え? え?
目の前ののりちゃんが消えてしもた!?
キョロキョロしてみると、経机の香炉も消えてる。
お葬式いうのは、参列者がお焼香するための香炉がある。一般焼香用は式が終わったら片付けてしまうねんけど、親族用のは骨上げの後、初七日もやってしまうので残ってる。けっこうな量のお香がくべてあるねんけど、それが、きれいさっぱり灰になってしもてる。
ひょっとして……中二病的ヤマ勘やねんけど、お香入れからお香を継ぎ足して火をつけてみる。
お香の煙が三十センチほど立ち上ると、のりちゃんの声がした。
——お、お香やと声しか出されへん——
「どないしたらええのん?」
——えと……お経唱えてみて——
「お経て、知らんし」
坊主の孫やけど、お経なんて唱えたことない。
——そこらへんに、お経の本あらへん? 法事とかで使うアンチョコみたいな、正信偈とか仏説阿弥陀経とか——
「え? ええと……」
とっさに探すと見つからへん。
——あ、あ、息が苦しなってきた……お、お経を……——
「ちょ、ちょ、待ってえ!」
——座布団積んだあるとこの、よ、よこ!——
本堂の隅、座布団の山の横のテーブルにオレンジ色のお経が積んである!
「見つけた! ちょ、待っててね!」
ダッシュで一冊とって、唱える気持ち満々でページを開く。
「えと、どのお経?」
目次には、いろんなお経の表題があって、どれやら分からへん。
——ど、どれでも……はよ、して……——
そない言われても、というか、どれもむつかしい漢字ばっかりや!
しゃ、しゃあない! どのお経でも共通の六字を唱える!
「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏……」
——よ、読み方……ちゃう……——
よ、読み方て、南無阿弥陀仏は「なむあみだぶつ」やろが?
——い、いつもの……読み方……——
お祖父ちゃんやら、伯父さんやらのを思い出す……分かった!
「なまんだぶ なまんだぶ……」
バチバチバチ!
さっきと同じ音がして、のりちゃんが現れる。
仰向けにひっくり返って、息も絶え絶え、金魚みたいに口をパクパクさせてる。
これは、人工呼吸や!
「い、いや、幽霊に人工呼吸は……」
「どないしたら、ええのん?」
「もうしばらく、お念仏を……」
「うん、分かった!」
なまんだぶを百回ほど唱えると、やっとのりちゃんは落ち着いた。
「よかった、のりちゃんが生き返って!」
「生き返るは、ちょっとちゃうと思うねんけど……とりあえず、ありがとう」
「うん、それで、やり残したことて?」
「うん、それは……えと……えと…」
「えと……忘れてしもた……アハハハ」
「アハハハ……」
二人で笑うしかない、お葬式の昼下がりでありました。