は文部省に守ってもらう立場なのだ。例えば、経産省から守ってくれるのが文部省だ。つまり「持ちつ持たれつ」の関係だ。私はそれを、子離れできない「過保護ママ」と、不平不満を言いながらも自立できない「甘ったれ坊や」の関係と言っている。」p.150
・「ここに、今回の大きな問題が見える。つまり、大学政策という、国家の教育政策の根幹に関わる問題を決める際にも、その大学全体の政策を議論することもできないまま、国立大学の独法化(法人化)だけが決定されたのだ。」p.171
・「大学とは、一見最先端の科学的で合理的な世界のように見えながら、実は、こうした怨念がうずまき怨霊が跋扈する「闇の世界」であり、「陰陽師」を必要としているのだ。」p.177
・「大学改革は、つねに、理工系の教員、執行部が中心になって動いてきた。文系の教員たちはほとんど常に、「守旧派」だ。それが、この法科大学院で大きく様変わりする可能性がある。」p.190
・「結果は、またしても「一斉・一律・横並び」であった。(中略)まず、国立大のすべてが、04年4月に一斉に法人化されたことを言う。従来のまま留まるところもあって良かったし、むしろ民営に走るところがあっても良い。独法で実施するところもあって良い。こうした選択がなく、すべてが国立大学法人だ。 また、その法人の中身も、一斉横並びなのだ。」p.204
・「「国立大学協会(以下、国大協と略)にはなんの権限もない。真空のようなもの」といった見解がある。法人化問題を前にして「何もできなかった」「無為無策」「攻めることは何もできなかった」と激しい批判を受けたのは、今回は国大協だった。」p.211
・「日本の国立大学の学長とは名誉職であり、誰がやっても何も変わらない。何もしないことこそが、多くの学内者から求められたころだった。事実たいした権限がなかった。したがって、彼らには、国大協で個人的見解を述べることはできても、大学全体を代表する力はないのだ。」p.212
・「国立大には大きな問題がある。その改革案として「法人化」や「遠山プラン」があるのだから、それに反対するのなら、代案を出すべきだ。そして彼らの示した代案が「国立大学地域交流ネットワーク」だったのである。」p.235
・「東大を中心にすべては回る。それが今回も繰り返された。賛成派も、反対派も、東大が代表する。他は東大を見て、右へならう。東大型の一斉横並び。それが日本社会のあり方だ。」p.251
・「国立でも民営化でもない法人化では、民間企業並みの煩瑣な予算手続きと官庁なみの情報公開を求められて、ただでさえ事務作業量の増加で悩んでいるところに、また余計な案件がふってきたというのが、正直な実感です」p.270
・「一方、「文科省のやつらは馬鹿ばっかり」といった経産省の若手による挑発文がネット掲示板「2ちゃんねる」などで大量に流されている。」p.283
・「澤は、国立大学の問題を二つ挙げる。一つは講座制などのピラミッド型組織の問題。もう一つは行政システムの問題。」p.286
・「先に述べたように、組織の問題は複雑で、縦割り行政の壁は厚い。ところが、独法化は、そう言った問題をいっぺんに解決できるツールだった。「ですから国立大学にもずっとお薦めしてきたわけです」。 そのメリットは三つある。予算執行の自由、組織編成の自由、人事管理の自由だ。」p.288
・「結局、予測可能性と不可能性の問題なのです。どんなに良い制度でも、予測ができない制度は不安だし嫌なのです。嫌な制度でも、慣れていて予測できる方を選びたいようです。」p.295
・「「俺たちが日本を支えている」。彼らのエリート意識は強烈だ。他への蔑視も激烈だ。「文科省の局長クラスでは、経産省の課長も務まらない」。」p.310 経産省てスゲー省庁なのですね。そんな事も知らない行政音痴。
・「経産省の行動は、基本的に「問題提起型」だ。現状に異議申し立てをするのが仕事なのだ。一方、他の官庁は、基本的に「現状維持型」と言える。」p.311
・「「肝心な点や核心部分がぼかされている」。国立大学法人化の問題を調べていると、こうした感想を持つようになる。 立場の如何を問わず、こうした傾向がある。」p.338
?エピゴーネン(ドイツEpigonen)学問、思想、芸術などで、まねをするばかりで独創性のない人。模倣者。
?かし【瑕疵】 1 きず。欠点。また、あやまち。 2 法律で、通常あるべき品質を欠いていること。
・自分にとって身近な問題であったはずのに、ただ流されるまま現在に至る。今ごろになってこんな本を読んでみた。このような政治・行政の分野は苦手です。ぅぁ~~漢字が多い~ややこしぃ~ 『徹底検証』と銘打っているだけあって広く取材してあり、大学法人化までの流れを把握できるしっかりした内容だと思います。類書を読んでいないのであまりハッキリしたことは言えませんが。しかし、一番知りたい『この先どうなるか』については全くわからず。まぁ、この情報をもとに自分で考えるしかないんでしょうね。
・『国立大学法人』と『独立行政法人』の区別すらついていなかったことが判明。読み終わった今でも区別ついてませんが。これを説明するだけで、本が一冊書けてしまうくらいなのでしょうね。きっと。それほど世の中の仕組みは複雑であることだけは、この本を読んでなんとなく分かりました。
・「国立大学の法人化問題は、国民の関心を引きつけられなかったようです。大学問題、ましてやその設置形態の問題など、一般の人にとってはあまりに遠い世界の出来事に思われたのでしょう。」p.4
・「しかしそもそも国立大学の教員たちは、はたしてこれまで、自分たちを「公僕」と考えたことがあったのでしょうか。「サービス」という観点を持っていたでしょうか。いやいや、実際はその逆だったのです。「安定」はともかく、自分の研究のことしか考えていなかった人がほとんどです。」p.6
・「ところで、こうして生まれた江崎学長の下での新たな改革は成功したのでしょうか。残念ですが、筑波大学はほとんど何も変わらなかったのです。それほどに日本社会の病は重いということなのでしょう。」p.7
・「彼は1997年当時、次のように国立大学のある教員から言われた。 「大学改革は墓場の移転と一緒で、永遠にできっこない。大学関係者っていうのは、もう何回も戦後改革の波を乗り越えてきている。常に頭を低くして、嵐が過ぎるのを待つ。そして結局何も変わらない。期待しないほうがいいよ」」p.11
・「文科省からの自立とはいっても、税金を使うという面は変わらないため、国の管理から完全に切り離されるわけではない。大学運営の指針となる六年単位の「中期目標」は文科省が制定。大学側は原案を示せるだけだ。大学は中期目標に基いて「中期計画」を作成、文科省の許可を受ける必要もある。」p.13
・「「これまで学長は『お飾り』でよかった。これからは実質的な経営者となる。それに合う人材でないと大学が困る」」p.21
・「国立大は法人化でやっと『国鉄』です。本当に競争力が付くのは、さらに進んで民営化した時でしょう」p.35
・「国立大学法人化実現の背景には、「行政改革」の巨大な流れと、産業再生のための構造改革の動きとがあった。」p.49
・「なぜならば、筑波大学こそ、約30年前に「新構想大学」として従来の国立大学の機構改革を実際に断行した、唯一の壮大な実験だったからだ。それは今日の「法人化」の30年早い先取りであり、90年代の「大綱化」以降の「教養部改革」「大学院重点化」による大改革の20年早い先取りだったと言えるのだ。」p.65
・「国大協は、根本の議論を避け、改革の火の粉が我が身に及ぶことだけを避けようとしていた。こうした無責任体質は、今回の国立大法人化の経緯でもほとんど変わっていないのではないだろうか。」p.81
・「なあなあでやってきた大学人にとって、評価されることへの抵抗は大きい。」p.91
・「平たく言えば、筑波大学は30年かけて「普通の大学」に戻ったということだ。」p.103
・「筑波大学の経験からは、法人化の成否は以下のようになるだろう。 人々の意識が、従来のコンセンサス方式、「全会一致」主義を克服できるかどうか。」p.115
・「国立大と文部省の関係は、文部省は他から国立大を守る立場、国立大は文部省に守ってもらう立場なのだ。例えば、経産省から守ってくれるのが文部省だ。つまり「持ちつ持たれつ」の関係だ。私はそれを、子離れできない「過保護ママ」と、不平不満を言いながらも自立できない「甘ったれ坊や」の関係と言っている。」p.150
・「ここに、今回の大きな問題が見える。つまり、大学政策という、国家の教育政策の根幹に関わる問題を決める際にも、その大学全体の政策を議論することもできないまま、国立大学の独法化(法人化)だけが決定されたのだ。」p.171
・「大学とは、一見最先端の科学的で合理的な世界のように見えながら、実は、こうした怨念がうずまき怨霊が跋扈する「闇の世界」であり、「陰陽師」を必要としているのだ。」p.177
・「大学改革は、つねに、理工系の教員、執行部が中心になって動いてきた。文系の教員たちはほとんど常に、「守旧派」だ。それが、この法科大学院で大きく様変わりする可能性がある。」p.190
・「結果は、またしても「一斉・一律・横並び」であった。(中略)まず、国立大のすべてが、04年4月に一斉に法人化されたことを言う。従来のまま留まるところもあって良かったし、むしろ民営に走るところがあっても良い。独法で実施するところもあって良い。こうした選択がなく、すべてが国立大学法人だ。 また、その法人の中身も、一斉横並びなのだ。」p.204
・「「国立大学協会(以下、国大協と略)にはなんの権限もない。真空のようなもの」といった見解がある。法人化問題を前にして「何もできなかった」「無為無策」「攻めることは何もできなかった」と激しい批判を受けたのは、今回は国大協だった。」p.211
・「日本の国立大学の学長とは名誉職であり、誰がやっても何も変わらない。何もしないことこそが、多くの学内者から求められたころだった。事実たいした権限がなかった。したがって、彼らには、国大協で個人的見解を述べることはできても、大学全体を代表する力はないのだ。」p.212
・「国立大には大きな問題がある。その改革案として「法人化」や「遠山プラン」があるのだから、それに反対するのなら、代案を出すべきだ。そして彼らの示した代案が「国立大学地域交流ネットワーク」だったのである。」p.235
・「東大を中心にすべては回る。それが今回も繰り返された。賛成派も、反対派も、東大が代表する。他は東大を見て、右へならう。東大型の一斉横並び。それが日本社会のあり方だ。」p.251
・「国立でも民営化でもない法人化では、民間企業並みの煩瑣な予算手続きと官庁なみの情報公開を求められて、ただでさえ事務作業量の増加で悩んでいるところに、また余計な案件がふってきたというのが、正直な実感です」p.270
・「一方、「文科省のやつらは馬鹿ばっかり」といった経産省の若手による挑発文がネット掲示板「2ちゃんねる」などで大量に流されている。」p.283
・「澤は、国立大学の問題を二つ挙げる。一つは講座制などのピラミッド型組織の問題。もう一つは行政システムの問題。」p.286
・「先に述べたように、組織の問題は複雑で、縦割り行政の壁は厚い。ところが、独法化は、そう言った問題をいっぺんに解決できるツールだった。「ですから国立大学にもずっとお薦めしてきたわけです」。 そのメリットは三つある。予算執行の自由、組織編成の自由、人事管理の自由だ。」p.288
・「結局、予測可能性と不可能性の問題なのです。どんなに良い制度でも、予測ができない制度は不安だし嫌なのです。嫌な制度でも、慣れていて予測できる方を選びたいようです。」p.295
・「「俺たちが日本を支えている」。彼らのエリート意識は強烈だ。他への蔑視も激烈だ。「文科省の局長クラスでは、経産省の課長も務まらない」。」p.310 経産省てスゲー省庁なのですね。そんな事も知らない行政音痴。
・「経産省の行動は、基本的に「問題提起型」だ。現状に異議申し立てをするのが仕事なのだ。一方、他の官庁は、基本的に「現状維持型」と言える。」p.311
・「「肝心な点や核心部分がぼかされている」。国立大学法人化の問題を調べていると、こうした感想を持つようになる。 立場の如何を問わず、こうした傾向がある。」p.338
?エピゴーネン(ドイツEpigonen)学問、思想、芸術などで、まねをするばかりで独創性のない人。模倣者。
?かし【瑕疵】 1 きず。欠点。また、あやまち。 2 法律で、通常あるべき品質を欠いていること。
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