rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

ねことの何気ない絆が、心の隙間を埋めてくれる

2010-12-22 23:19:12 | ねこ
ねこは、自分の足音を聞き分けてくれる。
ねこは、自分の運転する車の音も聞き分けてくれる。
ねこは、自分の話し声を聞き分けてくれる。

これは、何にも変え難いねことのつながりを確信させてくれる。

辛く、全てのことを自分から遠ざけようと甲殻を纏っていたとき、ねこの存在が温もりを感じさせてくれた。
ただ庭を歩いたり、寝転びまどろむその姿に、癒された。

ねこにとってみれば、エサを与えてくれ、撫でてくれるだけの人と見ているのかもしれない。
こちらの勝手な思い込みにしても、ねこが居るだけで、何かしら幸せのひとかけらを投げかけていると思えるのだ。


J.S.バッハのリュートのための組曲

2010-12-22 12:24:56 | 音楽たちークラシック
好きなクラシック音楽は、単一楽器による演奏のもがいい。
室内楽くらいの編成がめいいっぱいといったところ。
かといって、まったくオペラや交響曲を聴かないわけでもない。

現在頻繁に聞いているのは、ギター曲。
ドメニコ・スカルラッティは、以前ここに書いた。
今回は、バッハのリュートのための組曲をギター演奏したもの。
    フーガ ト短調 <BWV1000>
    組曲  ホ短調 <BWV996>
    組曲  ハ短調 <BWV997>
温かみのある音色が、窓を通して室内を満たすような慈愛の感じられる音楽だ。
慈愛といっても、ただ甘いという種類のものではない。
存在するものを、柔らかくはあるがくっきりと照らし出す、凛とした慈愛だ。

バッハのイメージを視覚化しているのが、フェルメールの絵だと思う。
いや、それでは時代が逆行してしまう、バッハが音楽に変換したことになる。

フェルメールの絵に、リュートやギターが描かれている。
裕福な子女は音楽を嗜んでいた光景だ。
それが、社会の風潮だったのだろう。
しかし、それらが描きこまれた絵よりも、「レースを編む女」にこそ、バッハの音楽が似合うと思うのだ。

フェルメールの絵と、バッハのリュートのための組曲を同時に鑑賞すると、相乗的に、存在を肯定する慈愛を感じることができよう。

音楽は、時空間芸術だ。
音たちが醸し出す空間は、音がある間人を包み込み、音楽の持つ力で至福の時へ誘ってくれる。
教会で奏でられる神への捧げものは、地より立ち昇り全ての善も悪も巻き込んで上へ上へと上がっていく。
日常の室内で奏でられるギターの音は、慎ましやかな人の生活を優しく包み込んでくれる。
音楽が、私たちに与えてくれるものは、なんて豊かなのか!!

バッハの音楽は、生きることを真正面から肯定する、大きな優しい翼のような音楽だ。
心が疲れたなら、バッハも音楽に守ってもらうと、きっと安らぎを得られるだろう。