人力でGO

経済の最新情勢から、世界の裏側、そして大人の為のアニメ紹介まで、体当たりで挑むエンタテーメント・ブログ。

アニメにとってのセリフの役割・・・松尾衡とプレスコ手法

2013-07-06 11:44:00 | アニメ





メルセデス A-ClassのCMフィルム。
まあ、こうやって情報が勝手に拡散して行くのですから、まさに広告代理店の思うツボな訳ですが・・・。

(これ、本日の話題にはほとんど関係無い映像です)

『ココロコネクト』の稲葉の声の「沢城みゆき」が女の子の声を当てていますが、この人、本当に変幻自在ですね。

『宇宙兄弟』ではセリカさんと、ムッタの子供時代と、犬のApoの一人三役。

あまり声優さんって興味が無いのですが、この人だけは上手いなぁーって感心してしまいます。松尾衡のお気に入りですが、『ローゼンメイデン』の真紅役は本当に痺れます。最近では『化物語』の「神原駿河」が印象に残ります。

何でいきなりこんな話題かと言うと、新シリーズの『ローゼンメイデン』があまりにも酷いので、思わず旧作1話目を見返して、何が違うのかちょっと考えてみた。
(追記 実は2話目から、丁寧な演出に豹変しました)

(総集編だから仕方が無いのですが・・・絵がキレイになって喜んでちゃ駄目でしょ!!
 真紅がジュンの頬を平手打ちにするシーンのパチンという音。
 旧作ではいかにも人形の小さな手が頬をやさしく叩く感じがしていたのに
 新作は、もう普通のビンタの効果音。
 松尾衡は音響監督も務める事がありますが、やはり音への拘りは大事です。

 そういた演出上の拘りの無さが随所に現れていて、見るのが辛い・・・・
 ・・・って、いい年したオッサンがローゼンメイデン見てどうすんだよ!!

 でも、麻生太郎だって見てたってウワサだし・・・本人も「ローゼン太郎」って言ってるし)


まあ、旧作の監督の松尾衡の演出の凄さとしか言い様が無いのですが、コメディーからシリアスの振幅が大きく、それを一瞬でやってしまう凄さ。

プレスコというセリフ先取りアニメは、声優さんのタイミングでセリフの収録を先に行い
後から映像をセリフに合わせて付けてゆきます。結果的に出来上がった作品が、普通のアフレコと違っているかと言えば、その違いはほとんど意識されないのですが、

絵の無い所で音取りする声優さん達は相当大変な様ですが、自分達の「間」でセリフを回せるメリットは少なくない様です。

欧米ではアニメはプレスコが主流ですが、声優が出来上がった絵に合わせてセリフのタイミングをつけるアフレコの方が、製作的にはローコストで日本ではアフレコが主流です。

何故こんな話をしているかと言えば、松尾衡が監督している『革命機ヴァルヴレイヴ』は登場人物も多いし、流石にアフレコだろうと思っていたら、どうやらこれもプレスコらしい・・。

12話の引き篭もりが自分の城から飛び出すシーン辺りを見ると、確かに、セリフ回しが素晴しい。

私は声優さんがどうの・・という話には全く無頓着なのですが、やはり松尾衡の作品を見ると(聴くと)、アニメにとってのセリフの役割について色々と考えさせられます。

松尾作品の独特の空気感というのは、やはりプレスコによって生まれるのでしょうか?

色々と非難が多い『革命機ヴァルヴレイヴ』ですが、松尾衡が、何を目指しているのか、とても気になり、旧作の『RED GARDEN』あたりを見返しています。



NYのハイスクールの女の子4人が、夜な夜なゾンビと戦う話しですが、テーストとしてはアメリカのハイスクールドラマそのままの感じ。とにかく、プレスコによる会話が、まさにドラマの吹き替えより余程リアル。設定はちょっとアレですが、ディテールには紙が宿る作品です。

私も不勉強で、松尾衡がプレスコを採用したのは本作からで、ローゼンメイデンはアフレコで製作されていますね。

松尾衡のプレスコ作品で一番凄いなと思わせるのは『紅』。
第6話「貴方の頭上に光が輝くでしょう」は圧巻では無いかと。



この作品に比べると『夏雪ランデブー』あたりはセリフがグイグイ押してゆく感じは後退しています。



『ヴァルヴレイヴ』でもいきなりミュージカルが始まってファンを激怒させましたが、『紅』の6話のこのシーンまでの積み上げがあるだけに、ミュージカルシーンの味わいが深い・・・・。

ぷぷぷ!!・・・済みません、つい思い出し笑いが・・・・。
しかし、こんなシーンにこのヌルヌル動く作画って・・・気合を感じます。

(町内会の夏祭りの出し物の練習のシーンですが、悪乗りしてとんだ事に・・・)

このいきなりミュージカル演出は『RED GARDEDN』の一話の最後に登場します。
松尾衡は反対した様なのですが、その後何回かやっている所を見ると気に入っているのかも。視聴者としては、物語の世界に没入している所でいきなり歌いだされると

強引に作品世界から引き剥がされる訳で非常に当惑するわけですがこれを演劇作品のブレヒト的客体化と分析している人も居る様です。まあ、私としては上のシーンで抱腹絶倒できるだけで幸せな訳ですが。

松尾作品に共通して感じられる違和感があるならば、視聴者が登場人物に完全に感情移入する事が阻害されている事では無いでしょうか。どこか演劇的な距離感があって、登場人物達は舞台俳優を遠くから見ている雰囲気がある。

『革命機ヴァルヴレイヴ』に感じる違和感も、学生達は実存的では無く、彼ら自身が学園生活を演じているかの様に見える点では無いでしょうか。

この手法の最たる例は、『革命少女ウテナ』や『廻るピングドラム』の幾原邦彦の小劇場的な演出手法ですが、松尾衡の作品は、幾原作品程は物語の外側から語られる事はありません。ただ、観察者としての松尾衡の醒めた視点がいつも働いているように感じます。

あるプロットの中にキャラクターを配置したら、キャラクター達はどのように動く、どのように語るのかを観察している視点。

だから、プレスコという手法で、先ず声優さん達に自由度の高い中で演技をさせ、その化学反応の結果を、作画のフィードバックする事で、製作者という本人の手の届かない所で、作品が自律的に完成して行く様を楽しんでいる様です。


『革命機ヴァルヴレイヴ』に感じる違和感は、普通なら監督が物語りの支配者たる所を、物語自体の勢いで、作品が自律進化するままに任せている点にあるのでは無いか?

宮崎駿なども、詳細なシナリオが完成する前に製作に入り、物語の自律性にある部分を委ねていますが、それをTVシリーズというスケジュールの中で行なえる手段がプレスコなのかも知れません。



プレスコかアフレコかと言う問題は別として、世間的には『ローゼンメイデン』の諸作が、松尾衡の最高傑作なのかなと思っています。

大人が見て、どうこうという作品ではありませんが、回を追う毎に人形達が生き生きとしてきます。それは、まさに魂の無い存在が、人間に近づくかの様な錯覚を覚えます。作品に血を通わせる力というものを強く感じてなりません。

それに比べて新シリーズは・・・・・・・。
これが作家性というものなのでしょう。

日本版『ゴトーを待ちながら』・・・・『桐島 部活やめるってよ』

2013-07-06 02:17:00 | 映画
 



■ 我が家の近くにはTSUTAYAが無い。 ■

我が家の近所にはコンビにが無い。
昔はすぐ近くにあったのですが、つぶれてしまいました。
今では缶ビール一本買うのにも、1Kmちかい距離をとぼとぼと歩いて行きます。

我が家の近くにはレンタルビデオ屋さんも無い。
駅近くにあったお店は全てつぶれてしまいました。
一人勝のTSUTAYAはロード店なので、2Km近く自転車を漕いでゆきます。

そんな訳で、最近DVDを見ていません。
劇場で見逃したり、劇場で観るまでも無いと思いながらも気になる映画を見ていません。

TSUTAYAからカード更新に伴う無料レンタル葉書が来たので
えっちらおっちら自転車で出かけてきました。

新作DVDのコーナーを一通りチェックして気になったのがこの作品。
『桐島 部活やめるってよ』

・・・・この投げっぱなしな感じの題名・・・気になりますよね・・・。

■ 高校生のヒエラルギー ■

<ネタバレ全開警報>

桐島君はバレー部のキャプテンで学校の人気者。
バレー部は大事な試合が控えていますが、
何故だか桐島君が突然部活を止めたいう噂が広がります。
そして、桐島君は学校も休んでいます。

クラスで桐島君の取り巻きは、ちょっとイケてる男子とイケてる女子。
サボり専門の野球部員でスポーツ万能の菊池君。
菊池君は放課後は、ちょっとチャラい寺島君と、友弘君と校舎裏でバスケットをしながら
桐島君が部活を終わるのをダラダラと待つのが日課です。

桐島君はクラスでピカ一の美人の梨紗と付き合っています。
梨紗ちゃんといつもツルンでいる沙奈ちゃんは、菊池君の彼女。
そしてバトミントン部の美少女のかすみちゃんと実果ちゃんが彼女達と一緒に居ます。

これがクラスの「イケテル」グループ。
スポーツが出来る、顔がイイ、性格が社交的でリーダーを引き立てる・・・
これらの要素を備えた子達が、クラスのヒエラルギーの上位に君臨します。

そして彼らを羨望と妬みの視線でちらちらと眺めるのは文化部の面々。
菊池君が好きで、屋上からいつもバスケをする彼を見ているブラバン部長の詩織ちゃん。
詩織ちゃんはカワイイけどちょっと地味。
映画部の前田君は、黒縁メガネのチビで、いかにもオタクの風貌。

彼らはクラスのヒエラルギーの底辺に位置します。
体育の授業でチーム分けする時も、最後まで声が掛からない。
こういう屈辱に日々耐えていますが、それを当然と自分を納得させています。

■ 桐島の不在で変化し始める関係 ■

クラスで一番の桐島君が不在になる事で、彼らの人間関係が微妙に変化し始めます。

最初はとにかく桐島君に連絡が取れないので動揺が広がります。
桐島君の彼女は、自分に何の相談も連絡も無い事にプライドが傷つけられ、
一番の親友だと思っていた菊池君も、漠然とした不安を抱きます。

そして男子3人は、いつもの放課後のバスケをしながら気付くのです。
「俺達がバスケをしてるのって、桐島が部活終わるのをまってたからじゃねぇ?」って。

桐島君の不在は女子の関係性にも微妙な変化を生みます。
しきりに桐島君の彼女の梨紗ちゃんを気遣う沙奈ちゃんに、
バトミントン部の二人は少々辟易としています。
そもそも帰宅部でちゃらちゃらした梨紗と沙奈を心の中ではバカにしています。

一方バトミントン部の実果ちゃんは、チームメイトのかすみちゃんが気になります。
高校生の頃特有の、同姓がちょっと好きになっちゃう感じ。
でも実果ちゃんは、バレー部の風助も気になります。
好きという感情では無くて、桐島の代役としてリベロを勤める彼に
決して叶うことの無い夢に耐える自分を重ねているのです。
風助にチームの風当たりは強い。桐島不在の不満の捌け口となっているのです。

桐島の不在は、彼らイケテル子達を不安にさせます。
自分達が彼の放つ輝きを反射する存在でしか無かった事に気付き始めます。

■ 自分の世界に生きる文化部 ■

一方、映画部の前田君は、桐島君の不在など感心がありません。
彼の目下の悩みは、次回作の内容です。
前作『君よ 拭け 僕の熱い涙を』はコンクールで入賞を逃しますが好評を得ます。
しかし脚本は映画(演劇?)オタクの顧問に押し付けられたもの。
だいたい、タイトルからして、生徒達の嘲笑の対象になるので気に入りません。
前田君が撮りたいのは「ゾンビ映画」。
そう、彼はカルト映画のファンなのです。
彼は先生を無視して、部員達とゾンビ映画の撮影を始めます。
機材はビデオカメラでは無く、8mmフィルム。
「画質はビデオより悪いんだけど、これでしか写らないものがある・・」
彼のこだわりが、機材の選択にも良く現れています。

映画部の部員達は、トホホなゾンビメークで校舎のあちこちでロケをします。
ところが、彼らの行くところに必ず吹奏楽部の部長の姿があります。
撮影の邪魔だからどいてくれと頼んでも、彼女は拒否します。
彼女の視線の先には、いつも菊池君が居ます。
「この場所じゃないと好い音が出ないの」と映画部の要求を拒絶する彼女の本音は
「この場所じゃないと菊池君が見えないの」だったのです。

文化部の彼らにとって桐島君の不在は、なんら影響がありません。
彼らは彼らの世界を、トホホながらも懸命に生きています。

■ 下層の反乱 ■

屋上で桐島を見たという情報で、クラスのイケテルグループと、
そしてバレー部員達が、一斉に屋上を目指します。

しかしそこに桐島君の姿は無く、ゾンビ達が居るだけでした。
撮影の邪魔だと抗議する前田君と、バレー部が諍いを始めます。
思わず前田君はゾンビ達にバレー部とイケテル子達を襲えと命じます。
8mmカメラのファインダーには、彼が理想とするシーンが浮びます。

いつもヒエラルギーの底辺を徘徊するゾンビ達が反乱を起したのです・・・。

騒ぎは直ぐに収まりますが、映画部員たちは放心しながらも、勝利に浸ります。
自分達はゾンビ映画が楽しかったし、イケメンにも一矢報いた・・・。

■ 空虚 ■

そんな映画部員たちを見て、菊池君の中でも何かが変化します。
落ちたレンズフードを前田君に手渡す菊池君は、
これまで存在を意識した事も無かった前田君に話かけます。
「それって8mmカメラ?何でビデオじゃないの?」

一瞬の交流が生まれます。
前田君が手渡した8mmカメラを前田君に向けて菊池君がインタビューを始めます。
「夢は映画監督ですか?」
「それは無理。」と即答する前田君。

それでも彼の映画への思いは、ファインダー越しに伝わってきます。
才能を浪費する菊池君の中で何かが少しだけ変化します。
彼は自分の中の空虚と、少しだけ向き合おうとしたのかも知れません。

■ これって、不条理劇の金字塔の『ゴトーを待ちながら』ですよね ■

あれ???
結局最後まで桐島君は出てこないの??

そう、『桐島 部活やめるってよ』はあの不条理劇の金字塔の高校生版でした。
その作品はフランスの劇作家、サミエル・ベケットの『ゴドーを待ちながら』。

登場人物がゴトーさんの話題をひたすらしているにも関わらず
ゴトーさんは最後まで現れ無いという有名な不条理劇。

この作品、私も見た事が無いので、たいした事は言えないのですが
そもそも一環したテーマも無く、掴みどころも無いままに観客は最後まで放置プレーという劇。

『桐島 部活やめるってよ』は日本アカデミー賞を取るなど高く評価されていますが、
多分、一般の人はこの作品を見ても????なのではないでしょうか。

ただ、本家の『ゴトーを待ちながら』に比べたら、
高校生のリアルな生態が描かれていたり、
イケテ無い映画部の反撃に共感したりと、まだ掴み所のある作品。

高校生達は、何だか分かんないけど、ああいうヤツ居るよね・・・って共感してしまう。
それはそれで、正しい楽しみ方だと思います。

■ 映画とアニメの違い ■

実は前期終了アニメの『やはり俺の青春ラブコメは間違っている』は
『桐島部活やめるってよ』と非常に良く似た作品です。

ただ違うのは、映画とアニメの表現手法。

映画はドキュメンタリーの様に、高校生達のダラダラした日常と会話を客観的に見つめます。
会話や、校舎に漂う空気感から、登場人物達の語られる事の内面が滲みだしてきます。

一方、アニメは情報量が少ないので、そういった演出は不向きです。
だから、主人公のモノローグが映像を補うことになります。

アニメでも優れた選出家や監督は映像に語らせますが、
基本30分という尺の中で起承転結を付けるには、やはり説明が過剰になりがちです。

そこを逆手に取ったのが『涼宮ハルヒの憂鬱』のキョンのモノローグでした。

最近では映画も過剰に説明する作品が多く、
特にTVドラマのアニメ化は、登場人物がひたすら会話で説明し続けます。
TVの脚本家は、分かりやすさを重視するので、語らせてしまいます。

その点、『桐島部活やめるってよ』は実に映画らしい作品であり、
セリフよりは、放課後の学校の気だるさだったり、
西日差すグランドの遠景が、本当に高校生独特の生活観を良く醸し出しています。

しかし、日本映画って、時々こういう良作が飛び出すから面白い。
これを外人が見ても???なのですが、
かつて高校生であった日本人には、なんだかとてもしっくり来る作品です。

こういった作品が評価される日本って、捨てたもんじゃないですね。


<追記>

この映画の最大の魅力は、竹中直人が出て来なかった事。
ああいう、「いかにも」という役者を排除した事に成功の理由があるのでしょう。
そして神木龍之介君か、オタク高校生を淡々と演じています。