よく降るなあ……ゲフ。
タンクトップに突っ込んだ手で、ポリポリ背中を掻きながら姉の綾香が呟く。ラフな短パンで胡坐をかいているものだから下着が丸見え。
風呂上がりとはいえ、女を捨てたとしか思えない寛ぎようだ。
「もうちょっと、おしとやかにしなさいよ」
「ああ、すまんすまん。仕事で畏まってると、疲れや凝りが溜まりまくっちゃってさ。まあ、自分ちの風呂上りくらいは大目に見ろ」
「ったく……」
姉といっても世を忍ぶ仮の姿、本性は魔王の使い魔にして地獄の番犬ケルベロスだ。一日中畏まってもいられないのは分かるんだけど。まあ、こういう愚痴が出るのも、本物の姉妹の感覚になってきたと言えなくもない。
「百万人に避難勧告だって、九州……ったく、異常だね……真智香、ビールとってえ」
飲み干した空き缶をプルプル振って催促。
「自分でとんなさいよ、そこからなら、立ち上がって三歩で冷蔵庫」
「立ち上がんの、めんどいよ~」
「グータラしてっと、義体の美貌にも影響出ちゃうわよ。美人でしっかり者の綾香さんなんだから」
「やれやれ……」
プータレながら、三歩のところを五歩かけて冷蔵庫を開ける綾香姉。
カチャリ。なぜか、開けたところで固まってしまう。
「あるでしょ、奥の方に二缶ほど……」
「……いま、よからぬ者がマンションのエントランスを開けた……来るぞ!」
言うが早いか、綾香姉はケルベロスの本性に戻り、開け放ったベランダから飛び出した。侵入者の背後を突くつもりだ。
入れ違いにうちの玄関が開く音がした。むろん綾香姉ではないし、ドアには二重の鍵とドアチェーンが掛かっている。
「だれだ!?」
さすがに身構える。
「やあ、お久しぶり」
気楽に手を挙げたそいつの後ろで、綾香姉が――おまえかあ――という顔で立っている。
「大統領は交代したんだろ?」
「ぼくは優秀だから再雇用さ、共和党だしね」
「勝手に人の家に入って来るしなあ、おまえにかかったら、魔界の鍵もかたなしだ」
ドアノブをカチャカチャさせながら綾香姉がぼやく。
そう、この世だろうがあの世だろうが、こいつにかかればどんな鍵でも無効化してしまう。
そいつは、ドラえもんと同じ身長、同じ体形のテディベアであったりするのだ……。
「テディが、なんでお迎えなんだあ!?」
こいつはテディベアのテディで、かつては臨時招集とか緊急招集の時に活躍した、見かけの可愛さによらず、かなり強引な奴だ。七十年以上会っていないのに、三日ぶりくらいの気安さだ。
「窓の外に乗り物を用意してるから、すぐに乗って」
テディベアのオートマルタ(自動運転の丸太)に跨りながらモフモフの耳に怒鳴ってみる。
「緊急事態なんだよ、ベースとメンバーのリンクも済んでないんで、オールバリアフリーのぼくが招集係をやってるわけ」
「なんの招集よ?」
「特務師団さ、緊急招集なんだ」
そう言うと、オートマルタは助走を終え、雨雲が低く垂れこめる空に飛び上がった。