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ト音記号が死んだ。
昨日、某大学の入学式で著名なシンガーソングライターが声を失ったことを告白したニュースを聞いた直後だった。
彼が声を失ったのは、同い年ということも、同窓生であることも、つんくの仕事や、その才能も含めて、ニュースを見ながら目頭が熱くなった。
しかし、その直後、かつての同僚からト音記号が亡くなったという連絡を受けた時は複雑だった。
ト音記号というのは、前の職場で一緒だった先輩の音楽教師・田野倉拓斗のことである。
享年……六十三だろうか。年金をもらい始めて、これからという歳である。
寂しさ半分、ざまー見ろ半分である。
ト音記号というあだ名は音楽の教師だからついたあだ名ではない。いつでも最前線にいなければ気の済まないオッサンだったから、楽譜の頭に必ず付いているト音記号にひっかけたもので、不肖オレ様が献上したものである。
本人は、あだ名の真の理由を知らず「ト音記号」と呼ばれることを喜んでいた。
かつて新任だったころ組合が分裂した。
連合系の日教組と共産党系の全教に別れ、血気盛んなオレは組合そのものを辞めた。
ト音記号は、獅子身中の虫となって日教組に留まるべきと主張し、全教系の教職員からは嫌がられた。
典型的な学生運動あがりで……と言っても団塊の世代の尻尾にあたるので、本格的な学園紛争などには関わったことは無い。しかし、その分マルクス主義理論には純粋な使徒であった。
日の丸、君が代には徹底して反対で最後まで式典では両方に反対を唱え、斉唱はおろか起立さえしなかった。
「公立の高校であり、法律で決まり、教育職の公務員であり、日本国民であるなら、必ず御起立の上ご斉唱願います」
校長が職員会議で、述べたとき、ト音記号は、こう吠えた。
「校長、あんた、平の時は反対しとったやんけ! 校長になったら府教委の言いなりか!?」
オレは、受け止め方が真逆なので、校長とは違って、信念から国旗掲揚、国歌斉唱を主張した。
結局、なんだかんだと言っても府教委に最後までたてついたのはト音記号一人だけだった。もっとも進んで賛成したのもオレ一人だったが。
ト音記号は徹底していた。
起立斉唱が義務付けられると、式日には年次休暇をとるようになった。これなら反対の意志表明になるだけではなく、職場に迷惑をかけることもない。
生徒への指導も桁が外れていて、問題行動がおこると、泊まりこんでも結論が出るまで補導会議も職員会議も引き伸ばし、必ず指導方針が出るまで止めようとしなかった。
「本人やら親の身になってみい!」
それが懐かしい決め台詞だった。
通夜に行った。
今時めずらしい組合の青年部長と思しきニイチャンが受付をしていた。
「これ、生前田野倉先生から預かってた。出棺のときには、この曲を使って欲しいって……あ、オレ前の学校で一緒だった石橋。よろしく」
奥さんにも挨拶しておいた。二人とも四十を超えてからの晩婚だったので子供はいない。寂しさはひとしおなのだろうが、そんなことはおくびにも出されない。さすがはト音記号夫人ではある。
「うちの人知ってましたんよ。ト音記号の意味……」
「え……!?」
「いっつも最前線の出しゃばり……喜んでました。石橋さんにもあだ名付けてましたんよ……知ってはりました?」
「いいえ、初耳です」
オレにあだ名があったとは、びっくりだ。
「なんて付けてくださったんですか?」
「ヘ音記号……ほら、ピアノの楽譜なんかで、低音部の最初に付いてる記号」
オレは、音楽は苦手で、ヘ音記号というものが存在することすら知らなかった。でも意味は分かる、下の方で、いつも先頭に立っているという意味だ。
やられたと思った。
開けて葬儀の日、いよいよ出棺となり、例の曲が流れた。
みんな控えめに驚いている。それが『仰げば尊し』だったから。
位牌を持って霊柩車に乗り込む刹那、奥さんは、オレを見て軽くお辞儀をされた。どうやらお見通しであったようだ。
『仰げば尊し』はト音記号にこそふさわしい……ヘ音記号より。