つれづれなるままに  896 心ゆたかに 「第九」

2009-09-28 12:40:19 | 雑記

     

 

すばらしい経験をしています。札幌コンサートホールKtara、座席2008席、満席、北海道唯一の札幌交響楽団、日本でも名だたる指揮者の高関健氏、歌い終わった充実感、心地よい疲れで満たされました。

この5年間、合唱団の経験で、生活に潤いをもたらし、心豊かになりました。まだまだ青春です。これからです。

嘗てUHB文化祭、相棒(男性)と二人で司会を務めました。その時、冒頭でこんな詩を朗読しました。とても良い詩です。


   青 春   サムエル・ウルマン作

 青春というのは、人生の一時期ではない。むしろ、それは心の持ちかたをいうんだ。
 紅顔の少年、その紅色(くれないいろ)の唇、しなやかな身体(からだ)ではなく、
 意志の力強さ、想像力の豊かさ、沸々(ふつふつ)と湧(わ)き上がる情熱をいうのだろう。

 青春というのは、人生の深くに潜(ひそ)む源(みなもと)の清々(すがすが)しさだ。
 青春とは、臆病を退(しりぞ)ける勇気や、マンネリを捨て去る冒険心のことだ。
 20歳の青年よりも、60歳の老人のほうが青春の状態にあることさえある。

 年を重ねただけでは、人は老いない。人が老いるのは、理想を失うときだ。
 歳をとると皮膚に皺(しわ)が増える。そして、情熱を失えば心は萎縮(いしゅく)する。
 苦しみ・恐れ・諦(あきら)めによって気持は土になり、精神は塵(ちり)になる。

  60歳であろうと、はたまた16歳であろうと、心中に不思議なものに興味をもつ気持、
 子どものような未知への探求心、人生への興味と喜びがある。
 あなたにも私にも、目に見えない中継所が心の中にある。

  他人から、あるいは神から、美しさ・望み・勇気・インスピレーションなどを受けられれば、
 まだあなたは若い。インスピレーションを失って、精神が雪のような皮肉で固まり、
 氷のような悲憤で閉ざされたら、たとえ二十歳であろうと老人である。

  姿勢を正して、希望を持ち続けるならば、八十歳であろうと、青春のままだ。