大橋むつおのブログ

思いつくままに、日々の思いを。出来た作品のテスト配信などをやっています。

ライトノベルベスト・『ト音記号の死』

2021-07-07 06:26:58 | ライトノベルベスト

イトノベルベスト

『ト音記号の死』  

 


 ト音記号が死んだ。

 昨日、某大学の入学式で著名なシンガーソングライターが声を失ったことを告白したニュースを聞いた直後だった。
 彼が声を失ったのは、同い年ということも、同窓生であることも、つんくの仕事や、その才能も含めて、ニュースを見ながら目頭が熱くなった。

 しかし、その直後、かつての同僚からト音記号が亡くなったという連絡を受けた時は複雑だった。

 ト音記号というのは、前の職場で一緒だった先輩の音楽教師・田野倉拓斗のことである。

 享年……六十三だろうか。年金をもらい始めて、これからという歳である。

 寂しさ半分、ざまー見ろ半分である。

 ト音記号というあだ名は音楽の教師だからついたあだ名ではない。いつでも最前線にいなければ気の済まないオッサンだったから、楽譜の頭に必ず付いているト音記号にひっかけたもので、不肖オレ様が献上したものである。

 本人は、あだ名の真の理由を知らず「ト音記号」と呼ばれることを喜んでいた。

 かつて新任だったころ組合が分裂した。

 連合系の日教組と共産党系の全教に別れ、血気盛んなオレは組合そのものを辞めた。

 ト音記号は、獅子身中の虫となって日教組に留まるべきと主張し、全教系の教職員からは嫌がられた。

 典型的な学生運動あがりで……と言っても団塊の世代の尻尾にあたるので、本格的な学園紛争などには関わったことは無い。しかし、その分マルクス主義理論には純粋な使徒であった。

 日の丸、君が代には徹底して反対で最後まで式典では両方に反対を唱え、斉唱はおろか起立さえしなかった。

「公立の高校であり、法律で決まり、教育職の公務員であり、日本国民であるなら、必ず御起立の上ご斉唱願います」

 校長が職員会議で、述べたとき、ト音記号は、こう吠えた。

「校長、あんた、平の時は反対しとったやんけ! 校長になったら府教委の言いなりか!?」

 オレは、受け止め方が真逆なので、校長とは違って、信念から国旗掲揚、国歌斉唱を主張した。

 結局、なんだかんだと言っても府教委に最後までたてついたのはト音記号一人だけだった。もっとも進んで賛成したのもオレ一人だったが。

 ト音記号は徹底していた。

 起立斉唱が義務付けられると、式日には年次休暇をとるようになった。これなら反対の意志表明になるだけではなく、職場に迷惑をかけることもない。

 生徒への指導も桁が外れていて、問題行動がおこると、泊まりこんでも結論が出るまで補導会議も職員会議も引き伸ばし、必ず指導方針が出るまで止めようとしなかった。

「本人やら親の身になってみい!」

 それが懐かしい決め台詞だった。

 通夜に行った。

 今時めずらしい組合の青年部長と思しきニイチャンが受付をしていた。

「これ、生前田野倉先生から預かってた。出棺のときには、この曲を使って欲しいって……あ、オレ前の学校で一緒だった石橋。よろしく」

 奥さんにも挨拶しておいた。二人とも四十を超えてからの晩婚だったので子供はいない。寂しさはひとしおなのだろうが、そんなことはおくびにも出されない。さすがはト音記号夫人ではある。

「うちの人知ってましたんよ。ト音記号の意味……」

「え……!?」

「いっつも最前線の出しゃばり……喜んでました。石橋さんにもあだ名付けてましたんよ……知ってはりました?」

「いいえ、初耳です」

 オレにあだ名があったとは、びっくりだ。

「なんて付けてくださったんですか?」

「ヘ音記号……ほら、ピアノの楽譜なんかで、低音部の最初に付いてる記号」

 オレは、音楽は苦手で、ヘ音記号というものが存在することすら知らなかった。でも意味は分かる、下の方で、いつも先頭に立っているという意味だ。

 やられたと思った。

 開けて葬儀の日、いよいよ出棺となり、例の曲が流れた。

 みんな控えめに驚いている。それが『仰げば尊し』だったから。

 位牌を持って霊柩車に乗り込む刹那、奥さんは、オレを見て軽くお辞儀をされた。どうやらお見通しであったようだ。

『仰げば尊し』はト音記号にこそふさわしい……ヘ音記号より。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コッペリア・46『栞と颯太のゴールデンウィーク⑦』

2021-07-07 06:09:05 | 小説6

・46

『栞のゴールデンウィーク⑦』  




 薄着のカットソーにして正解だった。


 連休ど真ん中の京都は、着いた時には、もう30度近くになっていた。

 セラさんは、さすがに着るものは洗練されていて、生成りのチュニックにサンバイザーが似合っていた。そこへいくと颯太のダサいポロシャツは仕事着のまんま。まるで遠足の引率でやってきた学校の先生だ。

「もうちょっと、ゆっくり歩こうぜ」

 タオルハンカチで汗を拭きながら颯太が弱音を吐く。

「目的地が近くなったらね」

 夏の嵐山は、駅からしばらくは芋の子を洗うような人ごみだ。人ごみは中之島から渡月橋を渡り、天竜寺のあたりまで続いた。

「ここ曲がると、嵯峨野名物の竹林。午後からは、ここから大河内山荘。今は、とりあえず大覚寺」

 颯太は、そう宣言すると、やっとゆっくり歩き始めた栞とセラに追いついた。

「お昼は新幹線の中で済ませておいて正解だったわね」

 セラさんが言う通り、食べ物屋さんは、老舗の懐石料理から、今出来のお手軽な店まで、どこも一杯。お客の回転はファストフード並の早さの様子。

 大覚寺も観光客で一杯だったが、境内が広いので、バラけてしまうと、それほどではない。

 大沢池が一望できる張り出しの縁に腰を据えた。さすがに大きな池を吹きわたってくる風は、程よい春風だ。

 観光客の嬌声も、このあたりまでくると、ここちよいさんざめきに落ち着いている。

 三人は、東京からのせわしなさを鎮めるように、しばらく沈黙……。

「セラさんて、こういう雰囲気にも自然に溶け込めるんですね」

「風俗やってるとね、こういう程よい静けさがいいの。適当に人の気配がして、栞ちゃんたちみたいな気の置けない連れがいて……いい旅になりそうね」

「そうですね……」

 栞は、しみじみと答えると、まだ汗の引ききらない颯太にパステルカラーのタオルを渡してやった。

「あのね、顔や首まではいいけど、腋の下拭くのやめてくれる?」

「だって、汗が出るんだからしかたないだろ……うん、返す」

「やだ、返さないでよ! 今夜ホテルで洗うから」

「ええ、それまで持ってるのかよ」

「オッサンらしく首にでも巻いといたら」

「栞、おまえな……」

「ハハハ、なんだか兄妹って言うより、結婚十年目ぐらいの夫婦みたいね」

 セラさんが、コロコロと笑った。

 一瞬二人の胸に火が灯りそうなったが、互いにおくびにも出さない。

「瑞穂って子も、生きてりゃ、こんな爽やかさにもなれたんだろうけどな……」

「そうね……」

 同意の言葉ではあったが、拒絶の響きがあった。葬式は、ほんの昨日のことだ。栞は触れて欲しくなかった。

「あら、あの立派な門、勅使門なのね」

 セラさんが、自然に話題を変えてくれた。白砂の向こうに菊の御紋が付いた立派な唐門があるのだ。

「あの門は、皇族や天皇のお使いでないと通れないんだぞ」

 颯太が先生らしく説明した直後、なんと勅使門が小さく開いて、箒と塵取りを持った作務衣姿のお坊さんが入ってきた。

「アハ、あんなのもありなんだ!」

 三人大いにウケた。セラさんの言葉は聞きようによっては、人間の心理をついている言葉だった。

「オレ、ちょっと大阪に調べものにいくから、晩御飯には合流する。このあとは大河内山荘がお勧め。保津川と嵯峨野の街が一望できる」

 そう言い残し、パステルカラーのタオルを首に巻いたまま颯太は、大覚寺をあとにした。

 読もうと思えば読める颯太の心だったが、軽いバリアーが張られていたので、あえて栞は読まなかった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする