rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

棟方志功、強い表現

2010-12-11 23:09:56 | アート
小さい人と、「美の巨人」棟方志功を見た。

>わたし、こういうテレビ面白いと思うよ。
>でも、子供は早く寝るから、こんなテレビ見られないと思う。
>こんな絵もあるんだ、版画って面白いな・・・

それから、小さい人は眠りについた。

棟方志功は、一度目にした者はたいてい記憶に残る絵を作る。
作品全体から発散される、気迫が違うのだ。
原始的で呪術的な印象がある、アルタミラ洞窟やラスコー洞窟やタッシリ・ナジェール洞窟の壁画のように。
だから、観るものの感覚にダイレクトに響いてくる。

芸術において、強い表現が、全てではないが、大切な要素の一つということは、確かだ。

自分が表現者として選ぶ道は、棟方志功のそれではない。
静かにあって、控えめに寄り添う表現を選びたい。
ただ在って、何ものをも、何ものからも、ただ在るものとして。


アルザス地方、ストラスブール

2010-12-11 00:07:24 | 街たち
毎度の「世界ふれあい街歩き」、あれこれ思うこと。

アルザス・ロレーヌ地方は、小学生のとき、国語の教科書に載っていた「最後の授業」で初めて知った。
しかも、大国の覇権争いで翻弄され、言語・国籍が度々変わったこと、その理不尽さを子供心に考えさせられた。

番組の趣旨上、そういう歴史的政治情勢が及ぼした影について、さらりと触れた程度は、致し方ない。
どんなところにも、暗い過去はつきものだし、存在感を放つ街はその地力ゆえ人の欲望に翻弄される宿命を背負っているのだろう。

ストラスブールは、15世紀あたりからの古い建物が残っていて、当時を垣間見させてくれるタイムマシンだ。
あるアンティークショップの建物は18世紀に建てられ、その前にでんと居座っている大きな石は、馬の手綱を括り付けておくために16世紀からそこに居続けているらしい。
自分もそこに行って、歴史の重みを感じたいと思った。

そういえば、アルザス地方は、シュークルトが郷土料理の一つになっている。
もちろん、ソーセージ類も豊富で美味しいことだろう。
冷えたアルザスの白ワインと一緒に頂いたら、心と体はこの世のシアワセに満たされるかと想像してだけで、うれしくなる。

どんなことがあっても、人々の生活が続いていくけれど、その土地の伝統・習慣・料理がベースになり、だから誇りを持って生きていけるんだろうと思う。

でも、アンティークショップのご婦人が言っていた。
>私は、3回国籍が変わった。今はフランス人だけれど、本当はアルザス人ね。
>娘は、すっかりフランス人だわ。
このアイデンティティーの違いは、どこからくるのか?
生きた時代の環境が作用し、人にポジションをきめさせるのか?
おそらくその可能性が高いだろう。

もし、これから、日本が移民大国になったとしたら、また、国が崩壊したら、我々はどうなっていくんだろう・・・と、そんな思い付きが頭をよぎった。
いつだって、我々が、「最後の授業」にならないとも限らないのだ。
もっとも、日本だって「最後の授業」的なことををさせた時もあったのだが・・・