
■ 描く事で物欲を鎮めた時代 ■
私は高校の頃から「物欲」が生じると、
欲しい物の「絵」を書いて煩悩を鎮めるクセがあります。
貧乏な大学生の頃に描いたのが上の一枚です。
「物欲」を鎮める為、ボールペンで「写経」の様に描いていました。
何故か鉛筆下書きはしていなかったと思います。
だいたいストラップを吊る金具から描き始め、
徐々に全体を書いてゆくので、途中でパースがズレたりしますが、
真っ白の紙に、徐々に現れてくる全体像に、
煩悩が鎮められるのだと思います。
仏師が一本の材木から仏像を彫り出す気持ちに似ているかも知れません。
■ キャノンA-1は画期的なカメラだった ■

当時の私はキャノンのA-1というカメラを使っていました。
高校1年の年賀状配達のアルバイトで買った思い出のカメラです。
高校一年生の私は、青二才でしたから、
カメラのスペックの派手さでA-1を購入しました。
現在も当時もキャノンの電子技術は優れていて、
自動露出機構で当時最先端のプログラム・オートなる物を搭載していました。
当時のカメラ小僧達は、ニコンを初めとする「絞り優先オート」と
キャノンが独自に採用する「シャッター速度優先オート」と
どちらが優れたシステムかで、意見を二分する激論をしていました。
ところがキャノンA-1は「絞り優先オート」と「シャッター速度優先オート」の
両方を搭載する事で、この論争にあさりと終止符を打ってしまいました。
それどころか、「プログラムオート」なる、露出を自動に決めるシステムまで搭載し、
カメラマンは撮影に専念すべきだという思想を掲げていました。

集積率の低い時代の電子パーツを強引にボディーの中に詰め込む為に、
両面プリント基板を用いるなど、その後の技術発展に大いに貢献したカメラでした。
しかし、年賀状配達のバイト代と、貯金していたお年玉では、
A-1を買うと純正レンズが買えませんでした。
結局TAMRONというレンズ専業メーカーの
35-70mmレンズで我慢した、苦い思い出があります。
ところがTAMRONのレンズはマクロ撮影が出来るというオマケがありました。
当時から自然が好きだった私は、随分とマクロ撮影を楽しんだ思い出があります。

A-1の影に隠れがちですが、ミノルタのXDは
A-1よりも練り上げられた両優先機でした。
ただ、従来カメラのデザインと操作性だったので、
その先進性をアピールする事に失敗しています。
多分、カメラとしての出来栄えは、XDの方が数段上だったと思います。
提携するライカと同等のブラックペイントも渋かったです。

一方、キャノンを追随する形でMamiyaが発売したZE-Xは
レンズの距離情報を電子的にカメラに伝えるという先進のシステムを採用しました。
ストロボの発光を距離優先でコントロール出来るという画期的なものでした。
しかし、カメラ自体の作りはオモチャの様で、Mamiyaその後倒産してしまいます。
■ ネイチャーカメラマンはやっぱりオリンパス ■

私が一時期熱中したネーチャーフォトの分野では
オリンパスのシステムが充実していました。
マクロレンズ群、マクロ用ストロボ、ベローズなどのアクセサリー群も
オリンパスの製品はシステムとして完成されていました。

当時のオリンパスのフラッグシップはOM-2Nというカメラでした。
OMシリーズは、小型一眼レフカメラの草分け的カメラです。
オリンパスの技術者、米谷美久氏は、
当時の大きくて重たい一眼レフに不満を抱いていました。
そこでカメラの設計を一から見直す事で、
小型で高性能な一丸レフを開発しようと試みます。
そうして出来上がったOM2は単に小型というだけで無く、
今でも驚く様な技術が詰まった素晴らしいカメラでした。

当時の一眼レフカメラは、ミラーがアップすると測光が出来ない機構でした。
ところがOM2は受光部がボディー底部でフィルムに向けられて設置されていました。
ミラーがアップしてもフィルムの反射光を測定し続ける事で
突然の光の変化にも追随出来るのでした。
オリンパスではこれをTTL(throiugh the lens)ダイレクト測光と呼んでいました。

シャッターが閉じている時は、シャッター膜の反射光を計測する方式だったので、
シャッター膜には、独自の白黒のランダムパターンが印刷され、
測光精度を高める工夫がされていまいた。
TTLダイレクト測光は思わぬ副産物を生みだします。
ストロボ撮影の露出を、フィルムの反射光で決める事が出来たのです。
これは画期的な事でした。
他のメーカーのカメラでは、ストロボ発光時にはカメラは測光出来ないので、
ストロボー・オートの露出決定はストロボの露出計で行っていました。
ところが、オリンパスは撮影中のフィルムの反射光で
ストロボ撮影の露出をリアルタイムでコントロールしたのです。
カメラとストロボを電子接点で繋ぎ、カメラからストロボを制御しました。
これはマクロ撮影や、多数のストロボを使用する時に
圧倒的なメリットを生み出します。
この様に、オリンパスのOMシステムは一眼レフカメラの技術の基本を
一から作り変える事で、それまでカメラ単体で完結していた撮影機材を、
初めてシステム化する事に成功したカメラでもありました。
■ 技術が生み出すデザイン ■



OMシステムのデザインは、生みの親である米谷氏が担当されていました。
直線と微妙な曲線によって生み出されたデザインは、
ニコンF2やキャノンF1の、「単なる箱」的なデザインとは一線を画す
インダストリアル・デザインの名作です。
その形は技術の要求と、それを使う人の要求によって、生みだされます。
小さくても手になじむ形。
システムとして、カメラと一体化したモータードライブの形。
そして、全てのアクセサリーが共用出来るのもOMシステムの魅力でした。
他社のカメラは、モータードライブなどはボディー毎に専用でした。
技術者の米谷美久氏はカメラをシステムとして捉えてた天才でした。
フラッグシップ機も普及機も共通のアクセサリーを使用でき、
操作性も統一され、光学機メーカーとしてのポリシーが貫かれていました。
ただ、不思議な事にレンズがいま一つだったと記憶しています。
ZUIKOレンズは、設計の古いものも多く、
最新のコンピューター設計のキャノンやニコンのレンズに比べ、
非球面や低分散レンズの採用なども無く
ネイチャーフォト以外ではプロの使用に耐えるものでは無かった様です。
■ 時代の「あだ花」、OM-4、OM-3 ■
プログラムオート競争の次に訪れたのは、
測光システムの高度化の競争でした。

この分野の先駆者はニコンでした。
画面を5分割して、空や人物などを想定して露出を決める
マルチパターン測光は、ニコンFAでデビューします。
オリンパスのTTLダイレクト測光システムは先駆的でしたが、
いささか平均的に露出を決める傾向があり、
ユーザは経験的に補正を掛ける必要がありました。
OMシステムは露出補正ダイアルが操作し易く、
「露出補正は当たり前」という思想を採用していた様です。
ところがニコンFAのマルチパターン測候は、
露出補正もカメラに任せるという時代を切り開きます。
そして各社、この流れに追随します。

ところが、オリンパスはこの流れに逆流する測光方式を採用します。
OM-4、OM-3で採用されたマルチ・スポット測光です。

露出決定が平均化し過ぎるというTTLダイレクト測光のデメリットを補う為に、
画面中央部を測定する専用のセンサーを設け、
プロカメラマンの使用するスポットメーターをカメラに組込むという発想でした。
ハイライトをスポット計測してハイライトで露出を決めたり、
シャドーを測定して、シャドー部で露出を決める機能も持ち、
さらには、9回程度のスポット測定で露出を決める事も可能でした。
これは、まさにプロの技術でした。
ところが、アマチュアカメラマンには使いこなせるものでは無く、
フルオートで適正露出が得られるマルチパターンが圧勝します。
OM-3、OM-4とも、デザイン、操作性、ある程度の耐久度など、
カメラの完成度は圧倒的に高かったのですが、
ズーム時代に乗り遅れた旧式のレンズシステムと共にOMシステムは斜陽を迎えます。
冒頭の絵は、OM-4が欲しくてたまらな時に、
下宿の六畳間でシコシコと描いたものです。
■ オートフォーカスに乗り遅れて消滅の危機に ■
その後、カメラメーカーはオートフォーカスの時代に突入します。
コンパクトカメラでは当たり前になっていたオートフォーカスですが、
一眼レフでは、交換レンズ群のマウントの変更が伴うので、普及が遅れます。

初期のオートフォーカスはキャノンが販売します。
レンズにモーターを組み込む事で、
それまでのレンズとは異なる異形のレンズでした。
T80とシリーズ化されたキャノンの意欲作でした。

その頃、オリンパスと共に、一眼レフカメラで苦戦していたミノルタは、
レンズシステムを全て刷新する事で、オートフォーカスを本格導入に踏み切ります。
ミノルタα7000です。このカメラはバカ売れします。
面倒なピンと合わせをカメラがやってくれるので、女性でも使い易く
ミノルタのカメラ部門は一気に復活します。

しかし、キャノンが猛追し、EOS-Kissの爆発的ヒットで、
結局キャノンの物量の前にミノルタは敗北します。
一方、オリンパスはオートフォーカスに完全に乗り遅れます。
結局、交換レンズ群のオートフォーカス化は行わず、
一眼レフ市場(交換レンズ)から、撤退します。
OMシステムの歴史に幕が下りたのです。

オートフォーカス全勢の時代に、
オリンパスはレンズ一体型の一眼レフのL1を発売します。
一眼レフユーザーの多くは、1本のズームレンズしか所有していないので、
それならば、レンズ一体型で十分だろうという発想でした。
しかし一眼レフ購入の動機は、「いつかは高い交換レンズ」ですから、
Lシリーズは人気を得る事は出来ませんでした。
ところが、OM-4, OM-3はその完成度の高さから、
中古市場では人気がありました。
数年前までは、マニュアル機のOM-3は、随分高値ででした。
■ コンパクトデジカメは好調だった ■
その後時代はフィルムカメラからデジタルカメラに移行します。
コンパクトデジタルカメラからスタートした
コンシューマーなデジカメ市場で、オリンパスは好スタートを切ります。


初期の高性能コンパクト機CAMEDIAシリーズは、
キャノンのG1などと人気を二分していました。
ところがコンパクト・デジカメは直ぐに各社入り乱れた乱戦に突入します。
オリンパスはμシリーズで善戦はしますが、
次第にシェアを落としてゆきます。
■ フォーサーズで勝負を挑む ■
コンパクトデジカメに続いてデジタル一眼レフの時代が到来します。
しかし一眼レフ市場から撤退したオリンパスは
一眼レフの資産とも言える、オートフォーカス・レンズ群を持っていません。
キャノンのEOSシリーズが牽引するデジイチブームを、
オリンパスは指を咥えて見ているしか無い状態が続きます。
ところが水面下では、オリンパスの一眼レフ復帰の大計画が進行していました。

オリンパスが一眼レフ復帰として満を持して発表したのがE-1です。
E-1は野心的なカメラでした。
オリンパスは過去のレンズ群とのシガラミがありませんでしたから、
デジタル一眼レフの光学系を理想的に構築する事にチャレンジします。
先ずフォーサーズというCCDのサイズの規格化を
コダックやシグマ、パナソニックと共同でスタートさせました。
フォーサーズは体格3/4インチのCDDを使用する事で、
レンズの焦点距離の2倍が35mm一眼レフの焦点距離に匹敵する企画です。
EOSの普及機が採用していたAPS-Cよりも小さなCCDなので、
システムを小型化出来るというメリットを持っています。
オリンパスはこのフォーサーズCCDで理想の光学系を追求します。
CCDに光が入射する時、CCD周辺部では光が斜めに入射するので、
CCDの電極などの影が生じて、周辺部は十分な光が得られません。
そこでオリンパスは小さなCCDの利点を生かして、
CCD周辺部でも垂直に光が入射する光学系を設計します。
これをオリンパスはデジタル専用レンズと呼び他社と差別化を図ります。

さらにE-1ではCCDのゴミを振り払う超音波の振動フィルターが採用されます。
CCDにゴミが付着する事は良く起こる事です。
特にレンズ交換時にゴミがボディー内に入り込む一眼レフでは、大きな問題でした。
どんなに高級なカメラでも、CCDにゴミが付着しては出来上がった写真が台無しです。
オリンパスはこの問題に解決策を見つけたのです。
現在、ほとんどのメーカーが採用している事からも、これは画期的なアイデアでした。
しかし、E-1は残念ながらあまり売れませんでした。
ネイチャーフォトの使用を想定したオリンパスは
E-1に堅牢なボディーと、防水を施しました。
非常に高級感のあるカメラには仕上がりましたが、
重く大きなボディーは、フォーサーズの小型化のメリットを
全く生かす事が出来なかったのです。
CCDへの光の垂直入射の為に、レンズ後端から、CCDの距離は長く取る必要があります。
ですから、、オリンパスは技術にこだわるあまり、
「小型化」という最大のメリットを捨てていたのです。
さらにはフィルム時代のオートフォーカスの経験値が低い事も災いします。
E-1のピント合わせのスピードはそれ程早くありませんでした。
高級価格帯でありながら、フォーサーズという小さなCCDは画質的にも不利です。
さらには、デジタルカメラは画像処理技術の優劣が画質を決定します。
これは先行するメーカーに一日の長がありました。
オリンパスE-1は、先進的技術を詰め込みながらも、
デビューした時に、既に一世代古いカメラになっていたのです。
■ これぞオリンパス E-300 ■

デビューから躓いたオリンパスのデジタル一眼レフですが、
高級機のE-1と並行して進められていた普及機がシングルヒットを飛ばします。
E-300です。

「安さ」を追求したE300は、ファインダー系の光学系を簡素化します。
一眼レフの代名詞とも言えるペンタプリズム部を廃止したのです。
これはかつての名器、オリンパスPENの手法です。
値段もこなれていたE-300は、一部の変わり物好きの心を捉えます。
さらにE-300に搭載されていたCCDの青の発色の良さが口コミで広がります。
「コダック・ブルー」と呼ばれるこの発色を求めて、
中古の価値が激減する中古デジタルカメラ市場で、
E-300番台の機種は、未だに人気を保っています。
技術の追求が、ある時思わぬ形で結実するのが、オリンパスらしさとも言えます。
E-300こそが、これぞオリンパスと言えるカメラでした。
■ 最もバランスの取れた普及機 ■

その後オリンパスのデジタル一眼は低迷を続けます。
しかしこの時代の商品は、実は非常にバランスの取れた名器でした。
ミノルタが先鞭を付けたボディー内手補正にオリンパも追随します。
超音波CCDゴミ取り装置のスペースが活用出来た為です。
オリンパスのボディー内手ぶれ補正は強力で、
シャッター速度3段分くらいを補正してしまいました。
全ての交換レンズで使用出来るこの方式は、現在でも最強の手ぶれ補正技術です。
E-510はボディー内手ぶれ補正を採用した普及機でしたが、
この時代の各社の普及機の中で最もバランスの取れた機種でした。
ただ、地味だったので、ヒットには繋がりませんでした。
■ やっぱりオリンパスはPENだ!! ■

不振が続くオリンパスのデジタル一眼レフに救世主が現れます。
それが「PEN」です。
フィルム時代にも「PEN」は大ヒットカメラでした。
フィルムが高価な時代に、半分のサイズで2倍撮影出来る
ハーフサイズの一眼レフのPENはオリンパスの看板カメラでした。
オリンパスはデジタル一眼レフの企画でフォーサーズを採用しましたが、
真面目に光学性能を追求し過ぎて、小型化に失敗します。
そこでフォーサーズよりもさらに小さなマイクロフォーサーズという規格を立ち上げます。
PENは光学ファインンダーも潔く捨て去りました。
これ厳密には一眼レフとは呼べないシステムですが、
光学ファインダーの廃止は、ボディー内のミラーは排除出来るので、
ボディーを薄く設計する事が出来ます。
PENはデザインも高級感があり、
カメラのデザインとしての語法も完ぺきでした。
所有する事と、撮ることの喜びが両立するカメラです。
ペンは大ヒットを飛ばし、オリンパスのカメラ部門の救世主になります。
■ フォーサーズの底力を見せつけるE-5 ■

いつの時代も主役は遅れてやてくる様です。
オリンパスのフラッグシップ機はE-1、E-3と進化していまたが、
E-3もやはり時代を先導する機種ではありませんでした。
2010年暮れにE-3の後継として、E-5が発売されます。
E-3からほとんど進化が見られないそのスペックに、
発売前の市場は落胆し、ネットでは罵声が飛び交いました。
ところが、E-5が発売されるやいなや罵声は賛辞に変わりました。
E-5の解像度が群を抜いて素晴らしいものだったのです。
オリンパスの採用するフォーサーズはCCDの面積が小さく、
解像度の面では不利な規格です。
しかしオリンパスは地道に画像処理ソフトを練り上げます。
光学系を含むフォーサーズの基本性能の高さが後押しして、
解像度を妨げるローパスフィルターの設定を弱く出来たのです。
兼ねてよデジタル専用設計のオリンパスのレンズ群は定評がありましたが、
E-5というボディーを得て、その高性能が炸裂します。
特に「松」と称される高額レンズでは、その画質は未踏の領域に到達します。
参考までにペンタックスのK5との比較がありましたので紹介します。
http://www.otaru.or.jp/?p=1275
E-5は販売後一年を経っても入荷待ちの状態です。
尤も、普及機が売れていないので、フォーサーズから撤退して
マイクロフォーサーズのPENシリーズに特化するという噂も出始めています。
E-5がOM-4やOM-3の様に、
時代のあだ花にならない事を切に願います。
■ 技術者魂は一流で、商売の下手なオリンパス ■
カメラ部門に関しては、オリンパスは技術者魂は一流で、商売は三流です。
売れ筋を狙わず、たまに思わぬ三塁打を放つ企業です。
しかし、そこがたまらなくファンの心を惹きつけて止みません。
私は5年ほど前、中古でOM2を購入しました。
一緒に買った35mmF2レンズは、
逆行でフレアーが大発生する所謂「クセ玉」でしたが
発売後30年近く経っても、OM2はキビキビと小気味良く作動しました。
キャノンA-1のゴリゴリ・・ガッチョンという操作感とは違う、
精密機械が動いているという実感があります。
電子化に特化したA-1は、故障うも多く、
現在では作動するものは少ないでしょう。
それでも、キャノンが先端の技術の投入と、
デザインを含めた巧妙な営業戦略グローバル企業をして勝ち残りました。
■ 頑張れ!! オリンパス !! ■
現在オリンパスが不正経理問題で存亡の危機です。
元々赤字のカメラ部門は生き残れないかも知れませんが、
世界最高の技術とシェアを誇る、光学医療機器部門は、
絶対に外資などには手渡してはなりません。
国民が千円ずつ出し合っても救いたい企業です。
頑張れ、オリンパス !!
負けるな、オリンパス !!
最後に、高校時代に初めて描いたカメラの絵を恥ずかしながら載せて終わります。
キャノンA-1よりもオリンパスOM2Nを買うべきだったとの
訓戒の念を込めた一枚です。
・・・って、どれだけ物欲支配されてんだ、当時のオレは・・・。
