rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

下弦の月、冷たい夜空に懸かる。

2010-12-09 20:51:02 | 空・雲・星・太陽たち
冴え渡る夜空に、下弦の月が懸かっている。
冬こそ、下弦の月がふさわしい季節だ。

月を愛でるのは、日本の風流な習慣。

少し前、生活の足しに、ある下請け工場で働いていた。
忍耐強い女性ばかりの職場だった。
仕事が終わる日暮れが早い冬には、月が空に浮かんでいる。
>綺麗な月が出ているよ
声をかけても、月なんかがあるのか?と、反応が希薄だった。
あるときは、雲がダイナミックな夕焼けの黄色からオレンジ・茜色・紫・紺へとニュアンスに富む色彩の変化が美しいと言ってみても、言葉はただ消えていった。

追い立てられるような環境で、寡黙に作業をこなす毎日が、彼女たちをすり減らしてしまったのか?
工場にいるときの彼女たちは、マシンのように無表情だった。
家に帰れば、心の装備を解いて、彼女たちの顔に表情が戻るだろうが・・・

空は、どんな人の上にも等しく広がっている。
太陽も雲も月も星も、空にさまざまな表情を付けてくれる。
だが、人は、見上げれば目に映る空があること、それを楽しむことを忘れてしまう。

下弦の月を見て、月の美しさを忘れていた彼女たちのことを思い出した。

取るに足らないことかもしれないけれど、月を愛でられる気持ちのありようは、大切な気がするから。


心って重い・・・ものなんだ

2010-12-09 09:12:53 | 随想たち
きのう、年末になると届く、喪中の葉書に言い知れぬショックを受けた。

不幸は、誰彼なく辛いものだ。
ただ、どうしようもない違いが存在するのは、否めない事実。

自分は、老いた者が逝くのは自然の摂理で、悲しくても諦めがつく。
しかし、老いていない人が、例え病であったとしても逝ってしまうのに、ものすごく辛い悲しみを感じてしまう。

昨日の知らせの人は、自分の直接の知人ではない。
家人が、青春の一時期、お世話になり、ともに似た嗜好を共有した方だ。
そして、尊敬していた方。

かれこれ20年あって話をする機会に恵まれず、彼の方は非常にお忙しく世界を飛び回っておられたし、家人は物凄い出不精(共通項)、年初めの挨拶の葉書で互いの消息を確認していた。

お互い、生きていればいつか会えることもある、思い出を肴にポテトチップス(共通項)で盛り上がることもできる。
今では、可能性がなくなってしまった。
埋めることのできない喪失感。

ある分野では、非常に惜しい人を失ってしまった。

自分も、同時期に欧州にいたので、理由のない親近感があった。
小さい頃、理系の方々に囲まれて過ごしたため、理系の独特の不雰囲気に懐かしさを覚えるせいもある。
一度、お会いしてみたかった。

家人は、憔悴気味だ。
無理もない。

自分も、胸の辺りが昨日からちくちく痛み、ずーんと重い。
どうして、そう感じるのだろう。
「こころ」という臓器はないのに。
でも、心って重いと感じられるのだ。