rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

名付けて、ブラッディースープ

2010-12-07 23:46:41 | 食べ物たち


トマトがたっぷり入った、真っ赤なスープ、その名も「ブラッディースープ」
先週の「世界ふれあい街歩き」のシギショアラ、ドラキュラ風スープにインスパイアされた。

>>>4~6人分?
>カットトマト缶      1缶
>トマトペースト      大さじ1
>ニンニク         1かけをみじん切り
>タマネギ         大1個を1.5センチの賽の目切り
>ニンジン         中1本を1.5センチの賽の目切り
>ジャガイモ        中2個を1.5センチの賽の目切り
>キャベツ         1/4個を3センチの角切り
>大豆の水煮缶      1缶
>コンソメ3個 塩 コショウ ローリエ1枚 オリーブオイル

>オリーブオイルでニンニクの香りを出し、ニンジン・タマネギ・ジャガイモを炒める
>キャベツを加え、しんなりするまで炒める
>水を具材がかくれる程度いれ、ローリエも投入
>根菜が柔らかくなったら、ローリエを取り出し、トマト缶と大豆缶を投入 
>コンソメ、塩、コショウで味を調えたら出来上がり
・・・・・もし、酸味が強いと思ったら、砂糖またはトマトケチャップを加えてください

食べるときに、チーズをのせて、バージンオリーブオイルをたらして、アレンジしてもOK!
酸味があるスープは、脂っこい料理に合わせると、相乗効果で味のバリエーションが楽しめます。

お金で解決できることもあれば、できないこともある

2010-12-07 11:10:52 | つぶやき&ぼやき
「子供手当て」の支給ラインと金額増加が、物議をかもし出している。

少子化対策の一環で、税金の再分配により、未来を担う子供たちを育てるのに伴う家計におけるリスクを軽減しようというものだ。

その財源確保の一部として、扶養者・配偶者控除を廃止しようという議論がなされている。
国は、育児は専門の人に任せ、母親たちに積極的に働いて収入を得なさいと、婉曲的に仕向けている。
所得税・年金&健康保険税が、免除によって軽減されずに課税・徴収できるし、一人当たりの購買力が上がって経済効果もあるとの目論見に思われる。
ならば、子供を安心して預けられる施設が整っているのかというと、いまだ発展途上の有様。

ちょっと待っていただきたい。
国が言っていることと、マスコミが一般世論として取り上げていることに、違和感を感じないか?
経済システムが主役で、それでいいのか?

もともと動物である人間は、オスとメスの性別があり、それに伴う役割が性差として備わっている。
男女平等・男女同権は、倫理的にあっていい。
しかし、子を産むのは女性の役割、懐胎・出産・授乳の女性を支えるのは男性と周りの共同体の役割ではなかろうか?
その性の役目として、女性がある一定の期間、育児に専念するのは仕方がないし、さらに義務だと思う。

女性の方、怒らないで頂きたい。
子供を産めるのは、女性にしかできない。
子供が無条件に愛するのは、母親だ。(おおむねそういわれる)
こういっている自分は、女性で子供がいるから。

一方、子供の立場を考えよう。
子供は、第一に母親、第二に父親、同居の家族、家族を囲む地域・・・と、そのかかわる重要性に順序がある。
「三つ子の魂百までも」のことわざもあるように、3歳までは母親なくしては子供のベースが安定したものにならない。
かといって、それで区切るのは乱暴すぎよう。
子育てをしているものは実感する機会があるだろうし、自分の経験を振り返ってみて推し量るもよい、子供にとって安心して自分を受け入れてくれる母親が必ずそばにいる期間は、かなりの幅で個人差がある。
それが、ミルクすら自分の母親から与えられないという影響は、計り知れない。

子供は、工業製品ではないのだ、並べられたベッドに寝かされ、時間でミルクおむつ交換、昼寝で育てていいものだろうか?
自分が幼い頃、その光景が異様に映った。
親の止むに止まれぬ状況がこうさせたといっても、並んでいる乳児たち、その中の一人である自分の兄弟が、たかだか5歳児にとっても悲しく思えた記憶がある。

経済が主人の社会システムにおいて、人のあり方は根幹からずれてきている。
その歪は、さまざまな社会現象に見て取れるだろう。
育児放棄、虐待は、いつの世でも起こりうる。
その発生度数が問題なのだ。
抑止力の低下と、回避システムの不在も更なる悪化を後押ししている。

ふと思ったこと。
経済システムは、スケープゴートなのではなかろうか?
経済というシステムを作ったのは、人だ。
一時話題になったあの言葉をもじって、経済という欲望装置に巻き込まれた人は、本来の遺伝子の乗り物という役を忘れて、生きるのが辛くなったのかもしれない。
そして、生み育て、種を存続すべき行為を放棄したのだ。
女性は辛い出産と育児を倦厭し、男性はさまざまな責任から逃れようとし、社会は面倒はごめんとばかり目と耳を閉じてしまう。

「みんな面倒だから、この際お金に任せましょう。
 何とか解決してくれるでしょう。」

「地獄の沙汰も金次第」
簡単かもしれないし、そうでないかもしれない。
誰もが納得し、幸せになれる方法があるとは到底思えない。
バランスをとる天秤棒の上を、右往左往して落ちないのが関の山といったところか。